#39 記憶を失った少年
ベガを寝かしつけた後、アピスは庭園へと移動した。
すると、すでにそこにはアペスの姿があった。
ただ、意外だったのが1人で椅子に座っていたこと――。
てっきり、デネブとお茶でもしているのかと思っていたのだが――。
「君もここにいたんだね。デネブはどこに行ったの?」
「――デネブなら部屋で寝ていますわ」
まぁあれだけケルベロスに痛めつけられたのだから当然のことだろうか――。
しかし無事に身体の傷が治ったとしても、心の傷が治るのかが心配なところである。
「――ねぇアピス。いつまでこんなことするつもりですの?」
「決まってるでしょ。スピリット・アニマルを回収するまで――」
「いつになったらそのスピリット・アニマルの回収が出来ますの?」
「それは――。俺たちの頑張り次第じゃない?」
「私はもう嫌ですわ!これでは、まるであいつらとやってることと同じじゃない!こんなことならば、あそこでみんなと共に朽ち果てればよかったのですわ――」
パチンと大きな音を立てて、アピスがアペスの頬を叩いた。
アペスの頬はみるみる赤く染まっていく。
それと同時に涙がボロボロとこぼれだした。
「ふざけるな!生き延びた俺たちは仲間の分まで生きる義務があるんだよ!簡単に命を粗末にするな!」
あの物静かなアピスが珍しく大声を張り上げた。
アペスは感情をコントロール出来なくなってしまったのか、とうとう大声をあげて泣き出してしまった。
「あーあ、女の子を泣かしてやんの――」
これは珍しい。
普段は姿を見せそうにないケルベロスが庭園に顔を覗かせたではないか――。
「ケルベロス兄さん。入るときはノックしろと言っただろ?」
「どこで何に対してノックするんだよ?」
確かに、庭園に入るのにドアなんてひとつもない。
なので、ノックのしようもない。
アピスは舌打ちをした。
「おー怖い怖い。それより、おまえたちに会ってほしい奴がいる」
ケルベロスが手招きをすると、1人の少年が現れた。
髪はきれいな灰色をしていて、少しだけパーマがかかっている。
きれいなエメラルドの瞳をしているのに、たまにメガネが光に反射してその瞳を隠してしまう。
そんな知的な姿を思わせる少年の正体は――。
「フェリス兄さん!」
アピスの嬉しそうな声に先ほどまで泣いていたアペスも顔をあげた。
目は先ほどよりも真っ赤に染まっているものの、表情はキラキラと輝き始めた。
「フェリスお兄様!」
アペスはなんの躊躇もなく、フェリスに抱きついた。
続いて、アピスが少しためらいながらもフェリスへと抱きついた。
そんな2人を温かいと言って優しく抱きしめてくれるのがフェリスなのだが――。
「フェリス、お兄様――?」
いつもとは違うフェリスの行動を疑問に思ったアペスが顔をあげると、フェリスがきょとんとした顔でこちらを見ていた。
そして一言――。
「――あなたたちは誰ですか?」
――!!
フェリスからの一言に一瞬、言葉を失ってしまうアピスとアペス。
「――フェリスお兄様、冗談はよしてくださいな。ほら、アペスですわ」
「申し訳ないのですが――」
フェリスはアペスから目を反らした。
「ケルベロス兄さん――。いったいこれはどういうこと?」
「見りゃ分かるだろ?記憶がきれいさっぱり無くなってるんだよ」
フェリスが意識を失ってから約1年――。
アピスからフェリスが意識を取り戻したと聞いたケルベロスは、アペスと同様にフェリスへと抱きついたのだという。
しかし、そのときのフェリスも物珍しそうにケルベロスを見て同じような発言をしたのだとか――。
「おまえたちに会わせたら何か変わるかと思っていたんだが、何も変わらなかったか――」
ケルベロスは淡々と口にするが、たぶん1番ショックが大きいであろう。
目覚めをずっと待っていた仲間に簡単に忘れられてしまっていたのだから――。
「皆様、ここにいらっしゃいましたか――」
ふと、シスター姿の女性が姿を現した。
アペスとデネブにスコーンを用意していたあのシスターである。
やはり、狐のお面を被っており表情をうかがうことは出来ない。
「いきなり何ですの?何か用でもありますの?」
「えぇ。皆様が揃われており、こちらとしては探す手間が省けました」
「いいから、早く用件を話せよ」
「失礼いたしました」
シスターは軽く頭を下げると言葉を続けた。
「ケルベロス様、アピス様、アペス様、そしてフェリス様――。ハク様とコク様がお呼びです」
このタイミングで全員を呼び出しとは――。
フェリスの目覚めを聞きつけたハクとコクが真実を確認したがっているのだろうか――。
それなら、フェリスだけでもいいような気はするが――。
「ハク様?コク様?」
「あぁあれだよ。ハク様とコク様は俺たちを救ってくれた恩人。さぁ早く行こうぜ!」
ケルベロスはフェリスの手を取って歩き始めた。
アピスも歩き始めたのだが、アペスだけはそっぽを向いて何の行動も起こそうとはしなかった。
「行かないの?」
「私は嫌――。行きたくない――」
「――抗うことは生きるために必要だ。だけど、従うこともまた生きるためには必要なんだよ――」
アピスはアペスに言い聞かせるように言うと、手を取って共に歩き始めたのであった――。




