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留まり客 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 雨の降る夜と風吹く晩には、嫌な客でも来ればよい。

 つぶらやくんは知ってる? お父さんから聞いたんだけど、どこかの小唄の一節なんですって。

 明かりも貴重な夜の時間には雨も風も、不安を呼び込むもの。そんなときには、たとえ気に食わない相手でも、誰かそばにいてほしい……そんな気持ちを読み込んだんじゃないかと、私は思うの。


 ――商売あがったりな天気だから、なかば投げやりになっている歌詞じゃないのか?


 ふう、つぶらやくんはどうもちょくちょく、冷笑ぎみよね。ニヒルを気取りたい、お年頃なのかしら?

 でも実際、お店によってはお客がどうしても来てほしいときがあるらしいのよ。もうけ云々を置いておいてもね。

 これもお父さんが話してくれたことなんだけど、聞いてみない?



 むかしむかし。

 出稼ぎから戻るために、道を急いでいた男がいたらしいわ。

 もう家までは一日の道程。早ければ、その日の夜遅くには家へ帰りつく予定だったらしいの。

 それが昼を回ってからは、天気が急転。叩きつける雨粒で、目の前さえもけぶるようなひどい視界。絶えないぬかるみ。

 男も数えきれないほど身震いしながら、おのれの足元と記憶を頼りに先を急いだわ。

 でもどこかで道を間違えたのか。自分の目印としていた二本連れ立つ双子杉に差し掛からないまま、あたりが暗くなり始める気配。

 遠方より聞こえる、低く唸るような音は雷のものか、それとも山の獣のものか。

 いずれにしても、暗い中で歩みを進める度胸はない。このあたりがどこなのだろうと、ふとかぶった編み笠と一緒に、顔を持ち上げたとき。


「どうぞ、お入りくださいまし」


 思わぬ近さに、しわをたたえた老人の顔があったの。

 見れば、数歩と行かないところに、平たい屋根を乗っけた茶店の姿が。店の軒先に掲げられた提灯が、風に吹かれてくるくると回りながらも、明かりを放ち続けていたわ。


 男が店内へ入ると、後に従う老人はすぐ後ろ手に、店の戸を閉めてしまったの。

 屋内は数畳の座敷の席が8人分。土間に置かれる机と床几を思わせる形の椅子らは、30はくだらなかった。

 この天気ゆえか、お客はほとんどいない。そう「ほとんど」は、ね。

 男から見て、土間の右手奥側。4人掛けの席にぽつんと、一人だけ座っている。

 長い黒髪がうつむいた横顔を隠し、その姿はうかがい知れない。白いあわせは、すその部分が、すすきの穂先を思わせるほつれ方で、だいぶ長い間身に着けているものだと思わせる。

 机の上には食べ物はおろか、湯のみひとつ置かれておらず、注文しているのかも定かじゃなかった。


「お隣りへどうぞ」


 そこへ、強引に案内されたわ。他にも席は空きに空いているというのに。

 何か言おうとする男に、聞く耳持たないとばかり、老人は彼女のすぐ隣の席へ腰を下ろさせてしまう。男が店の入り口に近い側へ腰を下ろすことになったわ。


「こいつは、どういう――!?」


 文句を言いかけた男が押し黙る。

 老人の手から懐に、ずしりと重いものがねじ込まれたのだから。

 金子。それも相当な量で、この出稼ぎで男が稼いだものに匹敵するほど。


「頼みますから、ここを動かんでおくんなさい。あなたのためにも。

 一度、この茶屋の明かりが消え、再び灯るときまで、ここに」


 耳元でぽつりとつぶやいた店主を、男は呆然と見送っていたけれど、不意に茶屋の天井へ吊るしていた提灯たちが、いっせいに火を消したわ。

 突然のことに、男の慣れない目は、そこを完全な暗闇と認めてしまう。

 けれど、それに困惑するの同時に。


 低い、うなり声。

 先ほど雨の中で聞いたのと同じ、雷か獣のものと思ったそれが、自分のすぐ横から聞こえてくる。

 そう、あの女の座っていたあたりからね。


 ――よもや、こいつが……?


 考えている間に、また一声。

 歯ぎしりの音が聞こえる。けれど自分がするものとは違う、甲高いもの。それは鉄と鉄を絶妙にすり合わせたような、耳障りな音だったのよ。

 う? とのけぞりそうになるも、やや離れたところから、紙の破れる音がしたわ。


 見ると、店の入り口の閉め切った障子。いくつもの格子を組まれた、そのうちのひとつがきれいに破けていたの。

 人の拳が突き抜けていったかのように、完全に向こうの景色をさらけ出している。なのに、なぜかおかしい。

 自分が先ほどまで歩いていたはずの道が、見えない。外はまだ少し明かりが残っていたはずなのに、この店内の延長のような黒が広がっているのみだった。


 三度目のうなり声。

 今度は音ばかりじゃない。つばきがいくらか飛んできた。

 まだとっていない笠に、蓑に、わずかにかかった気がしたけれど、そこからほどなく焦げ臭いにおいが漂ってくる。

 火をつけられたか、と思っても自分の肌のどこにも熱を感じない。ただこの暗闇の中で、白い煙がひとすじ、自分の身のすぐそばより立ち昇っているのが認められたわ。


 続くは、またもちぎれ飛ぶ障子たち。

 先に破れたひとつから、いくらか離れて破れた格子は、10を数えたわ。

 そのとき、彼はふと思ったわ。この障子が破れた先、もし自分がしっかり歩んでいたなら向かっていた、自分の家のある村の方向ではないか、とね。

 彼の身体の延長になった障子は、きっちり破けてはいない。自分の身が盾になっただろうことは、薄々彼も悟っていた……。


 出し抜けに、店の中が明るくなったわ。

 どういう細工か、天井の提灯たちは点火の音さえ響かせず、次々と火をともしていく。

 隣にいた女はいない。足音ひとつ立てず、腰をかけていた椅子、その足元にぬくもりも湿り気も残していない。

 ただ確かなのは、男の懐には確かにねじ込まれた金子があるということ。


「いや、ありがとうございました」


 ひょいと顔をのぞきこんでくる店主に、また男は驚き、椅子から立ち上がってしまう。

 店主は顔をほころばせながら、告げたわ。


「おかげで助かりました。あなた様がおられなければ、あの客が何をしでかしていたことやら。いやはや、あなた様のような客が通りかかって、ようございました。

 さあ、もう行かれるとよろしいでしょう」


 とはいえ、外は雨と夜が……といいかけて、男は破れた障子より外を見る。

 いつの間にか雨はやみ、陽の光もまだふんだんに残る夕方の道が、そこに現れていたわ。

 そして遠方には、彼が目指している村の高台も見えている。


 一刻ほどして村へたどり着いた彼は、その村の様子に驚きを隠せなかった。

 村を囲む塀、および田畑の水路たちなどが大きく壊れ、皆が補修工事に当たっているところだったの。

 尋ねてみると、自分が戻ってくる前に突然吹き寄せた風が、これらを壊したのだと。

 何かが一緒に飛んできてぶつかったのではない。純粋な強い風の力。ことによると、家まで飛んでもおかしくなかったのに、高台を含めて人家の被害は出なかったのだとか。


 後日、男はあの茶屋があったあたりへ戻ってみたけれど、ただただ竹林が広がっていたばかりだったとか。

 


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