#70 兄妹でも言えないこと
「月美、入るぞ?」
特に返事はなかったのだが、望夢はドアを開けた。
時刻は午前8時――。
だというのに、月美はまだ気持ちよさそうに眠っていた。
どんな夢を見ているのだろうか――。
穏やかな表情をしているので、おそらく怖い夢は見ていないだろう。
さて、今日の月美はなぜこんなにもお寝坊さんなのだろうか――。
これは先週、起こった出来事が関係している。
いつものように朝から「星奈ちゃんとひぃちゃんに会ってくる!」と月美は嬉しそうに家を飛び出していった。
毎週毎週、何を仲良し3人組で遊んでいるのだろうと疑問に思いながらも、望夢は月美の後ろ姿を見送っていた。
しかし、日が落ちて門限を過ぎても月美は帰ってこなかった。
同じく、星奈も日向も家には帰っていなかったらしい。
何か事件に巻き込まれたのではないかと、母である葉月は真っ青になっていた。
『俺、ちょっと様子を見てくる!』
そう言って葉月を落ち着かせ、望夢は家を飛び出した。
そして木々が覆い繁る雑木林へ行くと、月美ただ1人が倒れていた。
服や顔は少し汚れていたが、目立った外傷はなかった。
何があったのかは知らないが、どうやら気を失っているだけのようであった。
望夢は一息つき、月美を抱き抱えて家へと帰った。
しかし、本当に大変だったのはここから――。
汚れた月美を見て、葉月はこの世の終わりかというぐらいに泣くし、父親である紘も救急車を呼ぼうと慌てていた。
その後、月美は無事に目を覚ましたが、何があったのかは覚えていないと言い張るばかり――。
星奈も日向も無事に家へと帰ったらしいが、なぜ遅くなったかを聞けば月美と同じく「覚えていない」と答えたという。
『近頃、たまに起こる怪奇現象に巻き込まれただけじゃない?』
望夢はそう言って、何とかその場を収めた。
しかし、何をすれば3人仲良く怪奇現象に巻き込まれるのだろうか――。
望夢はチラッと机の方を見た。
机の上には月のコンパクトとゲーセンでゲットしたというクマのぬいぐるみが置かれてあった。
思えば、このクマのぬいぐるみが現れてから月美は毎週のように星奈と日向に会うようになった。
このクマが現れたのも、確か妙な怪物に襲われたとき――。
――こいつさえいなければ。
望夢はそのクマのぬいぐるみへと手を伸ばした。
「――お兄ちゃん?」
ふと、ベッドへと目を向けると、月美が目をこすってこちらを見ていた。
「おはよう。起こしちまったか?」
「ううん。お兄ちゃん、何してたの?」
「――こんなところにララ独りぼっちじゃ可哀想だと思ってな」
そう言って、望夢は優しくララを抱き抱えると月美に手渡した。
望夢からララを受け取った月美は嬉しそうにララを抱きしめた。
「あれっ?何でお兄ちゃんはこの子の名前がララちゃんって知ってるの?」
「あぁ――。寝言でララってずっと言ってたからな――」
月美の頬が少しだけ赤く染まった。
人に寝言を聞かれることほど恥ずかしいことはないのだろう。
「ねぇお兄ちゃん。1つだけお願いがあるんだけど――」
「ダメに決まってるだろ」
「まだ何も言ってないじゃん!」
「どうせ星奈と日向に会いに行くからここは見逃してくれとか言うんだろ?」
図星だったのか、月美は望夢から目を逸らした。
「あのなぁ、俺も父さんも母さんもどれだけ心配したと思ってるんだ?ちょっとは反省しろ」
望夢はそう言うと、月美のおでこに軽くデコピンをした。
「痛っ!暴力反対!!」
「これは暴力じゃなくて優しさなの」
本当はもう元気そうだし、かわいい妹のお願いだからこっそり外へ出してあげてもいいかなとも思う。
しかし、そんなことをすればあとで絶対に葉月に怒られるに違いない。
以前、街中に変な怪物が出た騒ぎのときもうっかり月美たちを外に出してしまった。
もちろん、家に帰ってきた月美はこっぴどく叱られたのだが、月美たちを止められなかった望夢も同じくこっぴどく叱られた。
完全にとばっちりである。
「今日はLOOPで我慢しろ。それとも、どうしても会わないと出来ないことがあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど――」
「――なぁ月美。おまえ、何か隠してないか?」
望夢は月美の目をそっと覗き込んだ。
「父さんと母さんには言いづらいことでも、俺には話せるだろ?」
そして、望夢はそっと月美の頬に手を当てた。
「あのね、お兄ちゃん――」
月美は口を開いた。
かと思えば――。
「――ごめん、今は何も言えない。でもね、ちゃんと言える日が来たらお兄ちゃんにもお父さんにもお母さんにも言う。だから、お願い。本当のことを言える日まで待ってて――」
月美の訴えに望夢はため息で返した。
とりあえず、これで月美が何か隠し事をしていることは分かった。
しかし、いずれはちゃんと話してくれるというのだから、ここは月美を信じて待つしかない。
「俺がついていってやれるなら母さんも許すだろうけど、今から学校に行かなくちゃならないからな――」
「学校?今日は日曜日だよ?もしかして、居残り勉強?」
「んなわけあるか。部活だよ。もうすぐコンクールが近いから、ちゃちゃっと絵を仕上げてくる」
望夢は入学してから家族に宣言していた通り、美術部へと入部した。
主に放課後に作業するのだが、生徒たちの声などが邪魔して集中力があまり長続きしない。
ましてや、コンクールに出すための作品をそんな生半可な環境で作るわけにもいかない。
なので、コンクール前はあえて生徒があまり登校していない休日を選んで絵を描きにいくというのが望夢のスタイルになっていた。
だから、休日だというのに望夢は制服姿なのである。
制服をピシッと着こなしているところはすごくカッコいいのだが、やはり前髪をピンで留めているところを見るとやはり少しチャラさがかいまみえてしまう。
「じゃあ、行ってくるな」
望夢はこれでもかというほどにかわいい妹の頭を撫でた。
しかし、手を離せば再びその手を掴まれた。
「どうした?」
「――ううん。行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
月美はニコッと微笑むとそっと手を離した。
望夢は振り返ることもなく、そのまま部屋を出ていったのであった――。




