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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
野崎村焼討 元亀一年(1570)初冬
42/105

密談 1/5

 田子信直は北信愛の勧め()応じ、一旦は北氏の剣吉に、後に南部分家の八戸政栄()(すが)ることさすた。

 九戸氏()中心とする信直追討軍は八戸の手前(てめえ)足ば(/\)止める。八戸氏は家督争いにおいて中立()保っており、ここで戦えば敵()増やす結果さなる。すかも津軽の軍勢がいつここさ(_/)()向けるかわかんね。


 事実とすて信直の(おんじ)の石川政信は、津軽の諸将()出陣の準備(したぐ)()すように命ずた。ただす“準備”まで。なすて( ̄\)なら兄は主君()殺す(やる)べとすた極悪人とされちゃあ()これば(/\)公然(つけらっ)支援す(てえだし)ていものなのかどうか躊躇われたはんで( ̄\)だ。


 そうすてら(_/)うちに、秋が終わろ(しまお)うとしたった。両陣営とも膠着状態のまま、事態の打開()見い(めえ)だせね。

 頃合い()()た北信愛は、和睦案()提示すた。


 “一つ、晴政公は信直の罪を許す”


 “二つ、信直は田子の領地を返上す”


 “三つ、信直は当分、八戸に謹慎す”


 信直の(かが)に関すては、すでに出家すてあったため、復縁は叶わ()かった。どった(_/)(わけ)であっても信直が大殿()殺す(やる)べとすた事実は否めず、大幅譲歩すた形となった。

 そすて南部家の後継は唯一娘婿(もこ)となった九戸実親。ひとまず九戸氏の勝利だ。


 ……ただす、(つけ)えうちに戦端は(ふら)かれる。晴政は右のふとともにただでねえ(/\)()抱え、次第に膿が溜まってく。熱があり回復の兆すもね(\/)。短けえ()うちに亡くなると誰もが(かんげ)えた。



 とある冬の始め、九戸城。空風は吹き荒れ、あたりの葉()散らす。糠部の地は、雪(おへ)え。

九戸政実は(おんじ)の実親や仲間たち()()ばり、後継()確実なものとするための話す合い()持った。


 政実は、(ふと)つ咳払いば()する。そすてしゃべり(/\)出した。


 「津軽の軍勢がたんげ(_/)厄介だ。何がいいんだの()ねえ()が。」


 部屋()見回(めまわ)す。仲間らは腕組みば(/\)すて悩む。そった(_/)中、(ふと)(つら)っこ()あげで、(めえ)()進み出だ。


 「()(おんず)、津軽の大浦家()婿(もこ)()ちゃあ()はんで()。彼()密書()すただめどきます。」

関わった編集者様です。ありがとうございました!


津軽弁MC たろっく

@tsugarujuku017

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