見果てぬ夢 4/5
天正三年(1575)春、田植えっこしまって余裕あるんたころ。南部信直さ対す、九戸政実らはまんた反旗ば翻すた。裏では安東氏が資金ば与て、大浦と九戸の連携も成立させてら。
そすて……晴れ渡る吉日、八月一三日。
大浦為信は三千の兵ば集せ、大光寺さ出陣するべとする。沼田祐光はもちろん、後に大浦三家老と呼ばる兼平綱則、森岡信元、小笠原信浄もいる。知恵者の八木橋や仏門の乳井ら含む大浦家臣団はここさ集まった。さらに浅瀬石の千徳政氏も加る。
敵は大光寺城の城代、滝本重行。武勇知略さ優れ、為信ば倒すべと企む相手。田舎館の千徳政武も滝本さ味方した。千徳は本家と分家で対立してまった。
辰の刻、大浦軍は真新すい旗ば掲げた。以前の様に南部の旗は使え|《\》ね。二羽鶴の文様は、ずんぶ燃やすた。
……白地さ赤く描かれたのは、錫杖の先。岩木山の加護さ預かり、津軽ば征することば示す。何百も掲げられ、新生大浦家の初陣ば飾った。
そった中、小笠原は一本の旗ば持参すた。丸められら中は見えねえし、わんつか古びてらんた感じだ。為信は “構わね” としゃべり、改めさせた。
褐色さなってら布地さ、黒い墨で “卍” が描かれてら。小笠原はしゃべった。
「津軽ば平るごどは、万次の意思だ。」
為信は許すた。何百もの錫杖の中さ、一本だけ馬鹿でけえ “卍” の旗が掲げられる。
大浦軍は出陣すた。
第一陣は大光寺より南西の館田口さ乳井らが七百。
第二陣は南東の唐竹山さ小笠原ら八百。
第三陣の五百は北さ座す、田舎館千徳からの援軍ば遮断。
そすて本陣の千兵は大光寺より真西さ位置する館田林さ置かれた。兼平や森岡、八木橋らもここさいる。
遠けより大光寺ば包囲してるばって、城さ向かうべとすると、田が広がってら。水で満たされ、泥で足っことられるびょん。