南部の跡継ぎ 1/5 +石川城絵図
その年の秋は豊作だった。南部軍は兵糧不足を苦することねく、予定通り羽州の鹿角さ兵ば進めた。
津軽からは郡代石川高信の次男石川政信が大浦為信ら含む総勢五千ば率いて、途中で長男の田子信直二千と合流す、七千花輪さ布陣。糠部からは当主の南部晴政自ら出陣す、九戸兄弟ら含む総勢六千は高倉山さ布陣すた。
鹿角の長牛城から見て花輪は北さ、高倉山は東さ位置する。二方向から攻める体制が築かれたのだ。
長牛城は鹿角の重要な拠点だはんで、でったらだ土堀で囲ってら。ただす南部安東両氏の取り合いが続き、すっかりとしちゃあ防衛機能ば固めきれてね。だはんで城主である大高氏はすぐさま、主君である安東氏さ援軍ば要請。まだ姿っこ現すてねばって、最低でも五千以上の兵ば率いてくのでねがと思われた。
南部軍各々布陣すた次の日、早速軍議が高倉山で開かれた。花輪さ布陣する田子信直や石川政信は勿論、末席に為信もいた。
このたびの戦に郡代石川高信は出陣すてね。公には津軽さ目ば光らせておくためとされたが、実のところ体っこの具合がへずね。肝の臓がやられてらとの噂であった。
天候は快晴、秋ではあるがそったらに寒びくね頃合いだ。山の上ではすでに色付き始めてら。
諸将は陣中にて椅子さ座す。上座の晴政より右手さ糠部勢、左手さ信直らが並んでら。ここで晴政は、ある宣言ばすた。
晴政はしゃべる。
「戦で領国ば広めるのは、もちろん私達が強ぐなるどいうごど。大変喜ばすい。」
皆、静まり返っちゅう。鳶の鳴き声もでっけく聞ける。
「だが、内憂ばねくすのも大切なごどだ。……こご数年、お主らはいがみ合ってぎだ。」
並びの先頭さ座るのは田子信直と九戸実親。両者とも晴政の娘婿であり、男子のいね晴政の後継候補だ。
晴政は強く、でったらに声を発すた。
「城主の首ばどった方さ、跡継ぎば決めようでねが。」
皆、二人さ注目する。初めに信直口ば開く。
「わがり申すた。大殿の名さ恥ずぬよう、手柄ばだでで参るべ。」
続いて実親も、意気揚々としゃべる。
「安東の援軍来る前に、かだばづげで御覧さ入れましょう。」
両者は言葉を発すた後、互いの顔ば睨みあった。
石川城絵図
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2018/02/15 挿絵に関して
出典元:特集 津軽古城址
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