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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
屋裏の変 元亀一年(1570)秋
38/105

毘沙門堂 2/5

 中秋の薄暗え空の日。南部鶴千代はわずが三ヶ月でこの世()去った。()くなる間際には“晴継”の名ば()られ、(とっちゃ)晴政の意()受けて南部家第二十五代当主の座も授けられた。たった二日間の家督だ。

 流行り病にかかったらすく一旦は熱も治まったばって( ̄\)、体の至る所()(こま)けえ()吹き出物(できもの)が生ずた。熱もまんだ出始めたころには喚く力もねく(\/)なり、誰もが最後だと悟った。


 晴政は呆然と立ち尽くす。この(わらし)のために、すべて()捧げてきた。なして(_/)天は奪う(がめる)のだと。


 ……ふと、()い出す。民の間でされたった噂()


 “疫病は、(かが)奪わ(がめら)れた信直の祟り”


 九戸政実、傍らで()まっちゃあ。晴政とその側室の彩子()、決断()促すたのだ。


 “信直()、討づべし”


 晴政は晴継の葬儀(だみ)のついでっこ()に、信直()三戸()()ばることにすた。田子にいる信直の元()知らせが届く。

信直は書状()読み終えると、下の方()そのまま投げた。


 「行がざる()()ねえ()。皆の者、支度ばしへえ(/ ̄)。」


 本当は行きたく(\/)ね。今は娘婿(もこ)でねく(/\)義父(とっちゃ)でもね(\/)。一家来にすぎね(/\)。そうさせたのは晴政自身で、このたびのことは因果応報のようにも()えた。まねん(/\)ばって( ̄\)、笑みがこぼれてく。家来らもそれば(/\)止める(ふと)はいね(\/)


 そった(_/)ときに、北信愛の家来と名乗る(ふと)が参上すた。このことは内密にすてけえ(/\)という。


 “南部晴政公、田子信直ば寝所(ねどこ)の毘沙門堂にで討ぢ取る計あり”


 信直は驚かね()。すでに何しても動ずね()。一応、晴政がそこさ(/\)至った訳()問うた。


 「んです(/\)(めのこ)の翠様()()放され、赤子(おんぼ)の晴継様も去ってまった( ̄\)。そうさせだのは信直の呪いだはんで( ̄\)、奴()葬り去るどの由でございます。」


 ……投げてらんね(/ ̄)言葉っこあった。

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