第九章 嘘つきはどちらだ? 4
聞き込みが終わるとサラはどこかへ引っ込んでいった。
ヒギンズとエイキンのどちらが嘘をついていたのかは、その日のうちにあっさりと判明した。
もう一人その場にいた《見えない目撃者》の存在をはたと思い出したエレンが、帰り際のフィールディング教授に――エイキンとヒギンズには聞こえないように――「学寮付の従僕をこちらへ寄越してくれ」と頼んだためである。
「わたくし、どうも、此処へ来た日の貸し馬車のなかに大事な真珠のピンを落としてしまったような気がいたしますの。あの日どこの馬車を借りたのか分かる従僕をこちらへ呼んでくださいません?」
甘えるように首をかしげて頼み込むと、若き学寮長は二つ返事で快諾してくれた。
「ジャック・スミッソンですね? かまいませんよ。すぐに来るよう伝えておきましょう。しかしミス・エレン、大事なピンを馬車の中でお落としになったのは幸運でしたね! 屋外だったらたちまちあの忌々しいモーゴンの大ガラスどもに運ばれてしまいますよ」
年下の美人に頼られて上機嫌のフィールディング教授がいかにも磊落そうにライヴァル学寮のシンボルを腐す。
その言葉にエレンははっとした。
――あら、もしかして、空気精霊の言っていた《黒い鳥が巣食う塔の上》って、モーゴン城館の中ではなく、大ガラスの巣箱の中って意味なんじゃ?
「……ミス・エレン? どうなさいました?」
フィールディング教授が気づかわしそうに訊ねる。
「ああ、いいえ。ご親切にありがとうございます!」
エレンは慌てて笑ってごまかした。
その様を、ジョージ・ヒギンズとヘンリー・エイキンの双方が、興味深い動物を見るような目つきでつくづくと眺めていた。
従僕のジャック・スミッソンは、肩の凝る御茶会の片付けがすっかり終わって、ソロー夫妻とディグビー兄妹が、マチルダ特製のエルダーフラワーのハーブティーで一服しているときにやってきた。
若い従僕は居間へと招き入れられるなり、フェルト製の赤っぽい帽子を脱いで申し訳なさそうにお辞儀をした。
「お嬢様、すみません。学寮長様からお話を聞いて大急ぎで貸し馬車屋へ行ってみたのですが、お捜しの真珠のピンは見つかりませんでした」
「あら、もう捜してくれたの?」と、エレンは心底すまなくなりながら応じた。「いいのよジャック、もしかしたら馬車に落としたかもしれない――って、ただそれだけなのですから」
「そうそう、そういう紛失物は大抵モーゴン城館の黒い頭の盗賊どもの仕業さ」と、ソロー教授が助け船を出す。「ジャック、折角だから君も一杯飲んでいくといい」
もったいないと固辞する従僕は、重ねて勧められると、恐縮しきりと広い肩をすぼめて花柄のソファに納まり、蜂蜜みたいに甘い匂いを放つハーブティーを胡散臭そうに啜り始めた。
そのタイミングで、エレンは軽い世間話の呈を装って訊ねてみた。
「そういえばジャック―ー」
「お嬢様、なんでございましょう?」
「あのとき馬車でも聞いたけれど、ハミルトン教授が亡くなっているのを初めに見つけたのはあなただったのよね?」
「はい、そうなんでございますよ!」と、ジャックは少なからず得意そうに答えた。「あのときは大変吃驚いたしました。大食堂でフィールディング教授に、学寮長様の様子を見てくるようにと頼まれましてね、お二階のお部屋へ向かったら、あのご親切な学寮長様が、ソファに座ったままがっくりと頭を垂れていらっしゃったんです! 私はもうすっかり取り乱しちまって、学寮長様がお亡くなりだ―って喚きながら外へ出まして。そしたらすぐミスター・エイキンがいらっしゃったんです」
「あら、ミスター・エイキンが?」と、エレンは無邪気そうな表情を装って小首を傾げた。「変ね、あのときミスター・エイキンは、『ヒギンズ助教授が真っ先に駆けつけてきた』って仰っていた気がするのに」
「ああ、そりゃお嬢様、ご自分の次に真っ先にって意味合いでしょう」と、従僕はあっさりと応えた。
ジャックはどうやら嘘はついていないようだ――と、エレンは思うことにした。
もしそうであるなら、嘘をついていたのはヘンリー・エイキンのほうだ。
彼は、故意に紛らわしい表現をすることで、亡くなったハミルトン教授の私室に真っ先に駆けつけたのは自分ではなくヒギンズだとエレンに思い込ませようとした。
もしそうだとしたら、その意図は一体なんだ?
――どうも情報が錯綜しているわね……
ジャックが帰ったあとで、エレンは早々に自室へ引っ込み、ワインレッドの革表紙のノートに、今まで聞いた情報を時系列で並べた表を書いてみることにした。
八月二日 朝七時四十五分ごろ
ジャックがハミルトン教授の死体を発見
まずヘンリー・エイキンが駆けつける。
次にジョージ・ヒギンズが駆けつける。
このとき、ジャックは部屋の外にいて、室内ではエイキンがハミルトン教授の脈をとっている。
――ミスター・ヒギンズがハミルトン教授のお部屋にいったとき、ジャックは部屋の外にいた。つまり、室内にはミスター・エイキンしかいなかったってことになる。
――ミスター・エイキンはその事実を隠したかったんだわ。それは何故?
そこまで考えたとき、エレンの脳裏に単純な答えが閃いた。
――ハミルトン教授は、もしかしたら、亡くなったとき《指輪》を嵌めていらっしゃったんじゃないかしら? ミスター・エイキンは一番初めに駆けつけて、まっさきに教授のお指を確認しようとした。その動作が、余所目には「脈をとっている」ように見えたのでは?
そして、教授の手に指輪を見つけたエイキンは、その場で指輪を抜き取ってポケットに滑り込ませた――もしそうなら、一体何のために?
エレンは鉛筆を手にしたまま虚空を睨むようにして考えこんだ。
散らばっていたいろいろな情報が頭の中でひとつの塊を為してまとまっていくのを感じていた。
ややあってエレンはため息をつくと、ノートを閉じ、右の掌を広げて呼んだ。
「――サラ、出てきて頂戴。頼みたいことがあるの」
同じころ―
モリソニアン大図書館の南側の『展望室』で、ヘンリー・エイキンが望遠鏡を手にして川向うの丘の中腹を観察していた。
エイキンが見ているのは緑の屋根のヒルトップ邸の窓だ。
右手から射す入日を浴びて、砂粒のように小さな格子窓のガラスが赤く輝いている。
じきにその窓が内側から開き、赤く小さく輝かしい焔の点のようなものが飛び出してきた。
火蜥蜴だ。
やはり南西へ飛ぶのだ。
エイキンはほっと胸を撫でおろした。
あのただ美しいだけの令嬢魔術師――令嬢と呼ぶには少しばかり齢を取り過ぎているが――は、やはり旧知の貴族を頼るつもりらしい。
階級を越えて簡単に縁故を得られるのは美しい女の特権だ。
彼女らの人生は安楽でいい。
スタンレー卿は可愛い彼女のために大学街へと駆けつけて罪もない弟を面罵し――彼女の調査官としての誉れは地に落ちるだろう。
これで何もかも安心だ。
エイキンはほっと息をつくと、望遠鏡を鞄に仕舞って展望室を後にした。




