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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
堀越騒動 元亀二年(1571)春
52/105

不穏 1/5

 新年()(むけ)える。南部晴政はまんだ生きでで、ずんぶ(/\)すぶてえ。……それはそれで、いことだべか()。当主が死なね(/\)ことにかって()、恐れてら()全面戦争は起きねびょん()


 大浦家では正月の宴が済み、為信と戌姫は寝室にて隣で寝ちゅう()。ふと、義弟の話っこ()なる。


 「鼎丸は今年でなんぼ(_/)だ。」


 「十だべ()な。」


 ふむ……。いずれは、家督()けねば(/\)なんね( ̄\)相手。ただす最近では “このまま優秀な為信様のままでもい” としゃべる(/\)家来もいる。もちろん鼎丸家督()継いでも、彼が優秀とは限ね。そうだとすても(わあ)は補佐役()まわり、皆で支えてけば(/\)いこと。


 為信は戌姫()約束すた。


 「数年だでば、南部家内の争いも収まるべ。その時に晴れで、鼎丸には家督()継いでもらう。」


 すでに分別ある歳だ。以前のようなすれ違いはねえ()し、まんず( ̄\)は仲もい。きっと大丈夫だべ……。



 すばらぐすて、大浦家()難題が降りかかる。


 発端は石川高信公の一周忌。津軽に住む家来衆らが堀越の別荘()集ま(たが)り、法要()す計画だった。そこば(/\)止めにかかっちゃあ()のは石川家随一の重臣、大光寺光愛。なんと大浦家()謀反の疑いがあるとすて、法要ば延期すべと(/\)津軽郡代の石川政信()訴えた。


 為信にすて()()寝耳()水だ。確かに(わあ)の出身は久慈氏で、久慈の()は九戸派だ。疑われるのは無理ね(\/)。ただすそんき(_/)でね()かった。


 “大浦家は山奥で秘密裏に兵()集めちゃあ()。先の軍事演習もすかり、反旗()翻すための行動どいえよう”


 野崎村焼討、そのように映ちゃあ()か。無論、新たに兵は集めでね()。……後悔すても始まん()。為信は城の広間さ、がっぱ(_/)と家来()集め(たがらせ)た。


 皆々、悔す(きまげ)そうな(つら)っこばす()

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