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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
鹿角合戦 永禄十二年(1569)秋
16/105

他国者とは 5/5

 小笠原さけた(\/)屋敷(かまど)は、かつて逃げたんた農民が住んでらったとこだ。年貢()払いきれねえで、どこか()消えた。そった(_/)あばら屋の庭先。


 ……彼は標的の藁巻きば(\_)めがけ、ひたすら槍()()ん突く(/\)。"えいやえいや" とも掛け声()発せず、寡黙な様()際立ってら()


 その姿の横さ(/\)屋敷(かまど)の中で科尻と鵠沼がしゃべっ(/\)てら。両人とも同ず()信州の出で、このたび小笠原()支えるという名目で大浦家()もぐりこんだ。


 科尻はしゃべる(/\)


「……次の戦は、羽州の鹿角と聞く。」


 鵠沼は応える。


「ああ。安東が南部から土地を奪った。その仕返しだ。」


「ここで小笠原殿が目立つように活躍してくださらんと、企みは潰える。」


 ……二人は、万次の手駒。


 小笠原の戦働きと誠実さで、(がわ)りの信頼()勝ち取る。その裏っこで科尻と鵠沼は企み()進める。


 本来だば()、かつての一揆は勝ててら()んだ。二人の中さはその自負はある。


 相川西野の乱。他国者の相川と西野という二人の大将()中心に蜂起すた()事件。万次も裏で協力すて()らった()。勢力が外ヶ浜より津軽西浜()及んだとき、こちらでも決起する約束だった。


 だばってまんず(/\)簡単に郡代()討つことができた()はんで(_)敵ば(/\)(あめ)()るよう()なった。そこさ(/\)気のゆるみっこ生まれる。ほんずねえばって、相川と西野は主導権争い()始めたのだ。


 その隙ば(/\)ついて、今の郡代である石川高信は大軍()率い(かで)て攻めてきた。なるべぐすて、負けたのだ。


 だはんで、仲間割れがおきてねかったら十分に勝ててら()。相手は大軍だばってろ、前郡代()寡兵で討った経緯がある。


 二人は、木窓より小笠原()覗いだ。彼は真剣そのものだ。


 鵠沼はわん()つか()静かめに訊ねた。


「小笠原殿は、どうする。」


 科尻は答える。


「奴は、知らない方が幸せさ。戦のみ考えていればいい。」


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