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コウがはっと目を見開くと、真っ赤な壁紙の天井が一面に広がっていた。慌てて上体を起こし、自分の状況を確認する。ソファに寝かされていたようだ。
「やっと起きたか」
聞きなれた声がかけられる。そちらに首を回すと、壁に背中を預けた仏頂面の男がこちらに顔を向けていた。その傍らにはソファに座った女性がこちらに心配そうな顔を向けている。
「あれ、おっさん? と、エミカ!」
二人の姿を認識するや否や、コウは飛び起きたようにエミカに駆け寄った。
「無事だったかエミカ! 何ともないか!?」
コウはエミカの手を取り、声をかける。エミカは一瞬驚いた表情を見せつつも、小さく頷きながら、にこっと笑う。
「うん。あの後すぐにレイさんが迎えに来てくれたから。それより、コウこそ大丈夫だったの? 顔とか怪我してるけど」
「あぁ、これくらい日常茶飯事だ。どうってことない。それより、ここはどこなんだ?」
コウは改めて部屋の中を確認する。コウが寝かされていた部屋は小さな個室だった。壁も天井も真っ赤な壁紙に覆われている。部屋の中央には真っ黒なテーブルが置かれており、それを囲むようにして革張りのソファが複数置かれていた。
「あ、ここは――」
エミカが説明しようと口を開くと同時に、部屋の入り口が開かれた。コウがそちらに顔を向けると、二人の男が部屋に入ってくる。
一人は真っ白なコック服を着た男だった。顔も体も真ん丸な、かなりふくよかな体形で、にこにこと人当たりの良さそうな表情を浮かべている。そしてその傍らに立つ男を見て、コウは思わず身構える。そこには先程コウに絡んできた小柄の男が立っていたのだ。
「手前!」
コウが思わず叫ぶ。それと同時に、小柄の男は一歩踏み出すと、勢いよく頭を下げつつ大きな声を上げる。
「ごめんなさい!!」
「……は?」
突然の謝罪の言葉にコウはぽかんとした表情を浮かべる。説明を求めるようにエミカやレイに顔を向けるが、エミカは困ったような表情を浮かべるだけで、レイに至っては相変わらずの無表情だった。
「いや~、悪かったね~。こいつが馬鹿なことしてくれちゃって~」
小柄の男の頭をぽんぽんと叩きながら、コック服の男が言った。
「僕は丁重に連れてこいって言ったのよ。なのに、ちょっと挑発されたからって、兵まで連れ出して街中で乱闘騒ぎ起こしちゃって。うちが営業停止食らったらどうしてくれんの~?」
コック服の男の表情は相変わらずにこやかではあったが、小柄の男を叩く音が徐々に大きくなっていた。
「……えぇっと、あんたは?」
「あぁ、申し遅れました。僕はハオって言います。こっちの馬鹿はヤンです」
そう言って、ハオのげんこつがヤンの頭頂部に振り下ろされた。ゴツっと鈍い音が響き、ヤンはその場に崩れ落ちる。
「つまりあんたが店長か? 俺達を探していたという?」
痛みに打ち震えているヤンを見下ろしつつ、コウは尋ねる。ハオはにこやかな表情のまま大きく頷く。
「そうだよ。僕が連れてこいって言ったよ。でも依頼したのはリンディエンだけど」
「リンディエン?」
ハオがレイの方を指差す。コウはますます訳が分からないといった表情を浮かべる。
「俺がこいつらに依頼した」
レイは腕を組み、面倒そうな表情で説明を続ける。
「金獅子の幹部の一人が、俺に貸しがあってな。今回の依頼に人手が必要と判断して、手を貸してもらうことにした。それでクリスとマリアのことを探っている二人組がいると聞いて、何か新しい手がかりかと思ってヤンに連れてくるよう頼んだ。そしたら、どうだ。ヤンから増援の要請が来るわ、コウのアドレスでこの女から変なメッセージが来るわ」
レイが呆れたようにため息を吐く。そんなレイの腕に真新しい引っかき傷がついていることに気付き、コウは眉をひそめる。
「……あれ、もしかして俺の首絞めたのおっさん?」
「そうだ」
レイはしれっと答える。
「あの場にいたんなら止めろよ!」
「俺が駆け付けた時には、既に乱闘が始まっていたからな。集団をぎりぎりまで引き付けてからの煙幕という手は悪くないが、視線が銃の位置を意識しすぎだ。あれじゃあ後で拾いに行きますと言っているようなものだ」
「的確な批評をどうも」
「それと乱闘を止めなかったのは仕置きも意味もある」
そう言ってレイはジロリとエミカを睨む。その視線を受け、エミカはバツが悪そうに顔を伏せる。
「コウ、何で依頼人を連れまわしているんだ? あの場所がプッシャー通りと言われるほど危険な場所だと分かっているだろう」
レイの声はいつにも増して怒気に満ち溢れていた。コウは慌てた様子で答える。
「……いや、マリアを見つけた時に、エミカがいれば事がスムーズに運ぶと思ってさ」
「現に危険に巻き込んでいるだろう。ゴミ箱に隠れているのを見つけたのが俺じゃなかったらどうなっていたと思う」
「……あ、あの」
話を遮るように、エミカがすっと手を上げる。
「ついていきたいって言ったのは私の方で――」
「お前もお前だ。こっちの世界は安易な好奇心で足を踏み入れていい領域じゃない。高校生ならそれくらい分かるだろう」
レイの厳しい言葉に、コウとエミカは同時に黙る。レイの言葉はもっともだった。もし全く別のマフィアと同様のトラブルを起こしていた場合、二人とも無事では済まなかっただろう。
「まあまあ、お説教はその辺で」
重苦しい空気を払拭するかのように、ハオは明るい調子で言った。
「何事も無かったんだし、結果オーライ、万々歳。そういうことでこのお話はおしまい!」
ハオはそう言うなり、ぱんぱんと手を叩く。それを合図に、チャイナ服を着た女性がぞろぞろと部屋に入ってくる。その手には料理が乗った皿を抱えている。
「せっかくだからうちのフルコース食べていってよ~。お代はタダだよ~」
テーブルに次々と運ばれる料理に、コウとエミカは目を輝かせた。バンバンジーにフカヒレのスープ、エビチリに春巻きに餃子と、様々な料理が並んでいく。
コウとエミカはちらりとレイの顔色をうかがう。その視線を受け、レイは顎で料理を指し示す。
「せっかくの好意だ。いただいておけ。俺はいい」
「オッケイ。おっさんの了承も得た。エミカ、遠慮なくいただこうぜ!」
「反省してんのか、お前は」
満面の笑みで両手を合わせるコウに、レイは呆れたようにため息を吐いた。




