エピローグ
ヘンリー・エイキンが月室庁の取り調べを受けるべく身柄を拘束されてから二週間後、秋の豊穣の祝祭たる聖ミカエル祭、ミクルマスの祝日が訪れた。
カトルフォード大学街では、中世さながら、秋の地代を物納する近隣の借地人たちが、エールやらチーズやら毛織物やら鵞鳥やらを満載した荷車を引いて、それぞれの地所の所有者である十六学寮のどれかに続々と詰めかけてくる。
各々の学寮は、この日ばかりは表門を解放し、中庭にはテントを張り、臨時に沢山の調理人を雇って、大食堂で祝祭料理である鵞鳥のローストと生姜パンと生姜風味のエールとを、訪れてきた者には誰にでも無料で振る舞うのだった。
その素敵に賑やかな祝祭の最中、スペリオル学寮の中庭で興味深い儀式が催された。
八月に職責を引き継いだばかりのジョナサン・フィールディング学寮長が、魔術師に頼んで有名な《スペリオルの茶色精霊》を再召喚して新たに契約を結ぶ儀式だ。
――先代の茶色精霊が、月室庁の禁忌を破ったヘンリー某の愚挙を止めようとして憐れにも消滅してしまったことは、カトルフォードではすでに有名な噂話だ。
その事件を解決したのが、この頃首府で有名な令嬢諮問魔術師だという噂と相成って、スペリオルはこの年、どこの学寮よりも熱い注目を集めている。
そのせいで、儀式を一目見ようとつめかけた見物客の数はすさまじいものになった。
地面はおろか、西側から中庭を見下ろせる学生棟の屋根の上にまで、物見高い見物人が群がりかえっている。
彼らにとっては残念なことに、茶色精霊の再召喚のために雇われた魔術師はエレンではなく、エレンが紹介したタメシス魔術師組合に属する土の性の魔術師、王立植物園魔術分室の管理官トマス・エッジワース博士だった。
植物学の博士号をもつ学者肌の魔術師はカトルフォード人種とは相性がよかった。
博士は衆人環視のなか、芝生の中庭にロープと杭で召喚の円陣を形作らせ、自ら《契約指輪》を嵌めて呪文を唱えた。
すると、秋の陽を透かした濃く鮮やかな蜂蜜色の生姜ビールみたいな光の柱が立ち昇ったかと思うと、ゆらゆらと小さく凝って、しまいに体長二フィートばかりの、ムクムクした茶色い生物が立ち現れた。
二足歩行するクマのぬいぐるみに、ペタッと垂れた大きな長い耳がくっついているような、なんとも愛らしい姿の生き物だ。
生き物は主人を見つける犬みたいに、黒くつぶらなよく光る目できょろきょろと左右を見回したかと思うと、とっとっと跳ぶような足取りでエッジワース博士の足元へと近寄ってきた。
博士は身をかがめて生物を抱き上げると、指輪を嵌めた手で生物の頭を撫でながら囁いた。
「よく来てくれたね茶色精霊。君の名前は――」
最後の一言は観衆の誰にも聞こえなかった。
博士は生物を一度下ろすと、愕きと歓びの入り混じった顔で見つめているフィールディング教授に指輪を渡した。
「どうぞ学寮長。その子の名を呼んで、何か命じてやってください」
そして、爪先立ってフィールディング教授の耳元で何かささやく。
教授は頷くと、真っ白いストッキングの膝を地面について、体長二フィートの生き物の耳をちょっと持ち上げて何事かを囁いた。
茶色精霊はこくっと頷くと、またとっとっと弾むような足取りで大食堂へ向かったかと思うと、ムクムクした両手に生姜ビールのジョッキをふたつ携えて戻ってきた。
「――ありがとう茶色精霊!」
フィールデイング教授がジョッキを受け取りながら満面の笑顔で告げ、感極まったようにもう片腕で茶色精霊を抱き上げると、ふわふわの顔に自分の頬を擦りつけた。
「君が戻ってきてくれて本当に嬉しいよ!」
途端、中庭じゅうの観衆から一斉に歓呼があがった。