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そんなコウの事情を見透かすかのように、小柄の男は肩を揺らして笑いながら口を開いた。
「情報古い。この辺を仕切ってた奴、一昨日皆殺しにした。ここ既に『金獅子』の縄張り」
金獅子。その名を聞いて、コウは血の気が引いていくのを感じた。
金獅子とは中国から流れてきたマフィアで、日本にいたヤクザ者を無差別に取り込み、一大勢力を築いたチャイニーズマフィアだ。日本四大マフィアの一つでもある。目的のためなら手段を選ばない残忍さで知られ、裏社会でもトップクラスに関わってはいけない組織だ。
「お前が、選べるのは二つ。このままついてくる。怪我をしてついてくる。どっちする?」
小柄の男の言葉に呼応するように、左右の男達がボキボキと指の骨を鳴らす。
コウはチラリとエミカのほうを見る。エミカは怯えきった表情でコウと小柄の男と交互に視線を送っている。
コウは覚悟を決めたように大きく息を吐くと、ゆっくりとした動作でジャケットを開き、腰に取り付けられた銃のホルスターを相手に見せつける。
その場の空気が、一瞬で張り詰められる。男達の顔から笑みが消え、無表情のままコウを睨んでいる。
「おい、抜けよ」
小柄の男が、ゆっくりと口を開く。
「撃ってみろよ。撃ったら、俺達は死ぬ。でも、お前らも知り合いも、皆殺しだ」
小柄の男の言葉は淡々としており、死を恐れている様子は微塵もなかった。それは背後に絶対の力を持つ組織がいるからこそ出来る覚悟だった。
コウは両手をだらんと下げた状態で、男達を見据える。互いに無言のまま睨み合い、相手の一挙手一投足に全神経を集中させる。
そんな中、ふとコウの視線が男達の背後のほうに向けられた。
「あ、警察」
コウが小さく呟く。その言葉に、男達は慌てた様子で振り返った。
だが、背後には閑散とした道が広がっているだけで警察らしきものは見当たらなかった。男達は眉をひそめつつ、顔を前に戻し――こちらに背を向けて全速力で走り去っていくコウとエミカに一瞬言葉を失う。
「はっ! 古い手に引っかかってんじゃねえよ!」
エミカの手を掴んで走りつつ、コウは高らかにそう言った。
「抓住他!! 抓住他!!」
背後から怒りに満ちた中国語が飛び交う。コウは脇目も振らずに走る。
「……って、ちょっと、待って……」
すぐ後ろから、エミカが息も絶え絶えに呟く。振り返ると、エミカが必死な表情で浅い呼吸を繰り返しながらついてきていた。極限の緊張状態からの突然のダッシュに、息切れを起こしているようだった。
後方からどんどん距離を縮めてくる男達。このままでは追いつかれると踏んだコウは、視界に入った飲食店、『二四食堂』と書かれた店の方に進行方向を変える。
「はーい、ちょっと失礼!」
店内へ勢いよくなだれ込んだコウは、店員の悲鳴もよそにキッチンの方へと向かう。突然の乱入者に、厨房内の作業員は皆、目を白黒させてコウを見ている。
コウは一瞬足を止め、勝手口を探す。目的の玄関を視界に捕らえ、そちらに向かって再び走り出す。その時、ぐっと後ろに引っ張られる感覚と共に、エミカが悲鳴を上げた。
「掴んだ! 捕らえた!」
振り返ると、追ってきていた男の一人がエミカの腕を掴んでいた。エミカは拘束から逃れようと必死に暴れている。
コウは傍らにあった火にかけられていたフライパンを手に取ると、それを男の手に向かって思い切り振り下ろした。フライパンの衝撃と高熱に、男は甲高い悲鳴を上げた。掴んでいた手を放し、涙目でその場に倒れこんだ。
「エミカ、こっちだ!」
コウはエミカの手を引きながら、勝手口の玄関を開け、路地へ出る。扉を閉め、傍らに積み上げられていたビールのカゴや壊れた電光看板などをドアの前に次々と積み上げる。
「まぁ、少しは時間稼ぎになるだろ」
コウはそう呟きつつ、辺りを見渡し、目的の物を探す。すぐに見つかった。エミカがコウの視線の先に顔を向けると、そこには大型のダストボックスが置かれていた。
コウはダストボックスに足早に駆け寄ると、エミカに視線で入るよう促す。エミカは露骨に嫌そうな顔をする。
「ちょうど今日が回収日だから中は空だ。ちょっと生臭いかもしれないが我慢してくれ」
エミカがなおも躊躇っていると、勝手口のドアから怒鳴り声と扉を蹴る音が響いた。思わずエミカは肩を震わせる。
「早く!」
コウの言葉に、エミカは決心したように大きく頷き、ダストボックスのふちに足をかける。コウはエミカの手を取り、入る手助けをしながら、ポケットから取り出した自分のスマートフォンをエミカに手渡す。
「これでおっさんにメッセ飛ばして迎えに来てもらえ。あいつらは俺が引き付ける!」
「でも、あなたが危険じゃ――」
「安心しろ。この手の危険は何度も潜り抜けてきた。ハンターを舐めるなよ?」
コウはそう言って、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる。エミカはその笑みをまっすぐに見つめ、そして小さく頷いた。
「よし、閉めるぞ。大人しくしとけよ?」
エミカが小さく身をかがめると、コウは静かにダストボックスの蓋を閉めた。
周囲が薄暗くなり、コウの走り去っていく音が聞こえる。やがて大きな音を立てて、扉が蹴破られる音が響いた。無数の足音と怒声がすぐそばを通り過ぎていくのを、エミカは息を押し殺しながら感じ取っていた。わずかな音も立てぬよう、膝を抱えた姿勢のまま周囲に静寂が訪れるのを待つ。
やがて人の気配が完全に通り過ぎて行ったのを感じたエミカは、コウから受け取ったスマートフォンをゆっくりとした手つきで操作し、レイにメッセージを送る。
『助けてください! 先日依頼した中野絵美香です! 今、ヤクザに追いかけられていて私は二四食堂のゴミ箱の中に隠れてます! 迎えに来てください! コウさんも今追いかけられています!』
要点だけをまとめたメッセージを急いで作成し、レイへ送信する。エミカは送ったメッセージを一心不乱に見つめ、やがて既読表示がついたことに大きな安堵の息を漏らす。
レイからの返信が来ないか、画面をじっと見つめるエミカ。それから数分待ち続けた頃、静かだった路地に、ゆっくりと歩く足音が響いた。
レイの迎えだ。そう確信したエミカは外に出ようと、ダストボックスの蓋に手をかけ――足音が一つでは無いことに気付き、その身を強張らせた。
「……!!」
エミカはゆっくりと体を戻し、耳を澄ませる。こちらにまっすぐ向かってくるその足音は複数人、それも五、六人分はあろうかという数だった。
エミカは視線をさまよわせながら、コウのスマートフォンをぎゅっと握りしめる。そして足音がこのまま通り過ぎてくれることを必死に祈った。
だが、無数の足音はエミカの隠れるダストボックスの前でピタリと止まった。そして間髪入れずに蓋が乱暴に開け放たれた。
「……ひっ!」
ダストボックスを取り囲むように並んだ無数の男達の視線を一身に受け、エミカは小さな悲鳴を上げた。




