3-5
「おいおい、ここはいつから中華街になったんだよ」
表の通りをしばらく走っていたコウは、目の前の光景に思わず足を止める。
いったいどこから集まったのか。コウの前方には、軽く三十人は超えるであろうアジア系の男達が道を塞いでいた。男達は皆、コウをまっすぐに睨みながら、ゆっくりとこちらに歩いてきている。
「もう逃げられないぞ、お前」
背後から声がかけられる。振り返ると、先程の小柄の男が仁王立ちしていた。その背後にはさらに追加で三十人程の男達がずらっと並んでいる。
「どんだけ人数投入してんだよ! 人海戦術にも程があるだろ!」
その容赦の無い数に、コウは思わず声を上げる。小柄の男は大きく鼻を鳴らしつつ、余裕の笑みを浮かべる。
「俺達は、容赦しない。喧嘩売られたら、絶対に全力でつぶす」
小柄の男は、コウの方に歩を進めつつ、言葉を続ける。
「女はどこかに隠したか? 無駄だな。他にも、仲間が探している。女もすぐに見つかる」
小柄の男はコウの顔を覗き込むように、顔を近付けて威圧する。コウもまっすぐに小柄の男の眼を見返し――その顔面に思い切り頭突きを放った。
「がっ!!」
小柄の男は顔を抑えながら大きく後ずさる。コウを取り囲む男達が一斉に怒声を上げ、コウに向かって走り寄る。だが、それに反応するようにコウが素早く銃を抜いたことで周囲の男達の動きが止まる。
「……手前!」
小柄の男は口元まで垂れた鼻血をぺっと吐き出しながら、コウを睨む。
「コロス!」
「おいおい、店長とやらには生きて連れてくるよう言われたんじゃないのか?」
殺意むき出しで歩み寄る小柄の男の脚が、コウの言葉で止まる。その反応に満足するようにコウはニヤリを笑うと、銃をクルクルと回しながら言葉を続ける。
「命令違反はまずいよなぁ? これだけの人数連れ出しといて、失敗しましたじゃなぁ」
小柄の男は必死に怒りをこらえながらコウを無言で睨み続けている。
コウは周囲に視線を向ける。周りを取り囲んでいる男達は、一様に怒りと戸惑いで視線を右往左往させている。そんな彼らに余裕の笑みを向けるコウ。だが、その内心はこの一触即発な状態に、耳に響くほど動悸が激しくなっていた。
――さて、ここからどう交渉していくか……。
小柄の男に視線を戻し、次の言葉に思考を巡らせる。現在こちらのアドバンテージは銃を持っていること、そして相手はこちらを生け捕りにしないといけないという点だ。だが、このどちらも相手が躊躇なく殺人を行使することを選んでしまえば意味の無いものとなる。
「交渉の秘訣は過程と目的を細分化すること。そして相手に道を示してやることだ」
レイの言葉が脳裏に浮かぶ。コウは自分の目的を再確認するように、軽く目を閉じ、小さく深呼吸をする。
――エミカからおっさんに連絡はいってる。ここで俺がやるべきことは……殺されずに時間を稼ぐこと!
コウは目を開くと同時に、持っていた銃をホルスターに仕舞い、肩紐ごとホルスターを持ち上げ、自分の足元に落とす。突然の行動に周囲の男達は戸惑った様子でコウを見つめる。
「……何の真似だ?」
小柄の男が尋ねる。コウはすました顔で相手を見返しつつ右手を突き出すと、手をくいくいっと動かし、手招きする。
「手前ら程度に銃は必要無いってことさ。全員のしてやるから、かかって来いよ」
安い挑発。だが効果はてきめんだったようで、小柄の男は怒りに打ち震えている。
「俺が怖かったら、武器でも何でも使ってもいいぞ。ハンデだよ」
「殺!」
遂に我慢の限界を超え、小柄の男はコウに向かって突進した。
コウは右手を突き出した姿勢のまま待ち構える。突進から繰り出される鋭い拳。それを右手で払いのけ、間髪入れず右手を打ち下ろし、同時に打ち出された前蹴りを受け止める。最初の拳はフェイント。後の蹴りが本命だ。
裏を読まれ動揺する男の顔面に、コウは右の裏拳を容赦なく叩き込んだ。
小さい悲鳴を上げながら、男がのけぞる。コウは素早く距離を詰め、男の膝に向かってローキックを放ち、その場に跪かせ、仕上げとして相手の顎を思いっきり蹴り上げた。
血を吹き出しながら倒れる小柄の男。仲間が倒されたことで回りの男達は激高し、怒声を上げながら次々とコウに向かって突撃する。
先陣を切った男の右ストレートをかわし、鳩尾にボディブローを叩き込む。続いて背後からつかみかかろうとする男の顔面に、振り向きざまの蹴りを放った。
「さぁ、どうした! この程度か!」
コウは高らかに叫ぶ。取り囲まれないよう常に移動しながら、瞬時に周囲に目を配らせ、敵の動きを予測する。そして相手の攻撃に合わせたカウンターを正確に決めていき、少ない手数で次々と打ちのめしていく。
だが、数人倒したところで多勢に無勢。包囲は段々と狭まっていき、コウの動きも制限される。そしてついに相手の拳がコウの顔面を捕らえた。
「くっ!」
顔を殴られながらも渾身のアッパーを相手の顎に打ち込む。だが別の男の拳が再びコウの頬を殴りつけ、さらに鋭い蹴りが腹部を貫いた。
コウはたまらずその場に倒れこんだ。男達は群がるようにコウを取り囲み、容赦なく脇腹や顔に蹴りを浴びせていく。コウはその場に丸まり、男達の攻撃に必死に耐える。
そんな中、コウはおもむろに懐から取り出した何かを真上に放った。突然のことに、男達は動きを止めてそれに注目する。そして男達は、それが掌サイズの筒状の物体であること。そして物体から音を立てて安全レバーが吹き飛んでいるということを認識し、驚きで顔を強張らせる。
その物体は地面に落ちると同時に、パンっと乾いた音を立てて辺りに勢いよく煙を吐き出し始めた。煙に包まれていくコウに、男達は慌てて煙の中に腕を伸ばすが、その手はむなしく空を切った。
「探せ! 奴が消えた!」
男達の怒声が飛び交う。そんな中、コウは地面をゴロゴロと転がりながら、追加のスモークグレネードを周囲にばらまいた。乾いた音と共に煙がますます濃くなっていく。
「あぶねえ、スモークグレネード持ってきといて良かった」
コウはそう呟きながら、地面を這いつくばるようにして、煙の中を進んでいく。煙幕の中は数センチ先も見えないほどに視界を塞がれており、周りの男達は足元をカサカサと進んでいくコウに全く気付いていなかった。
「えぇっと確かこの辺に俺の銃が」
煙の中をある程度進んだ辺りで、コウは動きを止めて、先程放った自分の銃を手探りで探し始める。やがてホルスターの革の感触が指に触れ、コウの口元が緩む。
ホルスターを掴み自分の元に引き寄せる。だが、肩紐が何かに引っかかっているようで、途中でホルスターの動きが止められる。
「…………」
コウはもっと強く引っ張ろうかと一瞬考える。それと同時に頭の片隅に嫌な考えが浮かぶ。
――もし俺が銃を拾うのを見越してる奴がいたとしたら……。
コウの背中に冷たいものが走り、ホルスターを手放す。
だが遅かった。
音もなく煙の中から伸びた腕が、一瞬にしてコウの首にまとわりついたのだ。
「っ!!」
コウは慌てて相手の腕を掴むが、時すでに遅し。完璧にスリーパーホールドを決められている状態となった。地面を這う姿勢だったのも災いし、満足に身動きも出来ない状態で頸動脈が締め上げられていく。
コウはなんとか切り抜けようと歯を食いしばるが、抵抗むなしく意識は遠のいていった。




