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日が沈みかけ、多少は暑さがマシになった夕方頃。黒猫のイラストと『酒場あんず』と丸っこいフォントで書かれた電光看板を尻目に、コウはふらふらとした足取りで店内に入った。
「まだ開店前だよ」
中からぶっきらぼうな女の声が聞こえてくる。それほど広くない店内にはカウンターと五つのテーブル席が並んでおり、カウンター奥では声の主が煙草をふかしながらテレビを見ていた。
「とりあえず肉食わせてくれ。肉。あと酒」
相手の言葉を聞き流しつつ、コウはカウンターに倒れこむようにして席に着いた。
それと同時に突然猫の泣き声が耳に入り、コウはそちらに顔を向ける。そこにはカウンターの上をとことこと歩く一匹の黒猫がいた。長い体毛に覆われたその猫は、コウをまっすぐに見つめながら、再び小さく鳴いた。
「おいおい、マスター。仮にも飲食店なんだから、獣を店内歩かせんなよ」
「開店前だっつってんだろうが。だいたいうちのあんずちゃんは手前より清潔だよ」
マスターと呼ばれた女性は、酒のボトルをカウンターに叩きつけるように置きつつ、乱暴な口調で言った。
白のブイネックにジーパンといったいでたちの彼女は、この店の店長だ。名前は倖田理恵と言って、コウはもっぱら彼女のことをマスターと呼んでいる。年齢は三十前半で、出るとこは出て、引き締まるところは引き締まった、良いスタイルの持ち主なのだが、化粧っ気の無い顔とスポーツ刈りにした髪が、色気を全て吹き飛ばしてしまっている。
「しかし随分とお疲れのようだねぇ。あのこわ~い上司に引っ張りまわされてるのかい」
リエはそう言いつつ、冷蔵庫から取り出した分厚いステーキ肉を切り分け始める。コウはボトルそのままに酒をぐびぐびと流し込みつつ、調理しているリエの尻をぼ~っと眺める。
「実は仕事でちょっとしくじってな。ターゲット死なせてしまって、依頼人を失望させることになっちまった」
「そういうことかい。今日はいつもより元気が無いと思ったよ」
「全く。俺に任せろなんて大見得切っといてこれだぜ。嫌になるぜ」
コウはそう言って大きくため息を吐く。
マリアの死を知った後、コウがどんな言葉をかけてもエミカは無言で顔を伏せたままだった。とりあえずエミカを家に帰すことにしたコウは、エミカを車に乗せ、家まで送ったが、その道中会話は一切なかった。
コウは再び酒をあおり、一気にボトルを空にする。そんなコウに、リエは鼻を鳴らしつつ、新しいボトルをカウンターに置く。
「ほら、酒一本サービスしてやるよ。そうやってうじうじしてるのは、あんたらしくないよ。こいつで元気だしな」
「サンキュー、マスター。いつも助かるぜ」
コウはそう言いながら、二本目のボトルを飲み始める。調理場から漂う肉の焼ける音と香ばしい香りに、コウの頬が緩む。
「そういやでかい事件があったみたいだね」
ステーキをひっくり返しながらリエは言った。
「午後のニュースはどれも爆弾騒ぎのことばっかりだったよ」
「あぁ、そうみたいだな」
コウは生返事をしつつ、テレビに視線を向ける。リエの言った通り、テレビでは爆弾事件についての報道を行っていた。
「こういうのにも賞金付くんだろ? 追うのかい?」
「この手の犯人が分からないタイプはあんまり追わないな」
コウはそう言いつつ、スマートフォンを取り出し、賞金首情報サイトをチェックする。
このサイトは各国の賞金首制度を管理している国際機関が運営しており、現在起きている事件、追われている賞金首等の情報を、現在のエリアを中心に確認する事が出来る優れたサイトだ。コウもニュース代わりによく閲覧している。
「あぁ、やっぱ賞金かかってるな。スポンサーが七社ついて、賞金は八百万。まあまあだな」
「わお。すごいじゃないか。本当に追わないのかい?」
「こういう一般的に情報が公開されている賞金首は競争率が激しくて、他のハンターと競合することもあるから、うちは基本追わないんだよ。それに犯人不明の場合は確実な証拠もセットで手に入れないといけないから面倒くさい」
「へぇ。そういう決まりがあったんだね」
「国によってはすげえ雑な手続きしてるとこもあるみたいだが、日本はそんな感じだな。まぁ、ある程度自由に暴れられるのも、法整備が整ってない今だけだろうってのは、おっさんもよく言ってるよ」
コウは二本目のボトルを飲み干し、大きく息を吐く。その時、コウのスマートフォンが大きな着信音を鳴らす。画面を見るとレイからだった。
「げっ、噂をすれば」
コウは顔をしかめつつ、電話に出る。
『コウ、仕事だ。いつもの飯屋にいるのか? 迎えに行く』
電話に出るなり、レイから無慈悲な言葉が投げかけられる。
「ただいま、電話に出る事が出来ません。明日以降にかけなおしてください」
『あと十分ほどで着く。出られるようにしておけ』
「少しは突っ込めよ。つうか無理無理。お酒も入っちゃったから今日はもう働けねえや」
『度数の低いリキュール二本くらいなら問題ない。ステーキはお預けだ』
「いやいや、そういうことじゃなくて――ちょっと待て。何で俺が頼んだもの把握してんの?」
コウはキョロキョロと辺りを見回す。やがてコウは天井隅に取り付けられた防犯カメラを見つけた。
「……マスター。あんなとこにカメラなんてあったっけ? もしかしてあれネットに繋がってる?」
「ん? あぁそれね」
リエはフライパンを軽く振りながら、首だけ振り返る。
「ちょっと前に飛び込みの営業が来てさ。結構安かったから契約しちゃった」
「……ちゃんと設定とかした?」
「え、何が? 付けるだけでいいですって営業の人言ってたよ。あとはオンラインでセキュリティの人が見てくれるって」
リエの言葉を聞いて、コウは重いため息を吐く。
「ああいうネットに繋ぐものは初期設定のままだと簡単に侵入されるから、普通はちゃんと設定するんだよ。それだけで全然違うから」
「へえ、そうなんだ。私そういうの苦手でねぇ」
「……とはいえ、おっさん相手じゃ大して対策にならないだろうけど」
コウは監視カメラを睨み、中指を突き立てる。
『あと五分だ』
スマートフォンから流れる淡々としたレイの声。
「くたばれ監視社会!」
コウはカメラに向かって高らかにそう叫んだ。
それからきっちり五分後。店の扉が開き、レイが姿を現した。
「行くぞ、コウ」
コウはうんざりした顔をレイに向ける。
「嫌だ。残業したくない。労基に訴えてやる」
「何を勘違いしているのか知らんが、ハンターに定時という概念はない」
「おっさん、固定観念に縛られるな! 労働基準の第一人者になるんだ!」
「うるさい、死ぬまで働け」
コウの背後からリエの笑い声が聞こえてくる。コウはうめき声をあげながら、カウンターにうつ伏せになる。
「あんたら相変わらず面白いね。まぁ、もうすぐ出来上がるから少し待ってな」
リエがフライパンを振る。レイが眉をひそめ、リエを見つめる。
「ゆっくり食事している時間は無いぞ」
「分かってるって。焦るな、焦るな」
そう言って、リエはフライパンで焼いていた物をまな板の上に置く。それはステーキではなく薄い円形のライスだった。
リエは別のフライパンからステーキを切り分け、サンチュを敷いたライスの上に丁寧に並べる。そして仕上げにもう一つの円形のライスで挟み込んだ。
「ほら、出来たよ。特製ステーキライスバーガー。こいつで体力付けな、コウ」
リエは出来上がったライスバーガーをラップに包むと、それをコウに手渡した。
「あぁ。愛してるぜマスター!」
「はいはい、さっさと仕事に行ってきな」
リエは新しい煙草に火をつけながら、軽く手を振る。コウも満面の笑みで手を振ると、レイと共に店を出た。




