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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
堀越騒動 元亀二年(1571)春
53/105

不穏 2/5

 兼平はしゃべる(/\)


「一周忌さは()、津軽の主要な(ふと)らが集ま(たが)ります。そごば(/\)謀られ(ちょせ)ば、たぢまぢ危ね(_/)()ったんだべ()。大浦家は企でるはずだべど……。」


 まんず(/\)は疑い()晴らさねば()なんね(/\)。事態がまねく()なれば石川から、ひいては津軽すべてから攻め込まれかれね(/\)


 ここで、とある(ふと)人が手()挙げる。知恵者の八木橋であった。


(おんじ)の政信公()説得すには、兄信直公の意()示すのが一番がど存ずます。」


 今は大光寺の訴えにかって()、弟政信の気持ちは疑いの心でいっぺえ(/\)だ。だば()兄信直()けてけ(/\)とすがる、政信()窘めるように一筆ば書いてもらう。


 信直は為信()恩義もある。いい策だべ()が……これには問題がある。兼平は懸念()示すた。


「北路だば()野辺地ど七戸、南路は三戸ば通るばって、これら場所は九戸派でひすめいでら()。八戸()着ぐまでに咎められでまる()可能性があり……決死の覚悟が必要だ。」


 為信は腕組みばす(\/)(つら)っこば(/\)すかめで悩む。他の(ふと)も同様であった。そった(_/)とき、末席(げっぱ)の方で二人が立った。そすて大声でしゃべる(/\)


「この儀、われらにお任せいただけないでしょうか。」


 科尻と鵠沼だった。

最初に科尻はしゃべる(/\)


「他国者であれど、大浦家に仕えることができ感謝しております。ただしそれは小笠原殿おひとりの力が認められたにすぎませぬ。」


 (つんづ)けで、鵠沼がしゃべる(/\)


「ここで我らの度胸をお見せして、大浦家のために尽くしとうございます。」


 上座側、それも森岡の隣()小笠原は座ってら()。彼はなすてか感動すてらんた()で、むったど(/\)の仏頂面だばって()すきりに頷い(こまっ)てら()。その様子()()た為信、二人に八戸さ()かへることにさすた。


 為信は二人()()かける。


 「遠路、それに雪っこ積もる中の使いだ。(さん)ばって()、事は重大。頼んだぞ。」

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