毘沙門堂 2/5
中秋の薄暗え空の日。南部鶴千代はわずが三ヶ月でこの世ば去った。亡くなる間際には“晴継”の名ば贈られ、父晴政の意ば受けて南部家第二十五代当主の座も授けられた。たった二日間の家督だ。
流行り病にかかったらすく一旦は熱も治まったばって、体の至る所さ細けえ吹き出物が生ずた。熱もまんだ出始めたころには喚く力もねくなり、誰もが最後だと悟った。
晴政は呆然と立ち尽くす。この子のために、すべてば捧げてきた。なして天は奪うのだと。
……ふと、思い出す。民の間でされたった噂ば。
“疫病は、妻ば奪われた信直の祟り”
九戸政実、傍らで座まっちゃあ。晴政とその側室の彩子さ、決断ば促すたのだ。
“信直ば、討づべし”
晴政は晴継の葬儀のついでっこに、信直ば三戸さ呼ばることにすた。田子にいる信直の元さ知らせが届く。
信直は書状ば読み終えると、下の方さそのまま投げた。
「行がざるば得ねえ。皆の者、支度ばしへえ。」
本当は行きたくね。今は娘婿でねく、義父でもね。一家来にすぎね。そうさせたのは晴政自身で、このたびのことは因果応報のようにも思えた。まねんだばって、笑みがこぼれてく。家来らもそれば止める者はいね。
そったときに、北信愛の家来と名乗る者が参上すた。このことは内密にすてけえという。
“南部晴政公、田子信直ば寝所の毘沙門堂にで討ぢ取る計あり”
信直は驚かね。すでに何しても動ずね。一応、晴政がそこさ至った訳ば問うた。
「んです。娘の翠様さ見放され、赤子の晴継様も去ってまった。そうさせだのは信直の呪いだはんで、奴ば葬り去るどの由でございます。」
……投げてらんね言葉っこあった。




