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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
大千同盟 元亀二年(1571)晩夏
72/105

命乞い 1/5

 猛暑、日が田畑()満遍ねく(/\)照らす。九戸の城中の兵ら、外で囲む信直の軍勢どちらもすげえ(/\)汗で、布切れなどで(つら)っこや胸元()(ぬぐ)う。


 ……攻めようかって九戸城は奥羽一の堅さで、崖が際立ち道も(ほせ)え。戦いはすばらく続くかに()われた。そこさ(/\)南部晴政側室の彩子が和睦の使者とすて信直の陣中()現れる。彩子は九戸勢とともに(たがって)城さ(/\)こもっちゃあ()ところ、信直も無下にはできね(/\)ということで選ばれた。確かに彼女はかつて鶴千代()産んだ。そんき(_/)立場も(たけ)え。


 信直とすても、これ以上の遠征はきつい(へずねえ)。兵は疲れ(こえく)、郷里()帰りたがってら()。それに……あっけなさも感ずちゃあ()。かつて(わー)ば追い詰めた奴ら(あらんど)は、逆に囲まれてら()。わっきゃ(/\)死ぬ気だったばって()、いまだ生きながらえちゅう()。世の行く末は、分かん(/\)ね。


 ここまでくと、恨む心も薄れてきた。あんき(_/)燃えたのに……不思議だ。


 交渉の結果、信直は正式に南部氏第二六代当主()就任。三戸の実権は彼()移る。九戸らの力はがばっ(/\)ねく()なった。


 こうなると、次は津軽の後始末だ。旧石川領の扱い()どうすか。今は大浦家が石川城()治めてら()が、どうもきな(くせ)え。(さき)た使いとすてきた科尻と鵠沼という人物(ふと)が反乱()起こすたというが……為信も一枚かんでねえ()か。毒殺されときも己のみ生き残り、結局は大浦家が得ば(/\)ちゅう()


 ……あの為信だ。そうでね()ことば(/\)祈るが……。北信愛はまんず(/\)すい()。なすてなら殺された大光寺光愛は彼の従兄弟だとこで。大光寺は為信()疑ってら()節があるんた。


 一方、津軽では……九戸が屈服すたことで慌てた(うるだぐ)人物(ふと)があり。千徳政氏だ。九戸派と万次党で手()結び、千徳もその中()()った。ところが企みは失敗し九戸派は信直さ敗走、万次党はあろうことか為信()従った。千徳は孤立する。


 大光寺城代の滝本重行は、そこへ策()講ずた。浅瀬石の千徳本家()対す、田舎館の千徳分家()歯向かわせたのだ。


 “九戸の手助げがね(/\)今、いぢ(はえ)ぐ本家()裏切り()らの下()()るのが上善”


 この後、滝本は分家当主の千徳政武()連れ(かで)て大浦城さ出向いだ。為信()ゃべる(/\)


 “今ごそ、裏切り者の千徳政氏()滅ぼすべ”


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