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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
大千同盟 元亀二年(1571)晩夏
78/105

二子殺し 2/5

 秋()なって、浅瀬石より人質が送られてきた。千徳政氏正室の富子と一男一女。


 息子(わらし)は政康と言い、今年で一五歳。(とっちゃ)は元服()急が(へぐさ)たんた( ̄\)で、為信の家来()加え(かで)だ。(めのこ)は徳姫と言い、一四歳だ。まず戌姫の侍女さした。


 これで大浦家はたんげ(_/)ったら(/\)だ勢力()なった。大浦領内だけでね(/\)く旧石川領と千徳領も併せると、津軽の半分()占める。残りっこは大光寺滝本領や浪岡領、他のちっちぇ(/\)え領主らだ。


 この状態()滝本は危惧す(おっかねが)る。旧石川領も正式に認められてまった( ̄\)。為信の力は増えるばす(\/)。こいだ(/\)ば “治水” の件で好きなようにやられてまる()。民()豊かにするために適うのはわかるばって( ̄\)、代々大光寺は舟運の民から支えられてら()。彼らが嫌がるんたば()、助けるすかね(\/)のだ。


 かといって、為信()抗える有効な(いいんた)手段はね()。なにかちっちぇ(/\)え綻びでも()つけるべと、滝本は大浦城()間者()紛れ込ませた……。


 ……(ばんげ)、大浦城では為信の書室()家来が集ま(たが)る。八木橋が()ばって、森岡と沼田も(つど)う。病床の兼平の代わりとすて、息子の綱則も加わった。何()ゃべる(/\)というんだか()


 火は灯された。


 最初に、八木橋は森岡()ゃべる(/\)


「森岡殿……怒んねで()。」


 森岡は怪訝そうに八木橋ば()る。


「……話()よるばって( ̄\)。」


まいね()、このだびは約束すてけれ()。」


 八木橋は森岡()迫った。森岡は怪すく()ったばって、とりあえずは頷いだ(こまった)


 為信も、八木橋のしゃべり(/\)出す内容ば(しら)ね。沼田も同ずだ。


 一息つき、八木橋は始めた。


「……殿の立場についでだ。外のごどは落ぢ着いだばって( ̄\)、中のごどは片付い(ちょし)でねえ(/\)。」


 “中” とはどった(_/)ことだ。森岡は問う。


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