天地否 2/5
大光寺は色めき立った。二倍以上の大浦軍さ勝利すたんだ。この勢いのまんま、大浦城さ攻めかかっべとたんげな者っこしゃべった。ばって滝本は冷静だんた。
“為信という男は運が強え。大浦家もすべでの力ば出す切ったわげでね”
そのように諫めたばって、従わね者もいたんた。田舎館の千徳政武だ。いまこそ本家の浅瀬石千徳ば倒す、私の領地へと入れるべと考えた。
こうすて攻め込んでめたばって、大浦の援軍が来てまり返り討ちされてまった。これ以降、千徳分家は勢いばねくす。
……そったこともあったばって、滝本はまんず安堵すてら。為信はすばらく攻めこんでこれねえ。信直公が九戸らば鎮めれば、次に津軽さ援軍が来る。それまでの辛抱……。
収穫の秋ば迎え、また冬が来る。大光寺では新たなる時ば祝うべと、むったどより増すて盛大に正月ば祝った。前年に為信ば退け、滝本の津軽における地位は高まった。近え将来、津軽郡代の襲名も夢でね。
滝本は “いやいや” と話っこばそらす。私はあくまで家来の一人。大光寺の遺子ば守ってら城代さ過ぎね。分はわぎまえちゃあ……。
…………
天正四年(1576)正月。大浦軍はまんた、大光寺城さ攻めかかった。
雪っこ横なぶりに吹つける。逃げようかって、どちらが東か西か分かんね。酒さ酔ってまり、抵抗することねく殺される者。なんとかよろめきながらも立ち上がり刀ば振るうばって、腹わたさ何本もの槍で刺されてまって絶命する者。……外さ出ても疲れてまり、凍死する者。
城代、滝本重行。大光寺の遺子ば胸元さ抱え、東へと逃げた。山ば越え谷ば越え、三戸ば目指す……。この人物は為信生涯の敵で、今後も六羽川合戦などで幾度となく為信ば追い詰めることさなる。
こうすて為信は、大光寺城ば落とす。
南部からの謀反は成った。
津軽為信と名乗りはずめたのは、この時だびょん。それは津軽郡代でねく、津軽の王者とすて。