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「うわ、ビックリした!」
扉を開けるなり、エミカが驚きの声を上げた。
「いつまで事務所の前をうろついてる気だ? 暑いんだからさっさと入りな」
コウはそう言って営業スマイルを浮かべつつ事務所の中を指し示す。
「え、気付いてたんですか?」
エミカの問い掛けにコウは扉の上部に設置された監視カメラを指差す。エミカの視線がそちらに向くなり顔が真っ赤に染まる。
「ま、とりあえず、ようこそ柏木ハンター事務所へ」
コウは決まり文句を言いながら、エミカを事務所の中へ案内する。一番近くのソファに座らせると、奥の冷蔵庫からボトルに入った冷たい水を取り出し、エミカの前に出す。
「暑いお茶よりこっちのがいいだろ?」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
エミカは丁寧に一礼するとボトルの水をくびくびと飲み始める。相当喉が渇いていたようだ。
「自己紹介がまだだったな。俺の名前はコウ。気軽にコウって呼んでくれ。今日はもう学校終わったのか?」
「今日は終業式だったんで午前で終わりです」
「てことは、夏休み突入か。いいねぇ、遊び放題だ」
コウは明るい調子でそう言った。だが対照的にエミカの表情に暗い影が宿る。
エミカはボトルとコウに視線を交互に送り、何かを言いたそうに口を開く。しかし未だに決心がつかないのか、その口から言葉は出てこなかった。
「……要件を聞こうか」
コウは真剣な表情でエミカに向き直りそう告げる。
「まず安心して欲しいんだが、うちは顧客の守秘義務は絶対に守る。ここで話した内容も、ハンターを雇ったという事実も、決して外部に漏れることはない。そして覚えていて欲しい。俺達は法の番人でも正義の味方でもない。たとえ依頼内容が後ろ暗いことであっても、必ず依頼を達成する」
コウは真っ直ぐにエミカを見つめつつそう言った。その言葉にエミカは何かを決心したような表情を浮かべると、重い口をゆっくりと開いた。
「実は私のクラスメイトのことなんですが……」
エミカは慎重に言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「クラスに一人、アメリカからの留学生がいるんです。名前はマリアって言います。その子、一応日本語は分かるみたいなんですが、あまり周りと絡みたがらないというか、結構孤立しがちで」
エミカはそこまで話し、コウのほうをチラッと見る。コウは、続けて、と催促する。
「それでお節介かなぁと思ったんですけど、私のほうからちょくちょく話しかけたりしてたんです。向こうの国の話とか、日本の住み心地はどうかなぁ的な話とか。それで聞いたんですけど、元々親に無理矢理留学させられた感じだから、やっぱりアメリカに帰りたいってよく言ってました」
「その子に何かあったのか?」
コウがそう尋ねると、エミカの表情が暗くなった。
「実はここ最近、学校をサボるようになってきて。たまに学校に顔を出したと思ったら、心ここにあらずな感じでずっとぼーっとしてて、おまけにどんどんやつれてきてる感じで、この前なんて急に教室で吐きながら倒れちゃって――」
エミカは肩を震わせながら言葉を吐き出していく。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「いくら電話しても繋がらないし、結局テストにも終業式にも出てこなかったし、私すごく心配で……」
そこまで言うとエミカは顔を上げ、コウに向き直る。
「お願いです。マリアが今どこで何してるのか――せめて無事なのかどうかを調査してくれないでしょうか?」
そう言って、エミカは深々と頭を下げる。
「…………」
コウは沈黙したまま、エミカを見つめていた。その表情は困惑で満ちている。その理由は彼女の話から一つの言葉を連想していたからだった。
互いに固まったまま、その場に静寂が訪れる。どう話を切り出そうか思いあぐねるコウは、視線をさまよわせながら小さく唸る。
「ドラッグだな」
その静寂を破ったのはレイだった。腕を組み、壁にもたれかかりながら、こちらに顔を向けている。
「え、誰?」
驚いた様子で顔を上げたエミカは、開口一番そう言った。
「あぁ、うちの事務所の所長。一応俺の上司兼相棒。周りからはレイって呼ばれている」
「所長の柏木だ」
レイは軽く自己紹介を済ませ、こちらに歩み寄ってくる。エミカも軽く頭を下げる。
「話を戻そう。マリアと言ったか。その女の症状、話を聞く限り薬物中毒の可能性が高いな」
エミカを見下ろすような形でレイが言った。エミカの息をのむ様子がはっきりと見て取れる。
「学生でも手が出せるドラッグって言うとハーブ系?」
コウが尋ねる。レイの顔がそちらに向く。
「分からんな。犯罪組織が爆発的に増えたことによる供給過多で、ドラッグの値段はかなり下がっている。上物ですら全盛期の十分の一と言われている。安物なんか、それこそワンコインで購入できる」
レイの顔が再びエミカの方に向く。
「おい、お前。そのマリアという女の体臭はどうだった? 甘ったるい匂い、焼いた草のような匂い、薬物中毒者は総じて独特の体臭を放つ」
「……それは……草みたいな匂いがしました」
エミカはたどたどしい口調でそう言った。
「ハーブだな」
レイははっきりとした口調で告げる。コウはレイに顔を向ける。
「脱法ハーブって今はどうなんだ? 最近はリキッド型が主流って聞いたが」
「シノギのメインに据えているところは少ないが、数は出ている。やはり売値が安くても金になるのは強い。吸い物なら元手はほとんどタダ同然だからな」
「草に薬品まくだけだもんな」
「とにかくだ。その女の行方を追うなら、売人の出入りしている場所を探すといいだろう。売人の多い店をいくつか教えてやる。あとは自分でやれ」
レイはそう言って、二階の階段に足を掛ける。そんなレイの背中をコウは呼び止める。
「ちょっと待て、おっさん。さすがに自分でやれはないだろ。事務所の信用どこいった」
「支払い能力の無い人間にやってやれるのはここまでだ。この情報をどうするかはお前次第だ」
レイはそう言って、振り向きざまにエミカをじっと見据える。その視線に、エミカは一瞬たじろいた。
「で、でも、この人が無料でいいっていうから」
そう言ってエミカはコウを指差す。
「おいこら、素敵な脳内変換かましてんじゃねえ。無料は相談だけっつっただろうが」
「そもそもお前は、うちの事務所の依頼料金がいくらか分かっているのか?」
レイは呆れた様子でそう尋ねる。エミカは困惑した表情を浮かべながら、コウに視線を送る。
「いくらくらいなんですか?」
小さな声でそう尋ねる。コウは苦笑いを浮かべつつ、遠慮気味に指を一本立てる。
「一万円?」
「百万円」
コウの言葉にエミカは言葉を失った。




