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穏やかな朝の陽ざしが降り注ぐ平日の朝。スーツを着た社会人や、制服を着た学生達が時間に追われ、せわしなく移動している。
そんな彼らを尻目に、コウは公園沿いの道路に止められた愛車――二人乗りのマイクロカーの中で、至福の時を過ごしていた。白のインナーにグレーのカジュアルジャケット、そして紺のカーゴパンツといった格好のコウは、全開に開かれた窓から両足を突き出し、その手に握られた大きな双眼鏡でのんびりと観察を行っていた。
「おぉ~、あの子、良い胸してんなぁ。おいおい、あいつスカート短すぎんだろ~」
彼が今何をしているのかというと――彼は、公園を挟んだ向かい側にある公立高校、そこに登校している女子高生を、双眼鏡で眺めていたのだ。
「メリハリねえなぁ、あの女。あいつ象みたいな脚してんな」
失礼極まりないことを呟きながら、次々と女子生徒をチェックしていく。そんなコウに向かって大きな足音を立てて近付く一人の人物がいた。その人物はコウのすぐそばまで近付くが、当の本人は観察に夢中で全く気付いていなかった。やがてその人物は目一杯に空気を吸い込むと、コウに向かって力一杯叫んだ。
「ちょっと、何やってるんですか! 警察呼びますよ!!」
突然の大声に驚いたコウは、思わず双眼鏡をその場に落とした。
「……あ? 何?」
コウは耳をさすりながら、声の主の方に顔を向ける。
そこには一人の女子生徒が立っていた。半袖のカッターシャツに紺のスカートを身に着け、そこから健康的に程よく焼けた手足がすらりと伸びている。綺麗に切りそろえられたセミロングの髪を風になびかせ、こちらをまっすぐに睨むその顔に、コウは見覚えがあった。
「……えっと、前にどっかで会ったっけ?」
とぼけた様子で答えるコウ。そんなコウに彼女はむっと眉をひそめ、自らの顎を殴るそぶりを見せる。その動きを見て、コウはぽんと手を叩きながら言った。
「あぁ、思い出した。助けた恩を裏拳で返してきた女」
「あ、あれはあなたがいやらしく私の肩に手を回してきたからでしょ!」
コウの言葉に、彼女は顔を真っ赤にして叫んだ。
「名前は確か、エリカ……エミカ……だったっけ?」
「エミカ! 中野絵美香だよ!」
彼女――エミカは、はっきりとした口調で名乗った。
三日前のことだ。
連続婦女暴行の賞金首を追っていたコウとレイは、犯人がよく狩りを行うエリアで待ち伏せていた。そしてそこに運悪く通りかかったのが彼女だったのだ。買い物袋を下げ、無防備に夜道を歩くエミカにゆっくりと近付く黒のワゴン車。そして隣り合うと同時に、スライドドアが開き、彼女を車内へ引きずり込もうと男の手が伸びる。
途端、銃声と共に男の腕がぱっと裂け、エミカの顔に返り血が飛び散った。レイが狙撃銃で男の腕を撃ったのだ。続いての銃声で車のタイヤが弾け飛び、無理に逃げようとしたワゴン車はそのまま壁に激突。御用となった。
犯人を車内から無理矢理引きずり出しているレイを尻目に、コウはその場にへたりこんでいるエミカを心配して肩に手を回しながら声を掛けたのだが――
――返ってきたのは大きな悲鳴と鋭い裏拳だったのだ。
「いや~、痛かったな~。せっかくレイプ魔から助けてやったのにな~」
コウは自分の顎をさすりながら、わざとらしい口調でそう言った。その言葉に、エミカは気まずそうに唸ると、やや上目遣いでコウを見つめながら口を開いた。
「……その……殴ったのは、本当にすみません。それとあの時は言う機会が無くて――助けてくれてありがとうございました」
エミカはそう言ってぺこりと頭を下げた。その様子にコウは鼻を鳴らしながら笑みを浮かべる。
「まぁ、気にすんな。それより君に何事も無くて良かったよ。カウンセリングとか受けたのか?」
「いえ、受けてないです。でも大丈夫ですよ。一瞬の出来事すぎて何が起こったのか、よく分かりませんでしたし」
エミカは笑みを浮かべながら手をパタパタと振った。コウとしては、襲われそうになったことよりも、目の前で男が撃たれたというショックのほうが大きいのではと考えていたが、問題はなさそうだ。
「あ、もしかして、私にそれを聞くために、学校の前で待っててくれてたんですか?」
エミカは明るい笑みを浮かべながら尋ねる。その言葉に、コウは双眼鏡を拾い上げながら、素っ気なく答えた。
「いや、女子高生をウォッチングしてただけ。俺の趣味」
「……やっぱ、警察呼ぶわ」
「ヘイ、ストップストップ。こちとら三十連勤中なんだ。朝の癒しの時間を奪わないでくれ」
スマートフォンを取り出したエミカに、コウは慌てた様子で言った。そんなコウにエミカは胡散臭そうな視線を向ける。
「賞金稼ぎでしたっけ? そんなに忙しいんですか?」
「まぁ、うちの事務所が特別おかしいって感じではあるがな。今日も朝から客の依頼入ってるし、仕事入れすぎなんだよ、あのおっさん」
「……確か犯罪者捕まえる以外にも、依頼請負とかもやってるんですよね? テレビのコマーシャルで見たことあります」
「まぁ、そうだが――」
コウはちらりと彼女の顔を伺う。エミカは神妙な面持ちで視線をさまよわせていた。
「何か悩み事か?」
「えっ? いや、その――」
慌てた様子で顔をそむける彼女に、コウは鼻を鳴らしつつ、ポケットから一枚の事務所名刺を取り出した。シンプルなデザインのその名刺には『柏木ハンター事務所』と、事務所名と電話番号が記載されている。
「ま、相談くらいなら無料で聞いてやるぜ。事務所空けてることが多いけど、大体朝方ならいるはずだ」
「あ、ありがとうございます」
エミカは軽く頭を下げながら、両手で名刺を受け取った。
「ついでに俺のプライベート番号も教えておこうか? 何か困ったことがあったらいつでも――」
「あ、そういうのは結構です。それじゃあ遅刻しちゃうのでこの辺で」
エミカははっきりとした口調でそう言うと、そそくさと踵を返した。足早に去っていくエミカの背中を見送りつつ、コウは小さく唸る。
「う~む。番号を出すのは早急すぎたか」
軽く息を吐きつつ、コウは再び双眼鏡を構える。人数はまばらだが、まだ登校している生徒は何人かいる。そんな女子高生達を一人一人じっくりと観察していく。
その時、コウの背後――助手席側の車の窓がコンコンと何者かにノックされた。
「あぁ、今ちょっと良いところだから後にして。もうすぐ登校時間終わるから」
再び、コンコンとノックされる。
「うっせえな、コンコンコンコンって。手前のケツをノックしてやろうか!?」
度重なるノックに業を煮やしたコウは、双眼鏡から目を離しながら振り返り――背後の人物と目が合った。
しばらくの間、コウとその人物は無言のまま見つめ合った。やがてその人物は、コウを見つめたまま運転席側まで移動すると、腕を組んでにっこりと微笑んだ。
その人物は、水色のワイシャツに藍色のベスト、それと同色のズボンといった格好をしていた。腰には銃の入ったホルスターと無線機、警棒に手錠ケース等が取り付けられており、その左胸には金色に輝く旭日章のバッジが取り付けられている。
世間一般的に、この様な格好をした人物のことを、人は警察官と呼ぶ。
「あの野郎、マジで通報しやがったな」
こちらをニコニコとした表情で見つめる警官を見返しつつ、コウは小さく悪態づいた。




