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方言版 津軽藩以前  作者: かんから
相川西野の乱 永禄十一年(1568)秋
1/105

プロローグ

……北の国()は、(ふと)足りね(/\)。田畑()(ちょ)すにせよ、魚()獲るのも獣()射るにも。度重なる飢饉や災害で、(ふと)は死んでく。


 へば()だばどうせばいいんず。……(ふと)()他国より呼ばればい。


 ばって()、決すていいんた(ふと)がくるとは限んね。他国でのけ者(はんつけ)にされてらような(/\)(ふと)っこ逃げてきて、慣れた頃さ狼藉()働ぐ。そうでねくても、地元の習俗()溶け込まね(/\)(ふとお)もいる。


 ……こった(_/)ことがあったはんで( ̄\)、在来の民()他国者()毛嫌いする(ふと)っこたんげ(_/)いたんた。さらには "彼ら(あらんど)だば虐げてもい" と、たんげ酷使する(ふと)もいてら。なすてならここよりほかさ(/\)、行くところはねの(/\)だはん(/\)で。逆らうことはできねえ。


 とある秋の日。その年は雨っこ全く降んねで、作物育たねえでら()。苦すい()のは皆同ず。ばって支配者層は激すい収奪ばすた(\/)。そのなけなす(_/)の食い物()、在来の民さ優先すて配った。同ず人間(ふと)なのに……ひでえ(/\)


 …………他国者の怒りは、頂点()達すた。


 相川と西野。(ふと)人は宮城野の出身、もう(ふと)人は常陸の出という。かつては武門さ仕えてらば、殿さまが敗れてまって( ̄\)一族路頭()迷った。そうすて北へと逃げてきたんだと。


 二人は他国者の民()集め(たがらせ)、支配者であった南部氏()討たんとすた。まんずは手始めに津軽郡代の津村氏()破る。がぱっ(/\)ど外ヶ浜全体()支配下さ置き(\/)、後継者争いさ明け暮れてあった南部家中()衝撃()与えた(けてら)


 こいだば(/\)まねん()ねかと(/\)、一族の重鎮である南部高信は制圧()命ずられた。大軍()もって、反乱()つぶす。以降は新たな津軽郡代とすて石川という土地()腰ば(/\)据え、石川高信と名乗った。


 南部の(ふと)らは、生き残っちゃあ他国者()とこどん(えんず)めた。誰も止めるべとも()せず、彼らさとって地獄のようだびょん(\_)


 ……そった(_/)中、口にはださねが(\/)まねく()()ってら人物(ふと)がいてた。大浦為信、のちの津軽為信だ。物語は相川西野の乱が平定された直後から始まる。


関わった編集者様一覧。ありがとうございました!


津軽弁MC たろっく

@tsugarujuku017


ひさ⭐︎ママ

@aquaasia24


もり@ネリスキー

@yuunaoi


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