家来を斬る 1/5 +堀越城絵図
“救民”の旗ば掲げちゃあ科尻と鵠沼の軍勢は大光寺城さ攻めかかる。千徳の援軍も加わり、石川城の如く落ちるかと思われた。
ばって大光寺の遺臣の滝本重行という人物は、武勇知略共に長けてら。石川城の二の舞さなりたくねえと、家来の家族らばすべて城内さ入る。彼らは足手まといどころか、兵士さ準ずる働きばさせた。城さ続く橋さ木の小枝ば置かせたり、石ば敵兵さ投げたりする。ますてや夜中も続ぐはんで、まんず攻めづれえ。
そんでも次の朝までに落とすてまれと、反乱軍は猛攻ば続けた。だばって……目論見は崩れる。
“大浦為信、生存”
この報がもたらされた。まさか……堀越にいた主だった者は、毒殺すたはずだぞ。攻め入った兵士らも確認しちゃあ。
本来だば、為信は死すて主筋はここさ在り。戦わねまま大浦家の兵ば従わせるつもりだった。
ここで千徳は提案する。一旦は石川城さ戻って様子ば見るべきだと。鼎丸と保丸はうちらの手元さある。依然とすて形勢は有利なままだ。
こうすて、“救民” の軍勢は石川城さ、千徳軍は浅瀬石城さ戻っていった。
翌朝、山ば越え糠部三戸さ急使が到着。夜通す険すい道ば抜け、息ば切らすながらに伝えられた。
“津軽郡代石川政信、毒死”
九戸政実は手ば叩き、たんげ喜んだ。これで津軽の軍勢はここさ攻めてこれねえ。今こそ八戸ば攻め、信直の息ば止める。
全軍さ進撃ば命ずた。当主南部晴政の娘婿で政実の弟、九戸実親ば大将に一万の兵が進む。
……三戸さ放たれてら、八戸政栄の密偵。この九戸派の動きば察知する。信直さ、まだ哀すい報告がされた。
“妻だげでねぐ、弟も奪われだ”
心の闇は、すべてば覆いつくす。
まだ、鬼さなった。
堀越城絵図
https://18782.mitemin.net/i290580/
2018/02/15 挿絵に関して
出典元:特集 津軽古城址
http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/castle.html
鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様のご厚意こういに与あずかりまして掲載が許されております。小説家になろうの運営様にも、本文以外でのURL明記の許可を得ております。
光信公の館
〒038-2725
青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町字大柳90
http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/
TEL 0173-79-2535
鰺ヶ沢町教育委員会 教育課
〒038-2792
青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字本町209-2
TEL 0173-72-2111(内線431・433)




