第十一章 カトルフォードのブラウニー二世 2
「消滅?」
驚きの声をあげたのはドクター・メレディスだった。「茶色精霊とは消えるものなのですか?」
「ええ。時と場合によっては」と、エレンは澄まして答えた。「大きな声では言えませんが、今回この事件を調べるにあたって、《スペリオルの茶色精霊》は過去に一度、実際に消滅していたらしいことが分かりました」
「そうなのかね?」と、アルビオン魔法史の権威たるソロー教授が不服そうに口を挟む。「寡聞にして私は、そんな記録を目にしたことはないんだが」
「ええ教授、当然ですわ。とあるやむを得ない事情から、その過去の消滅の事例の記録も隠されているのですから。わたくしがその事例を知ることができたのは兄の手助けのおかげです」
「ミスター・ディグビーの?」と、ソロー教授が意外そうに問い返す。
その場の一同の視線が一斉にトリスタンへと集まる。
トリスタンは得意さにうっすらと頬を紅潮させ、灰色の眸をキラキラと輝かせていた。
「ミスター・ディグビー、どういうことなんだい?」
「それはですねソロー教授」と、トリスタンは得意満面で応えた。「先日わたくしがルーシャス・ルクレティウスの手記を捜していたことは覚えておいでですか?」
「勿論だとも。君の同窓たるマーストン学寮出身の、かの《風使いパーシヴァル》の秘書官を務めていたあのルクレティウスだろう。彼の手記に、われわれの茶色精霊について何か書いてあったのか?」
「その通りなのです! 文献学に長けるわがマーストン学寮の古文書室に、1661年2月から翌年1月にかけてのルクレティウスの手書きの日記が残されていたのです。その日記の1661年9月29日、ミクルマス付の記事に、こんな記載がありました」と、トリスタンが言葉を切り、聖書の一節を暗唱するみたいに目を伏せて諳んじてみせた。
「《――本日スペリオル学寮の昼餐に招かれる。聖ミカエルの祝福のもと、スペリオルの誉れたる茶色精霊が召喚の円陣から顕現する様を見る》」
「召喚? ということは、スペリオルの茶色精霊は、召喚されてからまだ140年くらいしか経っていないということですか?」と、メレディス医師が意外そうに言う。
すると、フィールディング教授が眉を吊り上げて言い返した。
「とんでもない! あらゆる古記録に残っている通り、われわれの茶色精霊は、1274年にトマス・スペリオルが学寮を創設した昔からずっと存在している! どちらかの記録が間違っているとすれば、そのマーストンの記録が間違っているんだ!」
怒鳴りつけられたトリスタンがびくっとする。
「フィールディング教授、落ち着いてください」と、エレンは慌てて宥めた。「記録はどちらも間違っていませんわ。要するに、《スペリオルの茶色精霊》は、学寮創設期の13世紀に一度召喚され、召喚者である小アレクシオスが、学寮自体を法人格と見做して自らの魔力を籠めた契約指輪を遺贈することによって、召喚者の死後にも、スペリオル学寮そのものを主人とすることで、同一個体として17世紀まで存在し続けていたのですが、おそらくは――わたくしの推測ですが――内戦期に一度消滅してしまったのですわ」
立て板に水とばかりに説明すると、聴衆一同は、突然話し出した犬を見るみたいな驚きの表情を浮かべていた。
ヘンリー・エイキンは無言で蒼褪めている。
ややあって、じっと考えこんでいたヒギンズ助教授がようやく腑に落ちたというように頷いた。
「なるほど、一度消滅して、内戦終結後、王政復古の直後に再び召喚されたのですね?」
「ええミスター・ヒギンズ。おそらくはそうではないかと」
「いやしかし、そんな記録はどこにも」と、フィールディング教授が粘る。
すると、今度はソロー教授が頷いた。
「そうかなるほど。内戦期か。それで記録がないんだね?」
「ええ教授。きっとそうですわ」
「アンディ、ミス・エレン、二人で納得していないで説明してくれよ!」と、ドクター・メレディスが情けない声をあげる。「僕らは門外漢なんだぞ?」
「ああ、悪いねドクター」と、ソロー教授が苦笑いする。「つまり、われらの茶色精霊・一世が消滅した記録が全く残っていないということは、その消滅には内戦期に――あの嘆くべき《自動機械人形戦争》当時に開発された禁じられた技術が関わっているということだよ。
茶色精霊は土の性だからね、私が想像するに、《風使いパーシヴァル》の主導によるあの七体の《風の巨人たち》の作成時か、あるいは試運転時に、風の息吹の暴走かなにかに巻き込まれたのじゃないかな?」