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第六章 魔術師の手記 2

 残念なことに、モリソニアン大図書館の魔術系蔵書では、《スペリオルの茶色精霊(ブラウニー)》について、新しいことは何も分からなかった。


 エレンが事前からもう職業魔術師の常識として知っていた通り、土の性の幻獣である茶色精霊(ブラウニー)を始めに召喚して使役魔としたのは五百年前、学寮の創始者トマス・スペリオルの育ての親の魔術師《小アレクシオス》なる人物で、この魔術師が老いて、若いトマス・スペリオルに引き取られる形で創始されたばかりのスペリオル学寮に住み着いたとき、自らの世話をさせる目的で、そもそも土地に根付いて存在はしていた茶色精霊(ブラウニー)を召喚したのだという。



――《小アレクシオス》は、死の直前、自らの魔力(グラマー)の殆どを注いで《茶色精霊の契約指輪》を作ってトマス・スペリオルに譲渡することで、死後に己の魔力が霧散したあとにも、スペリオル学寮の敷地内でだけなら、茶色精霊が顕現できるようにした――のよね?



 うろ覚えだったその点も、確かめてみたら間違いなかった。


 ひとつ意外だったのは、茶色精霊が顕現できる範囲には、「スペリオル学寮がトマス・スペリオルの時代から所有していた地所」まで含まれているらしい。


 そうなるとなかなか厄介だ――と、エレンは内心でため息をついた。

 純粋に学寮内でしか顕現できない使役魔だったら、仮に外部の人間が無法に強奪したとしても大した使い道はない。

 しかし、カトルフォード周辺に結構存在するはずの学寮の地所まで含まれるとなれば話が違ってくる。



 ーーとりあえず午後は地図捜しね……



 13世紀の時点でスペリオル学寮が所有していた地所がすべて載っている書物が存在していることを祈りながら、エレンはひとまず閲覧室を出て、石畳の中庭をよぎって正門の外へと向かった。


 もう陽が南へ昇りきっている。

 正午にマチルダと待ち合わせて、一緒に昼食をとる予定なのだ。



 ――カトルフォードの鱒料理は久しぶりだわ。カリッとした美味しいフライにしてもらいましょう。



 切り替えの早さはエレンの特技のひとつだ。

 健康な食欲に促されるままワクワクと外へ出たエレンは、歩道の外にとまった軽馬車(ギグ)を見るなり、ゲッと声をあげそうになった。


 御者席に座っているのは当然マチルダだ。

 何かものすごく申し訳なさそうな表情(かお)をしている。


 そして、軽馬車の黒くピカピカと光る低い車体にもたれて、中背細身の黒髪の美青年が得意満面の笑顔を浮かべて待ち受けていたのだ。

 

 美青年の名前はもちろん本物のミスター・T・ディグビーだ。

 エレンが正門から出てきても、得意顔のトリスタンはすぐには気づかなかった。

 どうかそのまま気づかないでいてよ――と、エレンが必死で祈りながら回れ右をしようとしたとき、密な睫に縁取られた明るい灰色の目が零れんばかりに見開かれた。



 ――万事休す。



 エレンは諦めてがくりと肩を落とした。


「エ、エ、エ……」


 トリスタンがどもりながら口をパクパクさせている。

 浅黒く端正な美しい顔からみるみる血の気が引いてゆく。


 このまま待っていたなら次兄が叫ぶのは時間の問題だ。


 エレンは腹を決めた。


「や、やあ久しぶりだね従兄弟のトリスタン!」


「え、い、あ?」


「僕だよ、従兄弟のヘンリーだよ! こんなところで会えるなんて奇遇だねえ! 僕はこれからミセス・ソローと昼ご飯を食べに行くんだ。あなたも一緒にどう?」


 夏季休暇の最中とはいえ、大学街の中心たるモリソニアン大図書館の門前通りにはそれなりの人通りがある。

 多感な十代を同姓だけの寄宿舎生活に捧げつくした弊害か、大学人種はなべて美貌の青少年に弱い。

 輝くばかりの笑顔を浮かべて軽馬車(ギグ)に走るストロベリーブロンドの美少年――声の高さのために男装版エレンの年齢はだいぶ低く見える――と、吃驚顔できょとんとしている黒髪の美青年との邂逅を、道行く人々が微笑ましく注視している。

 エレンはその視線を意識しながら、いかにも再会を喜ぶように、呆然と立ち尽くしたままの次兄の首にしがみつきながら囁いた。

「いいことトリスタン? 今何か余計なことを叫んだら、あなたの未来の愛娘は男装趣味の未婚の叔母を持つことになるのよ?」

 低く押し殺した声で囁くなり、常識に命を捧げている次兄が恐怖にヒッと息を飲むのが分かった。


「……あ、あ、ああ。久しぶりだね従兄弟のヘンリー」

 気の毒なトリスタンが完全な棒読みで応じてエレンの背中にぎこちなく腕を回してくる。


 エレンはほっとしながら小声で訊ねた。


「一体どうしたの?」

「--それは僕の台詞だ」

 ようやく落ち着きを取り戻したトリスタンが憮然と応えた。


「さ、とにかく二人とも!」と、車上のマチルダが焦った声をあげる。「せっかくだからカナルストリートで美味しい鱒料理を食べましょう! 運河に面したテラスでなら、きっとゆっくり静かにお話できるわよ!」


 ディグビー兄妹にももちろん否やはなかった。

 何を話すにせよ、この場所はあまりに目立ちすぎる。

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