#6 祈りの騎士、クールムーン誕生!(前編)
ある日の休日――。
月美は望夢とともにある場所へと来ていた。
仲良く手を繋ぎながら――。
ある場所というのは声優事務所「株式会社ムーンライト」であった。
この事務所に所属している人数は30人程度と少ないが、その中のベテラン声優は知らない人はいないであろうという人たちばかりである。
もちろん新人声優も所属しているが、彼らの名が知れるにはまだまだ時間がかかりそうである。
そして、ここの社長というのがなんと月美の実の父親なのである。
故に、あの豪邸で暮らしていることに納得がいく。
さて、そんな事務所に月美と望夢は何をしに来たのだろうか――。
もしかして、入社希望の面接でも受けに来たか――。
すれ違った数人の声優に挨拶をしながら辿り着いた先は社長室であった。
トントントンと3回ノックを鳴らす。
ちなみに、入室時のノック回数は3回が適切――。
2回はお手洗いの個室に誰か入っていないかの確認をする際の回数とされている。
是非、覚えておこう。
「入っていいぞ」
そっとドアを開けると、真っ先に目に入ったのは威厳ある男性が座っている姿――。
これが月美の父親兼社長である。
そして、その向かいに1人の女性がちょこんと座っている。
その女性は月美と望夢の姿を目にするとキラキラと目を輝かせた。
「もしかして、社長の娘さんと息子さんですか?」
「はい、初めまして。昼庭月美と申します」
「初めまして。昼庭望夢です」
2人は丁寧にお辞儀をした。
ちなみに、望夢が人前で「西表」ではなく「昼庭」と名乗るのには意味がある。
望夢の父親は望夢が生まれる前に他界、望夢の母親も望夢を産んですぐにこの世を去った。
そんな身寄りがなくなった望夢を受け入れたのが、月美の母親である葉月だった。
葉月は望夢の母親の妹、故に望夢と月美はいとこ関係にあたるのだ。
さて、どうして望夢が人前で「昼庭」と名乗るかお分かりいただけただろうか――。
理由は、単純に家族関係の説明が面倒くさいからというものである。
「初めまして!声優の諏訪部瑠衣です!10月から始まるアニメで主演を演じることになってます!」
瑠衣も丁寧にお辞儀をした。
しかし、早々に頭を上げて社長に対して目を輝かせた。
「我が社のルールだからな――」
実は株式会社ムーンライトのルールの1つに初主演が決まったら昼庭社長の子供、月美と望夢に会えるというものがあるのだ。
2人からするとすごく迷惑な話だろうが――。
しかし、2人は嫌な顔1つせずにこうして事務所へ赴いてくれる。
そんな2人の態度のよさから、いつしか社内では「社長の子供に会うために初主演を狙う」という目標が根付いていた。
まぁ社長としても社員がそれでやる気になるのならばということで、特に訂正することはなかったらしいが――。
月美と望夢も父親の力になれるのならばと反対はしなかった。
「瑠衣さんはどんな作品に出るのですか?」
「月美ちゃんは乙女怪盗団は知ってるかな?」
「ええ、もちろん」
「わたしが出演する作品は乙女怪盗団の敵であるゲリラ団の一員の哀って男の子にスポットを当てた作品よ。哀はゲリラ将軍に作られたAIだから本来は心がないの。でも、乙女怪盗団と接していく内に徐々に感情が芽生えていって――」
コホンとわざとらしい咳払いが聞こえた。
「ネタバレは控えるように――」
「すみません――」
「瑠衣さんは主演が決まって本当に嬉しいのね。握手してもらってもいいですか?」
「もちろん!」
瑠衣は優しく月美の手を包み込むように握手をしてくれた。
香水をつけているのか、フワッと柑橘系の薫りが月美の鼻をくすぐった。
「俺も握手してもらっていいですか?」
「もちろん!」
瑠衣は望夢の手もふわりと包み込んでくれた。
だが、気のせいだろうか――。
先程よりもにやけているような気がする――。
「瑠衣。もうそろそろ打ち合わせの時間だろう?」
「えー、もうですか?」
瑠衣は口を尖らせる。
その間も望夢の手を決して離そうとはしなかった。
「早く行きなさい」
「はーい。またね、月美ちゃん!望夢くん!」
「はい、お仕事頑張ってください」
「また事務所に顔出しに来ますね」
瑠衣は手を振りながら、満面の笑みで部屋を出ていった。
「毎回すまないな。おまえたちも暇じゃないのに。特に、望夢は受験勉強に集中するために無理しなくていいんだぞ?」
「これも一種の気分転換だからさ。父さんも無理するなよ?」
「大丈夫さ。さて、俺も打ち合わせがある。邪魔しない程度なら社内を見て回ってもいいぞ」
「了解。それじゃあ月美、帰るぞ」
「うん!バイバイ、パパ!」
2人はまた手を繋いで部屋を出ていった。
☆
社内にはたくさんの部屋があり、いくつかの部屋では何人かが打ち合わせをしているのであろう。
笑い声が聞こえてきたり、セリフの練習をする声が聞こえてきたりと様々である。
「星奈ちゃんとひぃちゃんも連れてきたいなぁ――」
「遊びじゃないからダメだ」
「分かってるもん」
月美はわざとらしく頬をプクっと膨らませた。
それがひどくかわいかったのであろう。
望夢は月美の頬をつっついて遊び始めた。
そんな仲良くじゃれあう2人のもとに1人の男性が慌ただしく走ってきた。
そして、床につまずいて派手にこけた。
「大丈夫ですか?」
「た、助けて――」
「落ち着けって。何があった?」
「い、石にされる!モアイで石にされる!助けて!」
2人の顔がきょとんとしている。
それもそうである。
男性の発言が何一つ理解出来ないのだから――。
そもそも、モアイで石になるってどういう意味であろうか――。
ふと、コツコツと足音が聞こえてきた。
見ると、黒基調の衣服に身を包んだ少年がこちらへ近づいてきていた。
無表情の顔にはサングラスをつけており、手には何やらモアイ像の頭みたいなのも抱えていた。
しかも、そのモアイの額には奇妙な鍵穴がデザインされている。
もしかして、モアイ像ってあれのことだろうか――。
月美はまじまじとその少年を見ていたのだが、いきなり足が動き出した。
いや、違う――。
望夢が月美の腕を引っ張って走り出していたのだ。
「お、お兄ちゃん⁈」
「今は何も考えず走れ!!」
男性も逃げようとはしているのだろうが、うまく足を動かすことが出来ず後退りするのが精一杯であった。
「逃げても無駄だよ――。みーんな、仲良く染まっちゃえ――」
少年の言葉を合図としたのだろうか――。
突如、モアイ像から耳が割れるほどの大きな音が流された。
その音は通路全体に響き渡った――。
しばらくして、月美はそっと目を開けた。
そして、誰かがギュっと抱き締めてくれていることに気付いた。
望夢だった――。
「――大丈夫か?」
「うん、わたしは大丈夫。お兄ちゃんは――」
そう言って、月美は絶句した――。
望夢の足が灰色に染まっていたのだ。
まるで石のように――。
先程の男性も全身が灰色に染まっていた。
それどころか、床も壁も天井も灰色に染まっていた。
何が起こったのか、全くもって理解が出来なかった――。
「いいか?今すぐここから離れて、あいつに見つからない場所まで逃げるんだ。そして、あいつが立ち去るまでそこで隠れてろ」
「嫌だ!お兄ちゃんと一緒じゃないと嫌だ!」
「無茶言うな。俺はもう動けない。おまえだけでも逃げろ」
「嫌だ!」
月美はボロボロと涙を流し、望夢に抱きついた。
その間にも望夢の身体はどんどん灰色に染まってゆく――。
何も言葉を発することなく、少年がゆっくりこちらへと進んでくる。
「いいか?あのモアイ像から発せられる音波に直接当たらなければこんな風になることはない。大丈夫。誰かがこの状況を救ってくれる。だから、それまでおまえはどこかに隠れてろ」
「絶対に嫌だ!」
「いい加減にしろ。おまえだけでも助かってほしいから言ってるんだ。お願いだから言うことを聞けって――」
月美は更に大粒の涙を流した。
しかし、プイッと望夢にそっぽを向けるとそのまま走り去っていった。
「何があっても希望は捨てないさ――」
やがて、望夢の身体も完全に灰色に染まり動かなくなった。
それを何の興味も無さそうに無視して、少年はその場を通りすぎるのであった。
☆
月美は走った。
流れ出る涙が吹き飛ばされるほど必死に走った。
後ろを確認し、誰もいないことを確認すると近くにあった部屋へ入った。
勢いよく扉を閉めてそのまま座り込む月美――。
息を整えてから部屋を見渡した。
そして、また絶句した――。
先程別れた瑠衣とその打ち合わせの相手だろうか――。
その2人も灰色に染まっていた。
もちろん、部屋の床や背後の壁までも――。
月美は怖くなり、扉に手をかけた。
しかし、それと同時にコツコツと足音が聞こえてきた。
あの少年がこちらへ近付いてきている証拠だ。
今外に出れば確実に狙われるであろう。
月美はうずくまり、声を殺しながらも泣いた。
――わたしはみんなの幸せを願ってきました。
――こんな結末を望んではいません。
――どうか父を、兄を、みんなを救ってください。
「泣かないでぇ――」
突如、声が聞こえた。
月美は周りを見渡してみた。
すると、右隣にクマのぬいぐるみがあった。
こんなぬいぐるみ、さっきまであっただろうか――。
完全にぬいぐるみだと思っていたそのクマが首をコクンとかしげた。
「キャッ――」
口元に人差し指を当て、しぃーっと言うクマ――。
「泣かないでぇ?」
「――クマが喋った?」
「キミならここを救えるよぉ?一緒にノゾムくんたちを助けようよぉ?」
月美の質問などガン無視で手を差し出してくるクマ――。
月美は一瞬躊躇したが、そのクマの手を握り返すのだった。
すると、2人は紫色の光に包まれたのであった――。
諏訪部 瑠衣
株式会社ムーンライトに所属する新人声優。