42 過去の人
転移の魔道具でアレンストに戻り、それぞれの報告を聞きながら夕食を摂った。夕食は傭兵団お得意の魔獣肉のキャンプ飯。でっかいブロック肉を串に刺して遠火でグルグルと焼いている。当然中まで火が通らないので、火が通ったところをナイフで削り落として、それを皿に盛っている。
それってケバブ。
別名シシカバブ。
ケバブとは基本的に単なる串焼きの事。一口大に切ったブロックを串に刺して焼いただけでもケバブと言うし、単に焼肉にした物もケバブと呼んだりする。
まぁ、形式は似るもんだし、肝心なのは味でしょう。
乾燥させて粉にした香草と塩を混ぜたお手軽調味料を振っているだけだけど、それなりにいい味を出している。
なんか贅沢な評価出しているなと自己嫌悪になりそうだけど、現代日本人ならこんなものかな。
ちなみに、ここの国での料理にひき肉と言う概念は無かった。
細かく切った肉を煮込むと言うのはあったけどね。必然的に腸詰も無い。衛生的な問題もあるし、内蔵に関しての意識もあるだろうから教えるつもりも無いけどね。
それよりも。
トーイがかまっている白い獣が気に掛かる。
細長い体形でオコジョやいたち、フェレットを連想させる姿だ。頭の形も大体似たような感じになっている。それが、トーイの体を猫タワーにしてグルグルと駆け回っている。トーイは現在八頭身体形でボンキュドンなスタイルなんだけど、分厚い防弾着をベルトでしっかり固定した状態にしている。なので、フェレット体形なら丁度いい遊び場だ。防弾着が無かったらオーバーハングで高度なフリークライミングテクニックを要求された事だろう。
これがサヨだったら…。
あれ? 風邪かなぁ? 妙に背筋が寒いような…。
「えっと、そのフェレットもどきは、いったいどうしたのかな?」
何故か話題を変えなえなければならない気がしたので話を振って見た。
「探索の時に倒れているのを発見して保護したのですけど、いけないことでしたでしょうかぁ?」
「この世界に野生動物保護法とか、動物虐待を阻止する目的の人間虐待の組織とかは無いだろうから、法律、道徳、倫理的にマズイって事は無いだろうけど、それがどんな動物的特性を持っているかとか、判る?」
「いえぇ、初めて見ましたもので…」
一応、表面的にはトーイに懐いている様だけど、実態は人間を襲う魔獣とかだったらヤバイよねぇ。と、言うことで現地の人たちに聞いて見ることにした。まぁ、一緒に夕飯食っている傭兵団の連中だけど。
で、傭兵団の全員が見たことも無い獣だと言うことが判った。
トーイが連れていて懐いているので、俺たちが連れてきたモノだと考えていたようだ。
そのとき、天と地竜にイチゴのクリームサンドを貰って齧っていたロッカクの妖精が俺に向かってシュッタっと手を上げた。
「えっと、知っているって事かな?」
基本、しゃべらないので、誘導的に聞いて見る事にした。その俺の質問にコクリと頷く妖精。
「もしかして、あの木の家がある世界の動物って事?」
次の俺の質問には、少しだけ首を傾けてから肯定的に大きく頷いた。
「人間の害になるような危険な動物かな?」
その質問には首を数回横に振った。
「次にあそこに行く時に、一緒に連れてった方がいいかな?」
また少し考えてから肯定した。
「判った。ありがとう」
そう礼を言うと、再びイチゴにかぶりついた。
「という事で、トーイ? それでいい?」
「はいぃぃ」
たぶん、召還魔法とかで次元の壁を破ってこちら側に来てしまったんだろう。しばらくトーイに面倒見てもらって、次にあの変な魔法の世界に行った時に開放すればいいという事をトーイに確認した。
まぁ、情が移って別れが辛くなるとかは勝手にやってくれという所だけどね。
俺の許可が出たことで気を良くしたのか、傭兵団の料理した串焼きの肉を小さくちぎって食べさせたりしている。そこにサヨも加わり、トーイの体を猫タワーにしたフェレットもどきを突きまわっている。ロッカクもサヨのように突きたい様だけど、トーイの体の表面をフリークライミングしているので諦めたようだ。
その代わりと言ってはなんだけど、ポーポーが強い興味を示している。魔獣以外の獣ってのは見たこと無かったかな。
そして落ち着いたところで本日の本命。俺が発見した滅びた都市の話を披露した。
大量の魔獣を犠牲にすることで連続的に魔獣を転移させる仕組み。なのに滅びて、誰も居なくなった都市。都市の周りは魔獣の楽園状態で、彷徨う誰かがその都市にたどり着く事は困難だろうと言う現実。そして、このアレンストと似たような都市構造と城の様子。最後に城の近くにあった倉庫で、ここの騎士よりも一回り大きいサイズの騎士をもらってきた事と、ロッカクのおもちゃであるレパイアと名づけられた修理・工作用昆虫型筐体に取り付けると予想されるパーツも持って来た事を告げた。
当然ロッカクが狂喜して、すぐに出せと要求してきた。
で、ここで使われている騎士が置かれている大回廊に並べて置く事にした。レパイアのアタッチメントはメインになっている作業所に。
置いた後はロッカクがあっちこっちと走り回り、地竜とポーポーが追いかけているので、俺たちは任せることにして夕食を摂った場所で寛ぐことにした。
「すごい勢いですねぇ」
「喜んでまんすねぇ」
「まぁ、こうなる事は判ってたけどねぇ」
それから一緒にお茶してくつろいでいる傭兵団にも聞いてみたけど、他の城塞都市国家というのは知らないということだった。でも隣国が二つあるのは周知の事実で、昔は戦争をしたという記録もある。昔は他国の情報も多く存在していたらしいけど、今では必要のない情報に化けつつあるようだ。実際、どこにその隣国があるか等は、ほとんどの人が知らないし、それで困ることも無い。
城の記録室みたいな場所になら、他国の情報も残っているかも。また、アレンストの城の職員であるベルガーたちに頼むことになりそうだな。
「あ、そうだ。こういう物も見つけたんだけど、この紋章に見覚えは無いかな?」
俺はポケットに放り込んでいた紋章入りの魔石を取り出して見せた。
そして一通り傭兵団の手でバケツリレーのごとく手渡しされていったけど、紋章については知っている者はいなかった。
そして、一回りして俺の手に紋章入り魔石が戻ってくる一瞬、トーイに絡みついていたフェレットもどきがスルッと俺の腕をつたいその魔石に噛みついた。
「「「あっ」」」
その場にいたみんなの声がハモった。
そして、フェレットもどきはハンガーの出口に向かって走って行った。
「えっ、えーと、追いかけなくてよろしいのでしょうか?」
一番初めに復帰したのはトーイだった。その声で他の者も復帰していく。
「うーん、一応大事なアイテムっぽいけど、追いかけてまで確保しておかなければならない、ってわけでもなさそうだしなぁ」
「あ~、その程度だったんだぁ」
サヨの感想は、俺以外の心を表しているっぽかった。意味ありげに出したのが拙かったかな。
「欲しければ上げるんだったけどねぇ」
そう言ってハンガーの出口を見ていると、角からフェレットもどきがひょいと顔をのぞかせた。
まるで、あれ? 追いかけて来ないの? という感じで。
「あー、なんか待ってるっぽいから、一応追いかけた方がいいのかな?」
「そのようですねぇ」
「ああ、私も行きます」
と言うことで俺、サヨ、トーイの三人と天、ピーちゃんとで追いかけることになった。傭兵団には休んで貰う事に。もう夕食も摂り終わってお茶してた時間だしね。
どっこいしょ。
と言って立ち上がったら、なんか憐れむような眼で見られたけど気にしない。アバターだからか明確な疲労は感じていないんだけど、今日の昼間もいろいろあって精神的に疲れてるんだよ。
というわけでテロテロと歩いてハンガーの出口に向かう。
フェレットもどきは外側の回廊方面に移動している。角ごとに俺たちがついて来ているか確認している所がかわいいとサヨとトーイは言っている。つまり案内ってわけだけど、そこにどんな意思が込められているかを考えると、少し不安になる。
あのフェレットもどきはこの世界の住人ではなく。俺たちにとっては三番目の異世界の住人のはずだ。単にそれだけなら異世界転移に巻き込まれたと説明はつくけど、この城塞都市の構造を知っている事が不安材料になる。
警戒は緩めない。
何らかの罠に引き込もうという邪な気配は感じないが、何らかの厄介事は遠慮したいのが本音だ。
フェレットもどきは進む。
「なんか、この進路だと霊廟の方に行きそうだね」
「マージ王のお墓参りでしょうか?」
「あっちと関係あるとしたらそれぐらいしか思い当たらないよねぇ」
マージ王はこのアレンストの王だったけど、何らかの原因で三番目の異世界に流され、そこで長く過ごしてきた。そのマージ王が宿っていた精霊石は霊廟の中にある墓に収まっている。このフェレットもどきはそこに誘っているのだろうか?
霊廟の手前にある研究施設に到着。すでにほとんどが朽ちているこの研究施設を抜ければ霊廟だ。
フェレットもどきはその研究施設の中で進路を変え、霊廟とは別の方向へと進んだ。
そして到着したのは、推定だけど研究施設の一番端っこ。入り口は他の場所と大差がなく、目的の場所として知らなければ『後でまとめて探索する時に調べればいいか』とスルーしてしまう感じだ。
そのなんの変哲もない扉に向かって、フェレットもどきが魔石を咥えたまま飛びついている。
ドアを開けてほしい犬や猫が扉に飛びついている姿と重なる。
そのフェレットもどきをトーイが後ろから抱き上げ扉に手を掛けたが、扉は開かなかった。どうやらカギが掛かっているらしい。
どうしたらよいかとトーイがフェレットもどきを抱き上げたまま俺の方を向いた時、開かなかった扉がガタンという音を立てた。
「どうやら、その魔石がこの扉の鍵だったみたいだね」
滅びた都市で一度見ている光景だったからすぐに予想がついた。
鍵が開いたという俺の言葉でトーイが扉に触れると、扉は難なく開いた。
すぐにフェレットもどきがトーイの腕の中から飛び出して、部屋の中に進む。俺たちもそれに続いて中に入ると、ほかの部屋と同じような水槽と機械が置いてあるだけの部屋だった。しかし、ほかの部屋と違うのは水槽が綺麗で、中の液体が半透明なままだったという所だ。
水槽の中は、茶色く変質した何か、としか言えないような物質。
顔を近づけ、目を凝らしてみると、中央付近が太くなった木の根のような繊維質の束という感じだった。
「何だろう?」
「他の水槽と同じ魔獣か、魔獣の一部ではないのか?」
水槽の上に乗っかって、中を見ている天の推察だ。俺も同じように感じたけど、この一本の棒にしか見えない物の正体が掴めない。
カラン。
天と同じように水槽の上に乗っかっていたフェレットもどきが紋章入り魔石を水槽の上に置いた。その行為で水槽に何か変化があるかと期待したけれど、単に俺に魔石を返すという意味だけだったようだ。
一応、その魔石を水槽や、何らかの機械と思しき物にも魔石をくっつけてみたけど変化は無かった。
改めて水槽を見るけど、やっぱり中にある物の正体が判らない。
「この水槽の中の水って何なんでしょうね?」
「こういう場合は、生物組織の腐敗を防ぐ保存液か、もしくは生命維持のための酸素や栄養を含んだ物というのが相場かな。もっとも、時間が経ち過ぎてミイラ化しちゃっているみたいだけどね」
サヨの疑問に何となく答えてみた所で違和感を感じた。
そうだ。ミイラ化してるんだ。液体の中でミイラ化するというのもおかしな話だけど、水槽を満たしている液体の所為でミイラと同じようになる可能性もありそうだ。
これがミイラ化しているとしたら、元の状態はどんなモノだったのだろうか?
「天。これがミイラ化する前の状態を想像できるか?」
「ふむ。現在の色や質感に惑わされていたかもな」
で。しばらく観察した天の結論は。
「おそらく、これは魔獣の筋だろう」
「すじ?」
「お前たちも同じだが、手足を動かすのに筋を縮ませているだろう?」
「あ、筋肉か。え? これって、魔獣の筋肉だけを取り出して保存してたって事?」
「何のために、というのは我にも判らぬが」
筋肉だけを必要としていた、って事だよね? 何のために?
昔、筋肉組織を使った動力というのを考えたことがある。生物で筋肉の組織について学んだ時に、思い付きで考えた時だ。で、生物の組織の一部だけを生存させておくのと、栄養素を補給する仕組み、新陳代謝を継続維持するための仕組みを考えて断念した。
単純に、維持する仕組みと得られる動力との関係で、生物化学的なブレイクスルーが無ければ効率が悪すぎるという結論に至った。
俺の住む現代世界の化学技術では資源の無駄使いでしかない。
でも、この異世界でなら?
元々がマナで構成された世界。生物も無機物もマナで作られている。そういう世界でならば、『生きた筋肉組織』を動ける状態で維持し続けることも可能なのか?
もともと、ゴーレムとかは動ける仕組みが無いのに、魔力で動いている。おそらく、ゾンビや骸骨兵なども同じだろう。岩の塊を人間のように動かすのと、関節を持った人形を動かすのとでは使う魔力も違うはずだ。さらに、関節を持った人形に筋肉組織を張り合わせて、人形全体を動かすのではなく筋肉を縮ませるだけの操作をしたのならば効率はもっと良くなるはずだ。
もちろん、魔力の効率は良くなるが制御は複雑になる。
でも、五メートルの人型ロボットに人間が乗り込んで操作するというのであれば、制御は逆に楽になるはず。
「あ、つながった」
「むっ? どうした?」
「えっと、ごめん。魔獣の筋肉組織を使ったモノが何となくだけど判った気がしてね」
「魔獣の筋を使ったモノか。我には想像できぬが…。まさが魔獣の筋を使って魔獣を作るとは言え……。そうか!」
「うん。今日、俺たちが持ってきた、アレンストの物よりも一回り大きい騎士は、手足を動かす収縮金属が入っていなかった。構造的にも収縮金属を入れ難い形をしてたしね」
「初めから入っていなかったのでは無く、魔獣由来の筋組織ゆえに、長い年月で朽ち果てていたわけか」
「ある程度の保存と状態維持の方法があれば、収縮金属よりも少ない魔力で大きな力を出してくれそうだしね」
「己の肉体を持つモノであれば、自らの体に負担を掛けぬようにと力を抑える傾向があるが、このような物に変えて交換すればよいのであれば、いかようにも無理ができるな」
「どんな無茶ができるかは、交換部品の製作コストとの兼ね合いになりそうだけどね。
とにかく、ここの施設を地竜に見てもらおう。地竜なら筋組織の利用が再現できるんじゃないかな」
再現できれば戦力の大幅な増強になるかも知れない。えっと、アレンストの騎士より弱かったらどうしよう? その時は材料になってもらえばいいか。
というわけでハンガーに戻ってロッカクと地竜、ポーポーに報告を入れた。ロッカクは手が足りない、自分の体が三つぐらい欲しい、とか喚いていたけど、筋肉組織の方は地竜が担当し、天がアシストする事になった。
次の日の朝。俺、サヨ、トーイ及びピーちゃん、月光は材料となる魔獣を狩りに行くことに。基本的に大型の魔獣で、力が強そうなのから選別。推定だけど使えそうなのは前足か後ろ足。胸から腕の先、腰から足の先までをサンプルとして収集し、他の部位は捌いてスタッフが美味しく頂く事に。ついでに収穫された小型の魔獣はそのまま国の魔獣肉解体所へと裏ルートで卸す事に。
まぁ、初めはその体制だったんだけど、傭兵団を鍛える必要もあるということで、サヨとトーイが効率的な体捌きを教えつつ連携を鍛えることになり、魔獣狩りは俺一人の仕事になった。
滅びた城塞都市国家の周辺には大型の魔獣がたむろっているので、探す手間もないから楽は楽だったけどね。ただ、ロッカクや地竜が忙しいのでビケの修理が出来ておらず、天のサポートも無いので久々のソロ行動ということに。ミィと出会う前の状態に近いけど、本来であればこの状態でやってたかと思うと感慨深いものがある。
べ、別に、寂しい、とかじゃないからね!
魔獣相手にツンデレっても空しかった。
ということで、八つ当たりのヘッドショット。
生きた筋肉組織が必要ということで、出来るだけ損傷を少なく、そして血抜きしない状態のままアイテムボックスへと収納する。
背中の高さだけでも一般住宅の二階の屋根ぐらいはある四つ足の魔獣。
アルマジロ型やバッファロー型、豹やライオンなどの猫系統や狼などの犬系統と、いろんな種類を数頭ずつ収納していく。鳥系統だけは十分な大きさの魔獣がいなかったので、一羽だけ撃ち落として収納しておいた。
撃ち落とすのはいいけど、拾いに行くのが面倒だった、なんて言わないからね!
気づけば昼を少し回っている時間だった。
一応安全な滅びた城塞都市の中でゲーム世界から持ち込んだハンバーグ定食を食べることにした。
うん。アレンストの傭兵団の前じゃ食べられなかったんだよ。傭兵団の料理も悪くは無いんだけど、食に対する満足感が足りない。食に対する拘りだろうか? それとも知った味じゃないと満足できないって事かなぁ。疑問は尽きない。あ、付け合わせのブロッコリーが美味しい。
ゲームには空腹設定とかは導入されていなかった。後々アップデートされて装備される可能性はあるけど、現在は何も食べなくても活動を続けられる。そのため食事は余裕のあるプレイヤーの、さらに一部にしか評価されていない。
いくら食べても太らないからと、喜んで大食いする者が出るだろうとは予想されていたけど、記憶や習慣的に『満足できる食事量』が増えて現実で苦労するという話が流れているので少量を嗜む傾向に落ち着いている。
まぁ、没入型のヴァーチャルゲームなので一日にプレイできる時間制限があるため、食事の時間を一回ぐらいしかやり過ごせない、という現実もある。
そういったもろもろの理由から、ゲーム内の食事は味重視で設定されている。
だからこそ、異世界の食事不満が現れるんだろうなぁ。とか、適当に考えた。あ、付け合わせのニンジンのソテーが美味しい。
「いい匂いだねぇ」
!
油断してた!
誰もいない廃墟だと思っていたから周辺探知に意識が行かなかった。しっかり起動させているんだけど、アラームがあるわけじゃないので見てないと探知の結果が判らない。
要は油断してたって事。
でも、今、なんて言った?
「あ~、デミグラスソースの匂い。ハンバーグかぁ…、いいねぇ」
日本語? 一応この世界はトーイが担当で、トーイと一緒なら会話もできるし文字も読める。今はかなり離れているけど、一緒にこの世界に来たのでその設定に沿っているはずだ。だから言葉が判るのは当然なんだけど、今聞こえた響きは日本語そのものだった。
「日本人か?」
周辺探知に目をやると、すぐ近くの瓦礫の向こうにいるのが判った。念のため小銃は構えないが、拳銃の方は抜いて握っておく。それでも撃鉄は上げないまま。一応の言い訳はできるようにしておく。
「お~、って日本語? まさかこんな所で日本語を聞けるとは思わなかった」
距離を取ったまま瓦礫を回り込んで、声の主を視認することにした。
慎重に。そして直ぐに拳銃を撃てるようにスライドに手を乗せながら銃口を対象に向ける。
そしてそこには、一人のおっさんが倒れていた。
服装は白衣っぽい感じだけど、けっこうボロボロだ。うつ伏せに倒れていて動かないので気配が感じなかったようだ。
「誰だ? 名前を聞かせてくれ」
「………」
銃口を向けたまま問いかけたが、今度は答えなかった。
「返事がない。ただの的のようだ。よく狙いをつけて鉛玉を撃ち込んでみよう」
「わー、待った、待った。生きてる、生きてるから」
そう制止してきたけど動かない。そして響く音。
グゥゥゥゥゥゥゥゥ~…。
「は、腹が減った…」
それがこのおっさんの現状だったようだ。
「あなたが食べたいのは、この五百グラムのステーキ定食ですか? それともいろいろな種類を盛れるだけ盛った大盛カオス天丼ですか?」
「りょ、両方くれ~」
「二つで三千二百円です。カードは使えません」
「つ、ツケで…」
そして二人前以上の量を食い切ったおっさんが生き返った~、とほざいていた。
「で、おっさんは何なんだ? どうしてここにいる?」
「はぁ~、俺もデフォルトでおっさん呼ばわりかぁ。年は取りたくないねぇ。仕方ないか。俺は」
「ああ、待って。一応本名は無しで。俺も本名を名乗るつもりもないし」
「あ? そうなのか? ああ、それならそれでいい。俺のことは適当に呼んでくれ。おっさん、以外の呼び名でな」
俺はその言葉に衝撃を受け、頭を抱えながらその場から離れようとした。
「おっさん以外でだとぉ? なんという無茶ぶりなんだ。これは、草案を出すだけでも最低一週間は必要な案件だな」
「だー! わかった、わかった。おっさんでいい。ったく、生意気なガキだぜ」
「じゃあ、おっさん。コーヒーがいいか? 緑茶、紅茶、ウーロンもあるし、オレンジジュースもあるぞ?」
「あー、オレンジジュースをくれ~。って、今、それ、どっから出した?」
俺がアイテムボックスからオレンジジュースを取り出すと、それを目を見開いて驚いていた。
「どこって、アイテムボックスだけど?」
「アイテムボックスってなんだよ。どこのファンタジーなんだ?」
「おっさん。ここで倒れていた経緯を詳しく教えてくれ。個人情報とかは関わりたくないから適当でいいけど」
「あ、ああ、わかった」
オレンジジュースを一気に飲み干し、おっさんが語った。それによると、おっさんはとある企業に属する研究、教育部門のシステムエンジニアをしていたそうだ。形式的には子会社扱いなんだけど、実質は便利屋的な一部門として扱われているらしい。大人の事情がありそうなんで詳しくは聞かなかった。
その研究部門で新しいシステムを構築して、その利便性やコストを考えるのが主な仕事だそうだ。
以前はそういった部門は真っ先に削られていく運命だったようだけど、最近は研究開発に予算があてられるようになって良かったとか呟いている。
そして、その研究機関で没入型ヴァーチャルリアリティの実験をしていたそうだ。
おっさん曰く。取引相手は国内、国外を合わせた戦争関係の組織から申し入れが入っているので、予算は多くは無いけど少なくは無いそうで、それなりにやっていたそうだ。
で、犬や猫、サルを使った実証実験を経ていよいよ人間での実験となった。
まずは手のひらの感覚だけ。足の裏での地面の感触。ヴァーチャル空間での物理法則とそれに合わせた体感覚などの実験を終えて、全感覚の没入に踏み切ったそうだ。
一応実験で実害は無いと判断されていたけど、それでも心理的な不安があるため試験を行う前に開発主任である自分が密かに被検体になった。
そして気が付けばこの巨大な廃墟都市に居たそうだ。すでに一週間が経っていて、さすがに空腹で諦めていたらしい。初めのいい匂いだねぇ~、と言っていたあたりはほとんど意識が無かったそうだ。
「ちなみに、その実験を行った時の日付と、その時の総理大臣の名前は言える?」
「あー、日付は判るけど、総理大臣?」
おっさんは訝しげだったけど、一応素直に答えてくれた。
「うん。なるほど、俺たちの『今』と比べて十二年の差があるね」
「十二年?」
「多分おっさんにとっては未来との会合。俺にとっては過去の人との遭遇だねぇ」
「未来だとぉ? ならば聞こう。これからの万馬券のレースとどの宝くじ売り場から一等が出るかを!」
「うん。コオニ=ゴブリンとオニノ=オーガとの一騎打ちと噂されたレースにヤミノ=リュウオウが差して万馬券だったな」
「………嘘だな?」
「当然。だいたい俺が知るわけがない」
「チッ。使えねぇヤツ。
ああ、とりあえず、それは置いといて、お前はなんでここにいるんだ?」
そこで俺は、まず、俺たちの世界でのヴァーチャルリアリティゲームの現状を話して行った。
初めは軍関係の、歩兵のための訓練用として使用され、小隊、大隊用に拡張、戦車戦や海戦、空戦、混合戦へと性能が上がっていった。戦車戦が訓練で利用されるようになった頃に民間での利用が始まり、アダルトなコンテンツが現れてから規制が強化され、都合のいい欲望のはけ口的なコンテンツからリアリティ追及型に変わって、俺たちの遊んでいる現状になっている。
そして、今、おっさんの目の前にいる俺自身がゲームのアバターであると宣言した。
「え? まじか? するってぇと、ここはゲームの世界なのか?」
「それは俺にも判らない。一応はこの世界の住人はそれぞれに意思を持っているから、俺たちの時代の技術じゃ演算が追い付かないだろう。それを言えば、ここは純粋に異世界なのかも知れないけど、もしかしたら時間を飛び越えた未来のゲームフィールドという可能性もある」
「可能性だけなら無限大、ってわけか。一応、人が大勢住んで、自由意思で生きているのは確認したってわけだな?」
「可能性で言えば、おっさんと俺たちは別のパラレルワールドの存在、とかも考えられるけどね」
「それで、総理大臣の名前か。だが…」
「同じ世界の時間がずれた存在、ってのが可能性としては大きいとは思うけど、パラレルだから時間もずれている、という可能性も捨てきれないね。まぁ、一応大臣の名前はあってたから、そう遠いパラレルじゃないとは思うけど」
「一応、俺の知っている現状を言っておくか?」
「十二年以上前の事なんて、俺自身がはっきりとは覚えていないよ。何となく、って事なら知っているけどね。多分無駄だから止めとこう」
そして俺はアイテムボックスからホットコーヒーを二つ出しておっさんの前に一つを置いた。俺自身は使わないんだけど、シュガースティックと粉ミルクのスティックを出してスプーンと一緒に置いた。
「ああ、一週間ぶりの嗜好品だ。美味いな」
「一応、それもゲームの中で売り買いできるアイテムで、アイテムボックスに入れれば冷めないし劣化もしない。まぁ、データとしてはコピー何だろうけどね」
おっさんは初めの一口はブラックで飲んで、後から砂糖とミルクを追加してかき混ぜている。
「さっきのステーキと天丼もデータなんだな?」
「一応、空腹設定とかはアップデートされてないから、必要なモノじゃないんだけどね。他のゲームでは空腹設定で飢餓状態でスタミナが減るとか、ダメージになるとかあるらしい。アイテムボックスも容量限界があって、課金とかが必要だとか」
「本当にゲームなんだな。アイテムボックスにはどのくらい入るんだ?」
「この城塞都市の外の様子は見たか?」
「ああ、あの群れがいるせいで、ここから動けなかった」
「外の大型魔獣が俺のアイテムボックスに十数頭収納してある。それでも限界っぽくは無いな」
「アレをか? よく入るもんだ。というかよくアレを倒せたな」
「この体がゲーム基準でレベルアップしているみたいだ。何度か苦労して倒した後、同じ弾丸でさえ威力が上がっているのは確認した」
そう言って拳銃をおっさんに渡してみた。
「ほう。って、俺も銃をいじるのは初めてだから判らねぇが、本物っぽく見えるな」
「弾丸の予備は大目に持ってるから好きなだけ撃ってもいいぞ」
「マジか。俺の部下がグアムに銃撃ちに行くとか言ってたが、そん時は興味無かったんだよなぁ」
そんなつぶやきをしつつ、横方向の瓦礫に向かって拳銃を撃ちまくっていた。予備マガジンも二つ撃ち尽くした所で一応満足したのか終了した。
「いやぁ~、結構撃っちまったな。大丈夫か?」
多分、弾を使いすぎたとか思ってるんだと思う。
「弾丸のストックは、確か五百以上は残ってるから問題ないよ。使い始めの頃は、丸一日撃ちっぱなしにして、慣らしたりもしたしね。おかげで命中補正も手に入ったと思う」
「思う?」
「ステータスが明確な数字で表現されないんだ。命中補正とかもあるってのは確信なんだけど、目に見える形では判らないようになってる。元々、ステータスという考え方じゃないみたいで、基礎体力はあるみたいだけどタイミングや力の入れ方で変わるしね」
「ああ、マジでリアルなんだな。ヴァーチャルリアリティなんて言ってるけど、マジで仮想現実ってわけか。それで聞くが、『死』はどうなってる?」
「ここの住人は死ぬとそれっきり、というのは当然だけど、死にたくないと強烈に願うのなら、魂を保管できる器に乗り移る事もできるみたいだ。
ゲームの世界の中でなら死んでも特定位置にリスボーンというのがある。この体を作ったゲーム内なら、俺もリスボーンするんだろうけど、ここの世界で死んだ場合にそれが適用されるかは試していない」
「ああ、試すにはリスクが高すぎるのは理解できる。で、まあ聞きたいのは、俺はどうなるか、って事だけどな」
なるほど。強気な考え方で誤魔化してきたけど、実際はかなり不安だったんだな。
「実は、俺はゲームの世界に戻って、そこからログアウトできる。おっさんの場合はゲームのメニューが適用されるかが問題だけど、かなりの確率で適用されないんじゃないかと思う」
天やミィは冒険者登録は出来ても、ログアウト時は俺のアバターの所有物として格納されてたしね。
「もう一つ。実はこことは別の異世界に、日本から転移したらしい人物と会った。その人たちは帰れなくて、その異世界で最期を迎えたらしい」
「ああ? なんか違和感が…、って、会ったとか言ってなかったか?」
「一人は一応天寿を全うした。そして、その時に魔石に自分の魂を移したんだ。もう一人はどんな最期だったかは聞いていないが、他の者によって魔石を移植されて、自分自身の体に憑依したという感じになってた。まぁ、二つ目の方は、人の命を食らう化け物になったみたいだけどな」
「結局俺も、そんな最期なのかな…」
「おっさんが通ってきたゲートがあれば帰れそうなんだけど」
「ゲートか。異世界と俺たちの世界をつなぐ門ってわけだ。そのゲートってのはどんな形してるんだ?」
「形は無い、と思う。あえて表現すると暗い闇みたいなのが、光の関係も無視してそこにある、という感じかな。その暗闇の中心というか、向こう側に異世界の風景が何となく見えている、というのが形って事になるかな」
「ああ、ああ、マジかい」
「どうした?」
「俺がこっちに来て、動けるようになった時に、目の前にそんな感じのモノがあったんだ。不気味過ぎて近寄らないようにしてたんだがな」
「確かに、普通なら近づこうともしないモノだよなぁ。あ? あれ? 今、動けるようになった、とか言ったか?」
「ああ、なんというか、なぁ…」
「俺も初めての異世界に来た時に、全身が苦痛で債まれた。正確な数字は判らないけど、六時間以上は苦しんでいたと思う。苦しみで気絶したのか、痛みに疲れて眠ったのかはわからないけど、気が付いたら一晩経過してたな」
「ああ、それだ。なるほど、一種の通過儀礼みたいなモンだったか」
「その場所は覚えているか? まずは確かめてみよう」
「ああ」
おっさんの案内で瓦礫の街を進んだ。昨日、俺が無軌道に探索をした場所からは外れていた場所だったので、知らなかった事に納得。
そして、それは案の定、まぎれもなくゲートだった。
「確かにゲートだな。おっさんにはゲートの向こう側が見えるか?」
「言われて無ければ判らなかったが、確かに俺がいた実験室だな。で、こいつがあれば俺は帰れるわけか」
「おっさん。もしかして、こっちで遊んで、満足してから帰ろうとか思ってないか?」
「拙いのか?」
「正直言うと、どうなるか判らない。ただ。おっさんと俺との時間の流れが違いすぎるのが懸念材料だな」
そこで、俺は異世界とゲーム世界の時間の流れを説明することになった。
ゲーム世界では、現実の四倍の時間が流れているが、これはヴァーチャルリアリティに没入することで体感時間を強引に早めているだけだ。だけど、ゲートをくぐって移動した異世界では、完全に時間進行が切り離されている。つまり、異世界で何年過ごしても現実では数秒しか経っていない状態になる。
この数秒、と言うのも、世界間の移動のための時間らしく、ぶっちゃけて言うと入った自分と出てくる自分とがかち合わないようにしているだけ、という意味でしかないだろう。
それだけならば移動する者にとっては都合のいい仕組みだけど、俺にとってのミィや天、サヨにとってのピーちゃんやポーポー、ロッカクにとっての妖精、トーイにとっての月光という異世界に移動するための『コンパニオン』の存在が大きく関わってくる。
簡単に言うと、この世界はトーイが担当だから、おっさんをここに残したままトーイがこの世界から離脱したらどうなるのか、という問題だ。
念のためにトーイたちと他の三つの異世界の事は伏せたまま、俺と異世界側の時間進行を説明した。
「つまり、お前が元のゲーム世界に戻ったら、この世界の時間進行が止まる、という事か?」
「止まるんじゃなく、俺が再びこの異世界に戻る時間的な位置が、俺が離脱した時間になる、という事なんだけど」
「ああ、判る、判る。だが、それは問題か?」
「おっさんが居る事で、それが壊れる可能性もあるんだ。何しろ、俺とおっさんとでは十二年ぐらいの時間的な差があるわけだし」
「どちらかにずれる、とかならいいが、壊れるというのは拙いか」
「ありそうもないけど、最悪なのは俺の世界、ここの世界、おっさんの世界の時間が壊れるかも」
「時間が壊れる、ってのは宇宙崩壊以上の事態だが、壊れるのにも相当なエネルギーが要るんじゃないか?」
「時間に影響を及ぼすエネルギー量なんか考えたことも無いけどね」
「ああ、無駄な考えになっちまうな。やっぱ、素直に戻った方がいいか」
「おっさんにコンパニオンがいれば、また別な話なんだけどね」
「異世界への案内人か。ああ、せめて温泉コンパニオンに…」
「おっさんって…、ああ! おっさんだった」
「ぐっ。今のは俺もおっさん臭いと思う発言だったから文句も言えんな」
そんな無駄話をし終わったところでおっさんが姿勢を正した。
「さて、現実への帰還と行きますか」
「おっさん!」
俺はポケットから紋章入りの魔石を取り出して、おっさんに放り投げた。それを危なげなくおっさんがキャッチする。
「これは?」
「俺がこの廃墟になったこの国の城で見つけたものだ。何らかの魔法のアイテムらしいけど詳細不明だ。でも、おっさんがこの国に来た事と関係があるかも知れないアイテムだと思う」
「ほう。だがなぁ。今の俺が受け取っても、消えちまう可能性もあるんだが…」
「おっさんのアバターデータが格納されている所をチェックすれば、所持アイテムの事とか、魔法の事とか判るきっかけにはなると思うけど? 受け取りたくない、と言うのなら返してくれ」
「………判った。これは預かっておこう」
そう言った後、おっさんは深呼吸をして周りの景色を見ながら空気のにおいを感じているようだった。それは、きっとおっさんのアバターでは再現できない事だったのかも知れない。
「さて、じゃあな。また会おう」
肩越しに振り返ってそれだけを言い、おっさんはゲートの闇の中に進んで言った。
そして、おっさんが認識できなくなるとゲート自体も薄くなって消えていった。
「また会おう、か。ほんとおっさん臭いな」