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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
万次党、従属 元亀二年(1571)夏
62/105

家来を斬る 1/5 +堀越城絵図

 “救民”の旗()掲げちゃあ()科尻と鵠沼の軍勢は大光寺城()攻めかかる。千徳の援軍も加わり(かでて)、石川城の如く落ちるかと思われた。


 ばって()大光寺の遺臣の滝本重行という人物(ふと)は、武勇知略共に長けてら()。石川城の二の舞()なりたくねえ()と、家来の家族ら()すべて城内()()る。彼らは足手まといどころか、兵士()準ずる働き()させた。城さ(/\)続く橋さ(/\)木の小枝()置かせたり、石ば(/\)敵兵()投げたりする。ますてや夜中(ばんげ)も続ぐはんで()まんず( ̄\)攻めづれえ(/\)


 そんでも(/\)次の朝までに落とすてまれ(/\)と、反乱軍は猛攻()続けた。だばって()……目論見は崩れる。


 “大浦為信、生存”


 この報がもたらされた。まさか……堀越にいた主だった(ふと)は、毒殺すたはずだぞ。攻め入った兵士らも確認しちゃあ()


 本来だば()、為信は死すて主筋はここさ(/\)在り。戦わ()まま大浦家の兵()従わせるつもりだった。


 ここで千徳は提案する。一旦は石川城()戻って様子()()るべきだと。鼎丸と保丸はうちら(/\)の手元()ある。依然とすて形勢は有利なままだ。


 こうすて、“救民” の軍勢は石川城()、千徳軍は浅瀬石城()戻っていった。


 翌朝、山ば(/\)越え糠部三戸()急使が到着。夜通す険すい道ば(/\)抜け、息()切らすながらに伝えられた。


  “津軽郡代石川政信、毒死”


 九戸政実は手()叩き、たんげ(_/)喜んだ。これで津軽の軍勢はここさ(/\)攻めてこれねえ()。今こそ八戸()攻め、信直の息()止める。


 全軍()進撃()命ずた。当主南部晴政の娘婿(もこ)で政実の(おんじ)、九戸実親()大将に一万の兵が進む。


 ……三戸()放たれてら()、八戸政栄の密偵。この九戸派の動き()察知する。信直()、まだ哀すい()報告がされた。


 “(かが)だげでねぐ()(おんじ)奪わ(がめら)れだ”


 心の闇は、すべて()覆いつくす。


 まだ、鬼さ(/\)なった。



堀越城絵図

https://18782.mitemin.net/i290580/

挿絵(By みてみん)


2018/02/15  挿絵に関して


出典元:特集 津軽古城址

http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/castle.html

鰺ヶ沢町教育委員会 教育課 中田様のご厚意こういに与あずかりまして掲載が許されております。小説家になろうの運営様にも、本文以外でのURL明記の許可を得ております。


光信公の館

〒038-2725

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字種里町字大柳90

http://www.town.ajigasawa.lg.jp/mitsunobu/

TEL 0173-79-2535


鰺ヶ沢町教育委員会 教育課

〒038-2792

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字本町209-2

TEL 0173-72-2111(内線431・433)

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