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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
堀越騒動 元亀二年(1571)春
59/105

死に賜う 3/5

 苦すみ(へずねさ)は増す。(ふと)人、厠でうずぐまる。助け呼ばる(/\)()ったばって()、声っこ出そうとすと今にも吐きそう()なる。だばって吐くべと()すも、わん()つか()もね()。嗚咽のみ出る。


“これは、心の苦す(へず)さだげでね()


 為信は気付いた。


 “……んだば、何あだったんだば”


息苦すさ、鼓動の激すさ。目()映るは政信の(つら)。耳()()るは大光寺の声。


 “……毒が”


 それ以上のことば、考える余裕などね(\/)。胸元()潜めてら()毒消すの薬()、包み紙よりがぱっ(/\)ど喉()流す込む。


  為信は、意識()失った。


……堀越の別荘は、地獄絵図。為信だけでね()


 津軽郡代の石川政信、重臣の大光寺光愛ら十数の名士らも、もがき苦すんだ。政信()嫁いだ久子も、共に(かでて)接待しちゃあ()侍女らも犠牲さなった。


 無事だった(ふと)たちはたんげ(_/)慌て、なすすべ()知らね(/\)。そうすちゃあ()と、外()軍勢が沸いだ。白地に “救民” と書かれた旗がなびき、五百ほどの兵士は堀越の別荘()突入すた。


 中の者は武装すてね(/\)。あっけねく( ̄\)倒されてく。すかもその多くは武士でねく(/\)、生き残っちゅう()使用人らだった。まさか、()の人生が戦で潰えるなど()ってね(\/)


 “救民”の軍勢は、(はえ)くに堀越()攻略。次に石川城()向かった。そのころさは石川さも()異常が伝えられてら()はんで()、急ぎだばって()弓や刀の準備が整ってら()。主はいねながらも、郡代の本拠らすく争う構え()()せた。


 軍勢は、城への攻撃()始めた。火縄の爆音も轟く。まんず(_/)は十丁あるべか()。軍勢の中でも野蛮な者(あらんど)等は、城下の()屋敷(かまど)()住まう兵士の家族()襲う(やる)


 千徳の援軍も到着す(かだって)、数は増す。石川城の士気もがぱっ(/\)ど下がる。


 城門は壊され、中の者は斬られてく。



 ついに、陥落すた。


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