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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
大光寺の戦い 天正四年(1576)正月
98/105

天地否 2/5

 大光寺は色めき立った。二倍以上の大浦軍()勝利すたんだ。この勢いのまんま(/\)、大浦城()攻めかかっべ(/\)たんげ(/\)(ふと)っこしゃべっ(/\)た。ばって()滝本は冷静だんた()


“為信という男は運が(つえ)え。大浦家もすべでの力()出す切ったわげでね(\/)


 そのように諫めたばって()、従わ()(ふと)いたん(/\)た。田舎館の千徳政武だ。いまこそ本家の浅瀬石千徳()倒す、()の領地へと入れ(がめ)るべと考えた。


 こうすて攻め込んでめたばって()、大浦の援軍が来てまり()返り討ちされてまった()。これ以降、千徳分家は勢いばねく(\/)す。


 ……そった(_/)こともあったばって()、滝本はまんず安堵(あずましく)すてら(/\)。為信はすばらく攻めこんでこれね(/\)え。信直公が九戸ら()鎮めれば、次に津軽()援軍が来る。それまでの辛抱……。


 収穫の秋()(むけ)え、また冬が来る。大光寺では新たなる時()祝うべと、むったど(/\)より増すて盛大に正月()祝った。前年に為信()退け、滝本の津軽における地位は高まった。(ちけ)え将来、津軽郡代の襲名も夢で()

 滝本は “いやいや” と話っこば(/\)そらす。(わあ)はあくまで家来の(ふと)人。大光寺の遺子()守ってら()城代()過ぎね(/\)。分はわぎまえちゃあ()……。


   …………


 天正四年(1576)正月。大浦軍はまんた(/\)、大光寺城()攻めかかった。


 雪っこ横なぶりに()つける。逃げようかって()、どちらが東か西か分かん()酒さ(/\)酔ってまり()、抵抗することねく(/\)殺される(ふと)。なんとかよろめきながらも立ち上がり刀()振るうばって()、腹わたさ(/\)何本もの槍で刺されてまって()絶命する(ふと)。……外()出ても疲れてまり()、凍死する(ふと)


 城代、滝本重行。大光寺の遺子(わらし)()胸元()抱え、東へと逃げた。山ば(/\)越え谷ば(/\)越え、三戸()目指す……。この人物(ふと)は為信生涯の敵で、今後も六羽川合戦などで幾度となく為信()追い詰めることさ(/\)なる。


 こうすて為信は、大光寺城()落とす。


 南部からの謀反は成った。


 津軽為信と名乗りはずめたのは、この時だびょん()。それは津軽郡代でねく(/\)、津軽の王者とすて。

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