二子殺し 4/5
翌日……八木橋の右頬は赤くはれてら。彼は朝餉の前に参上す、為信さ腹案ば伝えにきた。既に膳は前にある。“後じゃまねが” と訊くばって、八木橋は今がいという。
「なんぼか、森岡殿のいね時がいのだ。」
なるほど。まんた叩かれるのが嫌なのだ。八木橋はしゃべり出す。
「鼎丸様さは、大浦家ば継いでいだだぎます。」
森岡さ屈すたのか。
「いえ、違えんです。殿は石川城さ入っていだだぎ、新だに“津軽郡代” ば名乗りへじゃ。」
“津軽郡代”
かつて南部の代官津軽ば治めるにかって名乗った役職だ。最初は津村氏、後に石川高信、次子の政信が名乗る。
「殿は津軽郡代どすて別の家ば興す。大浦家は津軽郡代さ忠義ば尽ぐす。こいだばどんだべ。」
……八木橋は、すげえことば考えてら。郡代の名乗りは信直公さ許すば得ねばまいねばって、話とすては悪くね。
別の家ば興すんだば……津軽郡代の大浦為信。いや、違え。津軽ば治めるのだ。
“津軽為信” であるべきだ。
この案は詳すく詰められ、広間での評議さ移る。為信という大人物が先頭さ立つことは変わんねく、鼎丸の大浦家当主とすての地位も保たれる。多くの者が賛同すた。
たんだ一人、森岡のみ反対する。
“実際は殿が力ば持ったまま。鼎丸様は置き人形。だまされねぞ”
森岡は唾ば吐き、広間から立ち去った。
“為信も、俗物だな”
彼の心っこは、為信より離れた。