迷い
エルランジェ邸へと帰宅する馬車の中で、一人ミレーユは手渡された小瓶と、仮面舞踏会への招待状を見つめていた。
不妊治療の相談に行ったと思ったら、思い掛けない物を渡されてしまった。
そもそも、本当にこの薬に効果などあるのだろうか。人の心を操るような怪しげな薬、そんな物を他人に使っていいものか。
本来ならそれは確実に罪に問われるような行いではあるが、ミレーユとユージオは夫婦であり、閨を共にしていない事の方が問題だった。
舞踏会の話が出たせいか、ふと頭に過った事がある。ここ一年の間に参加した夜会では、高確率でマデリーンを見かけている。王宮の夜会などでは見かけず、毎回と言う訳ではないが。もしかして、ユージオとマデリーンは事前に出席する夜会を二人で打ち合わせていたのではないか。そう思い始めた。
今まで参加する事のなかった邸宅で開かれる、夜会への出席も増えた気がする。
それも、マデリーンが呼ばれても問題のない、格式が高すぎない家での夜会が。
嫌な事ばかりを想像してしまう。
そんな浮気相手に夢中な男の心を、薬で一時的に自分に向けたとしても、虚しいだけではないのか。偽りの心なんて。
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「お帰りミレーユ。出掛けていたんだね」
帰宅すると、すぐに出迎えてくれたのはユージオだった。
「え、えぇ……」
「何処に行ってたんだい?」
「えっと、リュシーの所へ……」
咄嗟にリュシエンヌの名前を出してしまったが、嘘をつきなれていないミレーユは、罪悪感に苛まれそうになる。
「そうなんだ。相変わらず仲がいいね、良かったら一緒にお茶にしないか?」
了承すると、ユージオはすぐに使用人にお茶の用意を指示した。サロンには二人分のお茶が運ばれ、お茶請けに薔薇や菫の砂糖漬けも用意されている。
一旦寝室に戻った時に、仮面舞踏会の招待状はドレッサーの、侍女が手にしない箱の中に隠してきた。そして使うつもりが無い、というより使う勇気が無い、惚れ薬が入っているという小瓶は未だドレスに忍ばせてある。
ゾフィーは薬を、お茶や食べ物に一滴垂らすだけでいいと言っていた。
一応夫婦なのだから、食事は毎日共にする。しかし、食事は執事が給仕をするし、お茶を運ぶのは侍女。今だって機会があるのかどうか、一応観察してはいるものの、成功するのは難しい気がする。
ユージオの気を何処かに逸らして、気付かれないように薬を紅茶に入れるだなんて、そんな器用な真似は現実的ではないだろう。
視界の隅にユージオを捉え続けていると、ふと時計を見ながら何か考え事をし始めた。そんな彼を横目に、咄嗟にユージオの飲みかけの紅茶に視線を移す。
紅茶を見つめたまま固まっている、一点を見つめ続ける妻に気付いたユージオは「どうかした?」と尋ね、ミレーユは何でも無いと言って、自分のカップに口を付けた。
(やっぱり無理だわ……)
ミレーユは寝室に戻ると、小瓶は香水瓶の中に紛れ込ませた。
窓の外は、日が落ちる寸前の茜色の空。
惚れ薬なんて効くかどうかも分からないのに、変な行動に出て不審がられてはいけない。
でももし、これが本当に効き目のある薬だったなら……。