1-3
わずか数十分走った程度だというのに、周囲からは人の姿が減り始め、荒れた店や古い作りの民家がぽつぽつと散らばり始めていた。時折、やけに真新しい店が二、三件ほど目に付き、明らかにカタギでない人間が出入りしていた。
「この辺もだいぶスラム化してんな」
ゆっくりと車を走らせながら、コウは呟いた。周囲の風景は同じ国とは思えないほどすっかり変わり果てていた。
落書きだらけで色もくすんだ壁の建物がそこら中にあり、町全体が淀んだ空気で覆われているような錯覚を覚える。所々に様々な言語で書かれた求人ポスターが貼ってあり、ホームレスのような汚らしい恰好の中年がそれをぼーっと眺めていた。
「本当にこんなところに依頼人がいるのか?」
コウはナビをちらりと見ながら尋ねる。目的地まであと数百メートル程だった。
「もう見えてくるはずだ。あぁ、あの建物だ」
レイが正面を指差し、それに釣られるようにコウもそちらに視線を向ける。
コウの前面には、薄汚いブロック塀に囲まれた大きな建物がそびえ立っていた。入口らしき場所の塀には文字が潰れて読めなくなったネームプレートが取り付けられている。
コウは怪訝な顔でそれを眺めつつ、車で中に入っていった。
元は何かの倉庫だったのだろうか。安っぽいスレートで覆われたその建物は、全体が赤錆で覆われており、妙な威圧感を放っている。敷地内はかなり広く、建物の手前は土で綺麗に舗装されたエリアが広がっていた。
コウは周囲を軽く見渡し、我が目を疑った。遠くでは多様な人種の子供達が楽しそうにサッカーで遊んでおり、その脇には木材で作られた簡易的なテーブルとイスに腰かけた老人達が談笑していた。
「何ここ?」
スラム街から突然昼下がりの公園にワープしたような錯覚に陥ったコウは怪訝な表情を浮かべる。
「『真愛会』。日本で増えた不法残留の子供や家出した子供、行き場のない老人達などの為に作られた非営利団体だ」
「名前も活動内容も、胡散臭さの塊だな」
コウは建物のそばに車を止めつつそう言った。レイは苦笑を浮かべつつ、車から降りる。
「もう十年以上は活動している団体だ。国籍取得や帰国の支援。他、教育関係の支援も積極的に行っている。近くに宿舎もあって身寄りのない者をそこに泊めているようだ。運営費は全て支援者からの寄付金のみで、国からの援助は受けていない。軽く金の流れも調べたが、まぁ真っ当な団体だ」
レイの説明を聞きつつ、コウも車を降りる。ふと周りを見渡すと、遊んでいた子供達が目を輝かせながらコウの車を取り囲んでいた。
「すげー、なにこの車!」
「ちっこくて、おもちゃみてぇ!」
子供達は思い思いに感想を述べながら、コウの車を泥だらけの手でベタベタと触り始める。
「おいこら! 汚い手で触ってんじゃねえ、ガキ共!」
コウが声を張り上げながら子供達を追いかけ始める。それに呼応して子供達も甲高い悲鳴を上げながらバラバラに逃げ始めた。
ちょこまかと逃げ回る子供達に翻弄されるコウ。レイはそれを呆れた様子で眺めていた。
「おや、うれしいですね。子供達と遊んでくれているんですか?」
レイの背後から声が掛けられる。振り返ると、柔らかな笑みを浮かべた男が立っていた。
年齢は三十前半くらいだろうか。短く刈りあげた黒髪と、やや丸みのある顔付き。微笑んだ顔から、温和そうな性格が読み取れた。少々くたびれた上下紺のスーツを着ており、袖から大きめな腕時計が覗いている。
「わざわざご足労頂き、ありがとうございます。わたくし、真愛会で管理をやっております、羽山義仁と申します。本来ならわたくしがそちらに伺うべきなのでしょうが――なにぶん忙しい身でありまして」
羽山は頭を下げながら丁寧な口調で言った。
「さぁ、中へどうぞ。お連れの方はどうされますか?」
羽山の言葉に、レイは後ろを振り返る。背後では、子供の足払いで転ばされたコウが、そのまま子供達に取り囲まれ、容赦なく蹴られまくっていた。
「……あいつは放っておいていい」
レイは呆れたようにため息を吐くと、そのまま建物の方へ足を向けた。
建物に入ると、やや湿ったカビの臭いが鼻を突いた。通気性が良くないのか、室内全体がどんよりとした空気に包まれている。
羽山の後を付いていきながらレイは周囲を見渡す。大きな黒板と無数の机が並んでいる教室らしき場所や、様々な年齢層に向けた書物が収められた本棚が並ぶ場所等、狭い建物内とは思えない程に多くの物で溢れていた。
「子供達への勉強は私が教えています。小中レベルの国数理を中心に。さらに意欲的な子には専門家をお呼びして、個別授業も行っています」
周囲に視線を送るレイに、羽山は振り向きつつ、にっこりとした顔を向けた。
「外見からは想像できないくらい、充実しているな」
「はは、手厳しい意見ですな。建物を綺麗にしようとずっと考えているのですが、予算的にも仕事の量的にも、ずるずると後回しになってしまって。さぁ、どうぞ。お座りください」
羽山に案内されたのは、一番奥の部屋――薄い板で気持ち程度に仕切られた場所だった。中央に大きなテーブルとそれを囲むように古いパイプ椅子が置かれている。レイは一瞬座るのを躊躇したが、少し間を置いて、入口の見える奥の椅子に腰を下ろした。
「それでは早速仕事の話をしましょう。電話でも軽くお話ししましたが、この少年を探してほしいのです」
羽山は向かい合う形でテーブルにつくと胸ポケットから一枚の写真を取り出した。レイは黙ったままその写真を受け取る。




