第八章 地道に聞き込み調査を 2
エレンがすっかり身支度を整え、服装にはそぐわないワインレッドの革表紙のノートと鉛筆を携えて階下へ向かうと、玄関ホールにはすでにドクター・メレディスがいてトリスタンと談笑していた。
ヒルトップ邸のご近所さんであるこのドクターとはエレンも顔見知りである。
「お久しぶりですドクター・メレディス。今日は兄のためにありがとうございます」
エレンが挨拶すると、恰幅の良い初老の医師は、紳士らしく礼儀正しい感嘆の声をあげた。
「これはミス・エレン! 今日は一段とお美しいですね。そのドレスは最新流行の型ですか?」
「ありがとうございます。今年仕立てた品だからそうではないかと思います。ところで――」
と、エレンはざっと室内を見回してから、余計な人目がないのを確かめると、早速一人目の聞き込みに取り掛かることにした。
「――今月二日の早朝に起こったできごとについて、ドクターの見聞きなさったことをお話してくださいます?」
「おや、早速尋問ですか」と、医師はお嬢さんの気まぐれに目を細める老紳士らしい笑顔を浮かべて頷くと、花柄のソファに腰掛け、ニコニコしながら訊ね返してきた。
「何から話せばいいのかな?」
ねえドクター、お願いだから少しは自分で考えてよ! と、エレンは心のなかでだけ怒鳴った。
「……では、スペリオル学寮からの使いがいつ頃来たのからお願いいたします」
「ああそれか。うん。勿論覚えているよ。朝食を終えて庭で新聞を読んでいたときだから、たぶん八時二十分ごろだ」
「使いにいらしたのは?」
「学寮の従僕のジャック・スミッソンだよ。牛乳運びの馬車の帰りに便乗してきてね、学寮長様が殺されましたって、庭先で大声で叫ぶもんだから、私は参っちまったよ!」
「あら、なら、お邸のご近所の方々や、その牛乳運びの車の持ち主も、きっとそのときのことは覚えていそうですわね?」
探りを入れるように訊ねると、ドクターは何ら怯んだ様子もなく頷いた。
「うん。きっと覚えていると思うよ。それで、私はジャックにはヒルトップ邸にも知らせるようにって命令してから、自分で軽馬車を走らせて学寮へ向かったんだ」
ドクター・メレディスはここまでの話を考え考え、思い出しながら話した。
頷きつつ聞きながら、エレンは内心で思った。
――とりあえずここまでのところ、ミスター・エイキンとジャックの話とも、ソロー教授のお話とも齟齬はないようね。
「スペリオル学寮にお着きになったのは?」
「八時半だよ」と、ドクターが妙にきっぱりと答える。「《ペンドラゴンの時計塔》の鐘がちょうど鳴っていたから。私はそのまま教員宿舎の二階へ向かった。そしたら気の毒なハミルトン学寮長が居間のソファに座った姿勢で息絶えていたんだよ」
と、医師は本当に気の毒そうに言った。
エレンは一瞬ためらってから訊ねた。
「――そのとき部屋にはどなたがいました?」
「ええと――フィールディング教授はもちろんいたな」と、医師は心許なそうに答えた。「あのとき宿舎に残っていた教官は、たぶんもう全員いたんじゃないかな?」
「もちろんそうでしょうね」と、エレンは愛想よく相槌を打った。「それで、そのときハミルトン学寮長は《茶色精霊の契約指輪》を嵌めていらっしゃいました?」
訊ねた途端、ドクター・メレディスは血色の良い顔いっぱいに安堵の表情を浮かべた。
「ハミルトン教授の躯がってことかい? もちろん嵌めていなかったよ! 私は彼の脈をとったんだ。私の前に脈をとっていたミスター・エイキンだって、きっと嵌めていなかったと言うんじゃないかな?」
「ありがとうございます。彼にも確かめてみますわね」
機械的に礼を言いながら、エレンは頭のなかの《ドクター・メレディス》の項目に「白に近いグレー」という仮の評価をつけておいた。
指輪について訊ねたときの安堵の表情は気になるが――あれはおそらく、答えられる質問を教師から当てて貰えた学童みたいな安堵だろう。
医者として緊急時に駆けつけた先に誰がいたかは、逐一すべて覚えているほうがむしろ不自然だ。
特別研究員ヘンリー・エイキン。
従僕ジャック・スミッソン。
教授アンドリュー・ソロー。
学寮付医師メレディス。
以上四名からの話に、今のところ齟齬はない。