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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
長子信建、出生 天正二年(1574)夏
83/105

亀裂 2/5

 “ねえ……なあが(/\)殺すたんだか”


 戌姫は為信()問う。


 “そった(_/)ずねえ(/\)べな。殺すたのは兼平だ”


 “わがってら()……そった(_/)ごど”


 滝本の言葉っこ……。もすや為信は、兼平()使って二子()殺させたんだか。


 せめで、滝本はそう()ってら。間者からの情報だば()、為信()二子()殺すべどいう企みはあった()。このことば(/\)公言すれ(さかべ)ば、大浦家は大混乱(がっちゃみそ)だ。為信もたんだ(\/)で済まね。


 滝本は事の次第()、山ば()へで三戸の南部信直()報告。亡き大光寺の従兄弟、北信愛()伝え(しかへ)られた。


 当然だばって()心象はまね()くなる。特に信愛は、為信が大光寺()殺すたと疑い()(つえ)くした。一方で信直()は、まんだ(/\)信ずたい気持ちっこがある。


 ……疑心暗鬼(あんべわりい)。秋の収穫()終え(しまい)、冬()()る。戦は起こん()まま、新年()も迎える。


 当然、滝本は大浦家()も “為信、疑い深す” との一報()入れてら()ばって()目論見ははずれ、ほどんどの家来はそれば(/\)信ずね。


 なすてなら、当日も “津軽郡代” に関する話す合いがされであった。鼎丸様()大浦家当主とし、為信は郡代()なり新すい()()ば興す……二子()殺す理由がね()のだ。兼平という気違いが起こすた事故ですかね。


 ……一方で森岡は、無言の抗議()行う。彼のことば(/\)詳すくしゃべる(/\)と名は信治(のぶはる)とい、息子は四人いる。その誰かに跡()継がせ、隠居するべと決意すた。信元という人物(ふと)が四人の中から選ばれ、大浦家()仕えるに至る。


 この森岡信元、兼平綱則、そすて武者修行中の小笠原信浄。三人のことば(/\)大浦三家老と()ばるのは後の話。


 とにかく、滝本の目算は崩れた。まったく大浦家中は混乱すね()。まとまっちゅう()


 ……だば()、次の策()講ずるまで。


 為信よ、死にへ(/\)。罪()償え。


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