シャーデンフロイデを利用した”ざまあ”な追放物の真の主人公は誰なのか?
さて、私は以前に”物語にはいろいろなパターンがあるが、なろうで読まれるのは”地獄から天国””というエッセイの中でなろうで受けるパターンは基本的に”地獄から天国”だけなのですね。と書きました。
しかし、最近はちょっとそれは違うのではないかと思い始めたのですね。
ざまあというのは「失敗した様の醜さを見て知れ」というものですがあくまでも対象の愚行や明らかな力不足が原因である失敗に対して言うもののようです。
そしてざまあというのは、ドイツ語ではシャーデンフロイデといわれるものですね。
シャーデンフロイデが生じる状況の典型的特徴は他者の不幸が愚かな行動による相応の結果であり、不幸の度合いはそこまで深刻では無く、意図的に相手を不幸に陥らせる訳ではなく、たまたま見聞きして幸福感を得るもの、だそうです。
つまり自分より社会的地位において優位にある他者が自らの愚かの行動によって見舞われた不幸によって自分より劣った社会的地位となることで果たされる消極的な復讐だそうですが、ざまあが終わると面白くなくなるというのはこの復讐心が果たされてしまうからなのでしょう。
そういった観点から見ると追放物における、本当の主役は追放を行う勇者などの方で、目的はその転落を楽しむもの。
実は超すごい主人公ががちやほやされるとかは副次的なものになってしまっているのでしょうね。
そして女性向けの婚約破棄などにおいては実はざまあは大した意味がないと思います。
女性とっては婚約破棄をする王子やヒロイン、さらにはそれらに所属する国が社会的地位やら存在やらを失うことはあくまでもおまけ。
好きでもないろくでもない浮気男と縁が切れて、ハーレクイン的な一途でかっこいい理想の私の王子様が迎えに来てくれるというシチュエーションが大事だからだと思うからですけどね。