2020/6/16(火)
こんな夜更けにこんばんは。
耳の聞こえないちっちゃい子を相手にして、
この子、めっちゃ喋るやんと思った。
別に、そんな子世の中沢山いるし、
聞き取れなくても、手話で分かる子もいたし、なんとか聞き取れる子もいた。
でも、この子、手話も声も、私には何を言っているのか全く分からない。
早口の子であっても、滑舌が多少なら
分かるけど、久しぶりだ、こんなの。
他の大人たちは、大体分かってるようだけど、自分だけ分からなくて、
ほぼほぼ、でしょ、とか、同意を求める時の素振りとか、表情で判断して、合わせていたような気がする。
次から次へと興味の移る子だったなあ。
聞こえる聞こえない関係なく、
そんな子に沢山会ってたな。
でも状況だけで、何言ってるか
判断するのはきつい。
遊んでいる時に、何度違う違うと言われたことか。
会話をして楽しんでいる時は、
しっかりと見て聞いて、良い子なんだけど、
こんな自分は全く伝えてくれたことが
分からなくて、
なんだか申し訳なくなる。
私が
「もう一回言って」
これを何度も繰り返したら、
他の人はもういいやとなると思う。
常に伝えてもいいかもしれないけれど、
伝わらないから、こうして欲しいは
そんなちっちゃい
子どもに何度もできるのか。
なんか、どっかで、
自分は諦めていないか。
ある言語者が言っていた。
私がどれだけ読み取ろうとしても、
どうしても、会話の中でわからないことは
多少なりともある。
でも、大体分かれば、伝わりあえる。
だから、全てを通訳してくれる人が
いなくてもいい。
なんてようなことだったのを聞いた。
言葉は使いこなしてこそ、
たくさんの人と繋がれる。
今は、その子どもには
これで終えて欲しくない。
これは最後とか、もう少し大きくなって
辿り着けばいい。
今は、繋がることが成長につながればいいか。
自分は、何も教えていない。
何も伝えられていない。
まだまだただの木偶の坊であった。
でも、筆談をしてでも、
私と話して遊ぼうとしてくれたことは
嬉しかったな。
そこまで気を使わせてしまったのは
申し訳ないけれど。
という感じで今日のことは、
吐くだけ吐いて終わります。
おやすみなさい。




