第九章 嘘つきはどちらだ? 2
厳格なるトリスタンも火蜥蜴を付添役として渋々ながら認めてくれたため、エレンは希望通り、二階の書斎で聞き取り調査を始めることができた。
初めの調査対象はスペリオル学寮の若き新学長、ジョナサン・フィールディング教授。
彼はつるっとした額にやたらと汗をかきながら、エレンの右肩にとまった火蜥蜴にチラチラと目をやりつつ、問われるまま、八月二日に見聞きしたことについて答えた。
「――あの日、私はいつものように七時二十分には大食堂に向かって、ハミルトン前学寮長と朝食を共にするつもりでした。ハミルトン教授は規則正しい方で、七時三十分に必ず大食堂へいらっしゃるのです。
しかし、あの朝に限ってなかなか見えないため、私は学寮付の従僕のジャック・スミッソンに命じて、教員棟の二階のお部屋へ様子を見にいかせました。
時間? 七時四十五分ごろです。十五分遅れただけで大げさだとお思いになる――かもしれませんが、なにせハミルトン教授ですからね! 彼が普段と異なる行動をとるなんて、我々には天変地異の前触れみたいに思われたのです。
すると、いくらもしないうちに、特別研究員のエイキン君が走ってきて、ハミルトン学寮長がお部屋で亡くなっていますと叫んだんだよ。大急ぎで向かうと、なるほどお気の毒なハミルトン教授が居間のソファにかけた姿勢のまま息絶えていらしてね。私は大慌てでジャックに命じてドクター・メレディスを呼びにやったんだ」
フィールディング現・学寮長の説明は時系列に沿っていて分かりやすかった。エレンは赤い表紙のノートを手に頷きながら内心で思った。
――とりあえず、ここまでは前の四人の話と全く矛盾しないわね……
「ありがとうございますフィールディング教授。ところで、教授がミスター・エイキンとご一緒に前学寮長のお部屋へ向かわれたとき、お部屋には他にどなたがいらっしゃいました?」
「助教授が二人と特別研究員が一人だね。階下にいるミスター・ヒギンズと、今は此処にはいないミスター・グレハムとミスター・バッジワースだ。それにもちろんジャック・スミッソンも」
高い記憶力を誇るようにフィールディング教授はすらすらと答えた。
エレンは昔社交で習い覚えた《とても感心している頭の悪い令嬢》の表情を浮かべてみせた。「まあ教授、半月も前の出来事をよく覚えていらっしゃるのね!」
「なに、あのとき宿舎に残っていたのが、エイキン君を含めて四人だけだったのですよ」と、フィールディング教授は照れくさそうに鼻の下を擦ってから、やおら表情を引き締めると声を潜めて続けた。
「実は、ここだけの話なのですがね――」
「何です?」
「私は、今回の事件には特別研究員のグレハム君が一枚かんでいるんじゃないかと、どうもそんな気がしているんだ」
「まあ、それはどうしてですの?」
「グレハム君は、ハミルトン教授の葬儀が済むとすぐ、家庭教師として契約している北部の爵位貴族のお邸へ向かってしまったんだ。その爵位貴族というのが、エイキン君が言うには、なんとあのバークリー侯爵家だというんだよ!」
フィールディング教授が得意満面で告げる。
あの、と言われても、爵位貴族にそれほど詳しくないエレンには今ひとつ愕きのポイントが分からなかった。
「ええと――あ、ああ!」
エレンはしばらく考えてからようやく思い至った。「バークリー侯爵の次男には、確かコーダー伯爵家の姫君のレディ・アリスが嫁いでいるのでしたね」
「そうそう、あのスタンレー卿の妹君がね!」と、ようやく分かって貰えたフィールディング教授が嬉しそうに頷き、伊達男を演じる不器用な役者みたいにぎこちないウィンクをしてみせた。「小耳に挟んだ話では、あなたはスタンレー卿と大層お親しいのだとか」
「卿のお母君からの依頼を受けたことがありますからね」と、エレンはそっけなく答えた。
「つまり、今ここにいらっしゃらない特別研究員のミスター・グレハムはバークリー侯爵家と縁があって、そのつながりで、コーダー伯爵家とも何らかの縁故があるかもしれない――と、そうおっしゃりたいのですか?」
「その通り!」と、フィールディング教授は満足そうに頷き、一転してヒソコヒソ声で付け加えた。「今あの《カラスの巣》に住んでいるコーダー伯爵家の次男坊には、魔術関係でいろいろとキナ臭い噂があるでしょう? そういう人物がいる町で伝統ある珍しい魔法具が紛失したとなると――これはもう、ね?」
と、またぎこちなく目配せをしてくる。
要するに、実行犯は今ここにいないミスター・グレアムなる特別研究員で、盗まれた指輪はプリンス二世もといアーノルド・キャルスメインが《モーゴン城館》の私室に隠匿している――と、そのように言いたいのだろう。
――指輪が実際《モーゴン城館》にある以上、考えられない話じゃないわね……
しかし、コーダー伯爵家の次男の私室を探索するとなるといろいろ面倒が多い気がする。
--いっそのこと、カトルフォードの治安判事に連絡して正式の捜査令状を交付してもらおうかしら?
エレンが考えこんでいると、
「のうエレン」
と、それまで装飾品みたいに右肩でじっとしていた火蜥蜴が不意に口を切った。
「なあにサラ?」
「何やら探し物で難儀しているようだが、もしスタンレーの領主に助力を乞いたいなら儂がひとっ飛び呼びにいくぞ? そなたからの呼び出しとなったら、あの貴族は何を置いても飛んでこようて」
「おおやはり!」と、フィールディング教授がなぜか嬉しそうに応じる。
エレンははーッとため息をついた。
「サ・ラ! わたくしは部外者に助力を求めるつもりはありません。――フィールディング教授、有益なお話をありがとうございます。階下へお戻りになったらミスター・ヒギンズを呼んでいただけますか?」
「おや、私はもう無罪放免かな?」
フィールディング教授は揶揄うように応じると、
「ああそうだサラ、念のため、スタンレー荘園はここからは南西だよ?」
と、また下手糞なウィンクを残して書斎を去っていった。
エレンはどっと疲れを感じた。
――どうして誰もかれも、わたくしとスタンレー卿を結び付けて考えようとするのかしら!