津軽藩起始 浪岡編より 終末 第一話
北畠顕村は商家長谷川の者らや賭け場の仲間ば助けた。それも己だけの一存で。確かに顕村は浪岡の御所号という立場だし、つまりは一番偉え人物だ。だがその考えっこ甘く、学は人以上に積んでらんだばって、何も知らね温室育ちですかね。
当人にとっては仲間ば助けたことは善きことであって、民の出自はどんだ身分はどんだばと差別すね私はたんげ素晴らすいと考えてら。純粋にそう思っちゃあ。だはんでこそ亡き顕範が彼らば摘発すたことは、賭け場ば潰すというより、一種の “差別” によるもんでねえかとも考えだ。下賤の者らば排除する意味で。そすて賭け事自体はまねことでねく、下々の者と寄り添うわったいいツール、さらには一緒に混ざって遊ぶ私自身は、下々の者ば積極的に理解するべとするたんげいい人物だということにいつすか変わっちゃあ。
ただすそれらの意識や考えさ則るだば、むったど上下という分け方があるんた。その事実さ顕村は気付かね。上が下さ対し尽くすべという姿勢。その裏さは自分は上の人間であり、他人は下という絶対条件があった。だが残念だばって自分が賭け事さ嵌ってらという事実、上の者だば本来は教え導く立場であり己の身ば律するべきなんずに、こった頽落。
学だけはあるとこで、顕村にはこった風に考えることのできる力っこはあるろ。さらにはその力っこで、今の状態ば正当化することもできた。飛躍すだ論理ば美辞麗句で並び立て、今いっそう賭け事さのめりこむのだ。下の穢れた遊びさ興ずてら、上さ立つ者。あくまで下の者の暮らすっこ学んでらだけ。
そすてさきた賭け場仲間ば助けた。結果とすて牢ば開ける際に正体がバレたばって、そえでも行く。いらねもんば省いで理由っこしゃべるだば、“賭げ事ばすたいはんで賭げ場さ行ぐ” のだ。
……今夜は久すぶりに開がれるべな。吉町ば自ら誘い、商家長谷川の裏手さ向かう。




