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手紙

作者: k13


手紙を拾った。

悪いかなって思ったんだけど開けてしまった。


封筒には宛名も何も書いてないし、

どこかに届け先が分かる言葉が書いてないかなっていうのは言い訳。


なんだかとても心惹かれてしまったから。

綺麗な薄桃色の、和紙の様な手触りの封筒。

こんな美しい色紙に包まれた手紙に、どんな人がどんな想いをしたためたのか。


封はされてなかった。




【この海と、私と、私たちの時間を忘れないで。

あなたの成功よりも、あなたの無事を祈ります。

私はいつまでも此処で待っていますから。

あなたの夢を、心を、愛を知る者として在り続けることで、あなたの帰る場所となります。

ですから三年後には、これまでの日々の様に、あなたの全てを知ろうとすることを許して下さい。

共に幸せな日々を送りたいのです。

私をあなたの居場所として下さい。


この海に来ると、幸せな気持ちになります。

海は私とあなたを繋いでいます。

伝わる気がするのです、あなたに。

私はちゃんと闘っています。

あなたに言われたように自身を大事にしています。

床に伏していて、私を蝕むものの足音が聞こえようとも耳を塞ぎません。

目を閉じません。

私はあなたと一緒ですから。

何も怖くはないのです。

あなたと繋がっているのだから、恐怖など感じないのです。】




あたしは便箋を元通りに封筒にしまった。

そして鞄にそっと入れた。


夕陽があたしの影を長くしている。

そろそろ帰ろう。

公園のブランコから立ち上がった。



「ただいま」

玄関を開けると、見慣れない革靴。

兄だ。

あたしには二人の兄がいる。

大兄と小兄。

これは就職して、一人暮らしをしている大兄の靴。


「おかえりなさい、ミウ」

母が台所から顔を出す。

「ハジメが帰ってきてるわよ。

一言メールぐらいしてから帰ってくれば色々準備したのに。

全くボンヤリしてるんだからね。」

嬉しそうに言う。

あたしも笑う。

大兄には話してみようか、さっき拾った手紙の事。


小兄はちょっとおバカだから、適さない気がする。


「大兄はどれくらいいるのかな?」

「さぁねー…相変わらずのボンヤリ君で。

でも夏休みで連休みたいだから、しばらくはいると思うわよ。

居間にいたから聞いてみなさいな。」

「うん」

二階にある自室に上がりかけて、もう一つ質問。

「小兄は?」

「ジロウはお父さんに連れられてビール買いに行ったわよ。渋々。

お父さんも急にハジメが帰ってきたから喜んじゃって。」

「そかそか」

二階に上がり、自室のノブに手をかけると風を感じた。

ベランダのドアが開いてる。

大きな背中。

大兄が煙草を吸っていた。

「大兄、おかえりなさい」

「ミウ、おかえり」

ふんわり笑う大兄。

とてつもなく癒し系。

少し、他愛もない話をした。

「…あ、着替えて来ないのか?

暑かっただろう。

夏期講習か」

「うん。

校内はクーラー効いてるからいいんだけど行き帰りがね、地獄だよ」

ふんわり、笑顔。

「ジロは夏期講習なんか行かなかったから、この話しても通じないね」

「小兄が大兄とあたしと同じ高校に通ってたのが驚きよ。

あ、そうだ大兄これ…」

薄桃色の封筒を出す。

「あ」

大兄の顔が止まった。

…?

「どうしたの?」

クスリと笑う大兄。

あたしの手から優しく封筒を受けとると、手触りを確かめるように両手に持つ。

「これ、図書館で見つけた?」

「ううん、帰り道で…どの辺りだったかな?」

「大事に持っていなさい」

受け取った時と同じように優しくあたしの手に封筒を戻すと、大きな手でポンポンと頭をなでた。

…?

階下から母の声がする。

「お父さんとジロウが帰ったわよー。

降りてらっしゃーい」


その日は結局、大兄から手紙の事はこれ以上聞けなかった。

みんなでお寿司を食べて、楽しく一家団欒。

小兄とお父さんが大兄にべったりで二人きりにはなれなかったし。

でも楽しかったから別に良かった。

というよりも忘れていたのかもしれない。

翌日も夏期講習があるあたしは、みんなよりも早く床についた。




「ミウ、夏期講習だろ」

小兄が起こしてくれた。

「…もう〜…

勝手に入ってくれるなよ」

目をモリモリ擦りながら起き上がる。

「起こしてくだすってありがとうございます、お兄様だろ」

小兄がこの時間に起きているなんて珍しい。

大兄が帰っているからだろう。

「お前ケータイアラームかけ過ぎな。全く起きないし。

今日も暑いぞ」

「う〜…ん」

朝は弱い。

頭が回らない。

「エリザベスによろしく言っとけよ。

新たな恋に生きなさいって」

ニヤッと笑ってバタンと扉を閉めた。

…?何の事…。

手紙の事なのか?

けれど大兄が言うハズはないし…小兄も粗暴ではあるが人の鞄を勝手に開けるような真似はしない。

「ミウ、もう8時になるわよ」

今度は母が入ってくる。

「は…ちじ」

マズイ。

当然、小兄に問いただすことも、大兄に話の続きを聞くことも出来ずに家を飛び出した。



学校でユカに話を持ちかけてみた。

午前中の英語のサテライト講習の後、学食でお弁当を食べながら昨日拾った手紙の話をさりげなくした。

「その話知ってるよ〜」

ユカはフフフと笑いながらあたしの顔を覗きこむ。

「え、何…が?」

「ミウはそういうの疎いもんね」

全く読めない。

あたしは手紙を拾ったとしか言ってないんだけれども。

「あれ?ミウ知らないのか」

大きな瞳でキョトンとした顔をする。

「この学校の七不思議ってやつよ」

ユカは続けて教えてくれた。

「まぁあたしも七つ全部は知らないんだけどさ、ピンク色の手紙って話があって。

なんだっけな〜…。

うろ覚えなんだけどね。

うちの学校の図書館あるでしょ?

そこの北欧の方に関係する、館外持ち出し不可の図書の間に挟まってるピンク色の手紙があるんだって。

噂によって内容は違うんだけど、病気の女の人が恋人に宛てた手紙でー…。

その手紙を探してる霊が図書館に出るって話」

正直ドキリとした。

手紙の内容は合っている。

「まぁ七不思議ですからね。

どこが出どころか分からないし、人づてに口承されてるものだから」

ユカは顔が広いし、流行りなんかにも敏感だ。

校内の情報網は確実にあたしよりも広い。

「どうしたの?ミウ」

「ううん、ありがとね。

昨日大兄から手紙の話聞いて気になってたんだよね」

嘘をつかせていただいた。

手紙の実物を見せてと言われてしまうのは嫌だったし、秘密にしておきたかった。

「ミウのお兄ちゃんがいた時からあったんだ、この話〜」

ユカは笑ってお弁当の唐揚げを口に放り込んだ。午後の講習、あたしとユカは別の科目をとっていたので廊下で別れる。

「ミウ今日は午後何コマ?」

「1コマ、数学のみ」

ピース。

「うげー…あたし古典と長文読解だからな…。

お兄ちゃんたちによろしくね」

「小兄はいつでもいるけどね」

笑って手を振った。

午後の講習は上の空だった。

大兄は七不思議だから知ってたのだろうか。

しかし小兄ならばともかく、あたしのように流行りやら噂やらには疎い大兄が七不思議なんてものを知っているとは思えない。


数学講習が終わり、家路につこうと歩き始めたが、思い直して図書館に向かった。

うちの学校は中高大と同じ敷地内にある。

なので、学食も図書館も大きく、充実している。

夏休み中も変わらず解放されているので今から3時間ぐらいはゆうに過ごせる。

向かいながらも頭の中で思いが巡る。

そんなに有名な話だったら、この手紙も悪戯かもしれない。

でも内容に心惹かれた。

図書館を見てみるのもいいか。

足早になる。


一人で図書館に来るのは初めてだった。

重たい扉を開けると、ヒンヤリとした空気がこぼれだす。

火照った身体に冷房が心地よい。

入り口正面の司書に会釈をして館内に入る。

この大きな図書館は、とても解放的な造りをしている。

建物はドーム型で、一階の壁全面に本棚が並ぶ。

内側にもう一回り、背中合わせに本棚。

中心に円形の木製のテーブルと椅子がたくさん設置されていて、大学生たちが読書したり勉強したりしている。

二階部分は、ちょうど一階の本棚が並んでいる上にあり、天井は吹き抜けている。

二階には本棚とその合間合間に簡単な椅子がある程度だが、外に出るテラスがあり、小さな庭になっている。

テラスはあたしが今入ってきた入り口から対角線上にあるが、二階外側には、ぐるりと外通路があり二階のどこから回ってもテラスへ出られるようになっている。

館内に人はまばらだった。

利用者もほぼ大学生。

空調の音が聞こえる。

たまに物を書く音。

椅子を引く音。

とても静かだった。


内壁や棚やテーブルなど、全てが木製で揃えられ、実際に築年数もかさんでいることも手伝ってか、かなりアンティークな印象を受ける。

嫌いではない、どちらかというと好ましい雰囲気だった。


あたしは早速、北欧に関する図書を探し始めた。

まず手始めに紀行関係。

次に歴史…というように。

司書に訪ねるのは何だか気が引けた。

恐らく、好奇心豊かな高校生が七不思議を追求するがため、幾度となく北欧の本を探しに来たはずだ。

苦笑されるのが目に浮かび、やはりできない。

途中北欧と全く関係のない本に夢中になったり、読みたかった本を見つけたりと脱線しつつ、一階の本棚を攻略し、二階の本棚を半分まで見て回った時だった。

外通路に出る硝子戸から橙色の光が射していた。

…もうこんな時間。

意外と夢中になってしまった。

続きはまた明日にでも…と、立ち上がろうとした瞬間止まる。

硝子戸越しに目が合う。

髪の長い、線の細い女性。

真っ白なロングのキャミワンピを着て、こちらをじっと見ている。



学生じゃない。

違う。

人じゃ…ない?


目が反らせない。

彼女の視線が徐々に斜め下に移る。

視線の先は恐らく鞄。

鞄の中の手紙。


もう一度、あたしの顔に視線を向けて、彼女は硝子戸越しに見えない所へ消えてしまった。


あ。

咄嗟に硝子戸を開けて追いかける。

彼女が手紙を書いたのだ。

間違いない。


テラスへ向かった。


白い木製のベンチに彼女が座っていた。

あ、普通にいるんだ。

そして…

(足がある…って思った?)

「え…」

驚いた。

「霊って心が読めるんですか?」

(霊って…ハッキリいうのね)

クスリと笑う。

とても美しい女性。

年は20代半ばぐらいだろうか。

「あの、貴方がこの手紙…」

(そうよ)

ハキハキ答える。

なんだか手紙から受ける印象と違うなぁ。

「あたし…図書館で手紙を拾った訳じゃないんですけど…これですよね」

薄桃色の封筒を出す。

(そう、この手紙…)

いとおしそうに受け取る。

(私があの人に向けた手紙)

とても優しい表情になる。

「あの…貴方たちに一体何があったんですか?」

聞いてみた。

すっとこちらに向き直る女性。

真っ直ぐにあたしの目を見る。

吸い込まれそうな程綺麗な、薄茶色の瞳。

(わからない)

哀しそうな顔。

(あの人は幸せに過ごせたのか。

とても気掛かり)

唐突に、波の音が聞こえる。

ハッとして周りを見ると、あたしたちは海岸にいる。

もうほとんど日が落ちて、暗い浜辺。

(1960年、病に伏していた私はあの人と一緒に行く事が出来なかった)

波打ち際に立った彼女は、ポツリポツリと話し出した。

(あの人は3年で帰る、と言ったの)

あたしはただ立ち尽くして彼女の話を聞いていた。

(私は毎日手紙をかいた)

彼女の手の中には薄桃色の封筒。

(あの人からも手紙が届いた。

それだけが私の楽しみ)

海の向こうを見つめている。

(けれどあの人は3年経っても戻らなかった。

あの人からの手紙もその頃には届かなくなった。

そして1年ぶりに手紙が届いたその日、私は病に負けてしまった)

寄せては返す波音にもかきけされずに、彼女の声はあたしの耳に届く。

(あの人からの最後の手紙を読むことが出来なかった)

彼女の姿は、暗闇に溶け込む様になり、よく見えない。

(あの人は幸せだったのか。

それが知りたい。

あの人の最後の手紙を読みたいの)




気がつくと、あたしはたった一人、砂浜に立っていた。

彼女の姿はない。

心臓がドキドキドキドキと響く。怖くはない。

ただ鼓動が高鳴っていた。


海岸から車道へと出る。

此処は近所の海。

家までは歩いて20分くらいか。

軽く放心状態でトボトボと歩く。

今何時だろう。

携帯を見ればいいのだが出す気はあまりしない。

後ろから車のライト。

あたしを抜いて走っていく。

彼女は知りたいのだ。

恋人のその後を。パパー…

クラクションが鳴る。

振り返ると小兄がバイクに乗っていた。


「エリザベスと会ったんだろ」

小兄は背中越しに言った。

「え…」

やはりエリザベスとは彼女の事だったのか。

でも日本人じゃないのだろうか。

「助けてやんな」

「…うん」

帰り道、それだけ話した。


大兄も優しく笑うだけだった。

「おかえり、ミウ」

「ただいま」

なんだかひどく疲れた。

この日も早めに床についた。


…1960年…

…どうしてうちの学校にいるの…

…恋人はどこへ行っていたの…


疑問ばかりが浮かんでは消えた。



翌日は夏期講習無し。

けれど学校へ行くことにした。

「あら、ミウ今日学校だっけ」

母はあれ?という顔。

「お弁当作ってないわ」

「ううん、夏期講習じゃないんだけどちょっと図書館で調べもの」

朝御飯のトーストにバターを塗る。

「お昼はパンでも買うから大丈夫」

大兄がリビングに入ってきた。

「おはよう」

「おはよう」

「学校に行くのか」

「うん…気になるからね」

大兄に聞けば早いのかもしれない。

でも気が引けた。

あたし一人でやらなければ、という気持ちがある。

「うちの学校、昔は大きな病院だったらしい」

変に意固地なあたしに、大兄はヒントをくれた。

「図書館に成り立ちを書いた本があると思うから」

優しく笑う。

「ありがとう、大兄」


今日は司書に尋ねることにした。

何冊か関連本をピックアップしてテラスへ出た。

暑さと日射しの為か、テラスには白いワンピースの彼女一人しかいなかった。

昨日と同じ白い椅子で遠くを見ている。

あたしは彼女の隣に腰かけた。

「海が見えるんですね」

(毎日ここで海を見ていたわ。

ずっとずっと…。

日が暮れて見えなくなるまで)

「そう…」

あたしはお昼もとらずに本を読みあさった。

少しのヒントも見落とさないように注意深く、一枚一枚ページをめくる。

うちの学校の…敷地内全ての校舎の創立は1981年。

元々は別の土地に在った大学を移すと同時に、中等部高等部を設けたのが成り立ち。

やはりそれ以前は病院だったようだ。

病院の代表が土地の権利者で、うちの学長と親しい仲であったらしい。

まだ少し若い学長と、初老の男性が握手する写真があった。

男性の下にはこう記してある。

汐田病院代表 汐田和郎氏


あたしは汐田和郎と連絡をとることにした。

顔を上げると、彼女の姿はなかった。


汐田和郎邸は、意外にも隣町に在った。

分厚い電話帳を持ち直しながら携帯で電話をかける。

呼び出し音が鳴る。


それにしても、あたしはこんなにも活動的であっただろうか。

自分で自分が信じられない。


<はい>

お婆さんの声。

「あ…もしもし」

ドギマギしてしまう。

<はい、汐田でございます>

「あ、あの、わたくし、飯森と申しますが…」

<飯森さん、はい…はい>

電話越しに蝉の声。

「汐田和郎様はご在宅でしょうか?」

<汐田は一昨年、他界いたしました>

あ…。

「すみません。

存じ上げませんで…その」

ゴニョゴニョとしてしまう。

<構いませんよ。

どうぞ、お気にならないで…。

あの、飯森さん>

「はい?」

<もし私で分かるお話でしたら、どうぞお尋ねになってくださいな>

奥様なのだろうか。

<汐田は以前…と言いましても四半世紀は昔ですが…病院を経営しておりまして…私もそこに勤務しておりましたので>


是非尋ねたい事がある、と告げると、汐田夫人は二つ返事で快諾してくれた。

そして、電話口ではなんですので…と汐田邸までの道程を丁寧に教えてくれた。


隣町まで電車に乗る。

窓から海が見える。

彼女の恋人の背中が見えた気がした。


駅から30分程バスに揺られ、小高い丘の手前で降りる。

白いレースの日傘をさした老婆がそこで待っていてくれた。

電話口で受けた、気品のある穏やかな雰囲気をまとった汐田夫人は、あたしを見ると微笑んだ。

「暑かったでしょう、飯森さん」

ゆっくりと野道を歩く。

辺りは一面黄緑の畑。

それを囲うように深緑の木々が遠くに茂っていた。

木々の間から海の青が覗く。

ほどなく汐田邸に着いた。

父の田舎を思わせる、木造平屋の大きな家。

「今は私一人で住んでますのよ、この子と一緒に」

白い柴犬がクゥンと汐田夫人に擦り寄った。

「シロ」

優しく頭を撫でた。

玄関の引き戸をガラガラと開けると、薄暗い土間。

ひんやりとした空気。

「お邪魔します」

通されたのは和室。

「ちょっとお待ちになって下さいね。

今冷たいものをお持ちしますから」

汐田夫人はいそいそと奥へ消えた。

縁側にかけられた風鈴がチリチリ鳴る。

吹き込む風が心地良い。

隣町なのに、あたしの町より湿度が低く過ごしやすい気がした。

室内を見回すと、何枚もの写真が額縁に入れられ、飾られている。

汐田和郎を移したもの。

白衣姿だったり、スーツを着ていたり…図書館で見た学長と握手をしているものもあった。

ほとんどが気難しそうな顔をしているが、一枚だけ、恐らくはシロと思われる子犬を胸に抱いてくしゃくしゃの笑顔をこちらに向けている。

「お待たせしました」

汐田夫人が静かに入ってきた。

冷たい麦茶と水羊羹。

「すみません、突然電話をおかけした上に、その日のうちに押しかけてしまって…」

「とんでもないですよ。

お誘いしたのはこちらですし…どうぞ楽にして下さいね」

にこにこと優しく微笑む。

そういえば喉がカラカラだった。

麦茶をいただく。

「…そっくりですのね。

ハジメさんと、ジロウさんと…」

「!

んげほっっ!!

ごほっごほっ…」

「まぁまぁっ大丈夫?」

「す、いません…」

驚いた。

「兄たちをご存じなんですか?」

にこりと笑う。

「ええ。

お二人とも、うちにいらした事があるんですよ」

大兄も小兄もかつて、汐田和郎を訪ねて此処に来たらしい。

その時には汐田和郎はまだ健在で、二人は直接話を聞いていったようだ。

「ジロウさんがいらしてから三年経ちますから…そろそろいらっしゃるんじゃないかしらと思って…実はお待ちしてましたの」

汐田和郎は晩年、その事を大変心配してくれていたらしい。

「汐田は生前、ずっと香ちゃんの事を案じておりました」


古賀 香。

それが彼女の名前だった。


香は不治の病だった。

持病というか…完治する可能性は万が一にもなく、生涯付き合っていかなければならないような、そんな病気。

元来身体も強い方ではなく、幼い頃から汐田の病院に入退院を繰り返していたらしい。

香の父が、元々、汐田の古くからの友人であることもあり、特に目をかけていたのだが、理由はもう一つあった。

香の恋人である。

彼は汐田の病院に勤める、若き医者であった。

名前は汐田一成。

幼くして両親と離別した彼は孤児院で育ち、子供に恵まれなかった汐田夫妻の元に養子として迎えられたのだという。


幼少時から交流があった香と一成は、自然に恋仲になっていた。


「香ちゃんの病は安定はするものの良くなったり悪くなったり…。

けれど私たちは皆幸せでしたよ。

思えばあの頃が一番幸せだったのかもしれません」

微笑みながら話す汐田夫人に悲しみの影がかかる。


ある時に、一成はヨーロッパへ渡ると言い出した。

香の病気に関連が深い医療の先駆者がそこにいるのだ。

一成は汐田病気の跡継ぎであり、先端の医療を学びたいのは当然の事。

そして何より香の病を少しでも楽にしてやりたかった。


汐田夫妻は渋々それを受け入れた。

三年、という約束で。


香は快諾した。


香には彼女の病の為、という事は告げられなかったが、彼女は一成の重荷になりたくなかったのだと汐田夫人は言う。


「むしろ、香ちゃんは喜んでいるように見えました。

決して哀しく、寂しくない訳ではないのでしょうけれども…一成が病院を継ぐ夢に少しでも近づくと考えて、笑顔で一成を送り出してくれたのだと思います」


一成は欠かさず手紙を寄越した。

汐田夫妻へ。

そして香へ。


しかし、ようやく二年と半年が経ったある時、プツリと手紙が届かなくなったのだという。「当時は今より不便でしたが、八方手を尽くして一成を捜しました」

しかし消息は不明。

香には真実を告げられなかったという。

「その頃、香ちゃんの容態は悪い方へ傾きつつありました。

精神的に大きな助けであった一成の行方不明を、明確に告げる事はどうしても出来なかったのですよ」

そしてついに、汐田和郎は単身、ヨーロッパへ渡った。

大切な一人息子を捜すため。

その大切な息子を待ってくれている大切な息子の大切な人のため。

そこで汐田和郎が目にしたのは信じられない光景だったという。


そこで、一度、汐田夫人は話を止めた。


「今から話す事は、ハジメさんとジロウさんにも話していません。

これからお見せするものも、汐田は生前、誰にも話さず自身の胸の内に仕舞い込んでいたのです」

汐田夫人は仏間から古ぼけた紙の箱を持ち出した。

「息を引き取る間際、私にこの箱の存在を打ち明けました。

そして、すまない、と言いました。

全てを黙っていた事。

これから一人きり残る私にこれを託す事。

ハジメさん、ジロウさん、そして香ちゃんに伝える事が出来なかった事」

大事そうに箱を撫でる。

「汐田は…。

和郎さんは本当に本当に優しい人だったんです」

汐田夫人の目尻から涙が伝った。

「一人きりで全て背負い込んでしまって」

あたしはただ黙っていた。

言葉が出て来なかった。


「ごめんなさいね、涙が出てしまって」

首を横に振る。

あたしの目からも涙がこぼれていた。

「また三年後に誰かが訪ねて来るかもしれないから、と言ってこの箱をくれたんです。

これを渡してくれと」

あたしの膝の上にそっと箱を載せた。

「それから一年経つか経たないかの夏の夕方、香ちゃんの容態が急変しました。

その日のお昼に一成からの手紙が届きました。

その手紙がこちらです」

エアメールの封筒を開けて、白い便箋をあたしに手渡す。

どうぞ、と。

歪んだ読みづらい字ではあったが、一字一字丁寧に書かれている。


香さんへ


いきなりのてがみ、おどろいていますね。

わたしはれてぃしあ・はやしともうします。

かれのことでおつたえしたいとおもいました。

てがみをかきます。

あなたのことはかれからよくきいていました。

かれはもうにほんへはもどりません。

かれとあなたのやくそくのときをすぎてしまってすみません。

かれはすべてわすれてしまったのです。

かれのおとうさんがいちどあいにきたけどおもいだしませんでした。

かれはもうちがういきかたをしています。

あなたもあなたのいきかたをしてください。

たいせつにしてください。

わたしのなかにはかれのあかちゃんがいます。

だからてがみをかきました。


れてぃしあ・はやし



二枚目。


香へ。


すみません。

何も覚えていないのです。

僕には大切な女性がいます。

それは今隣にいるレティシアです。

僕には一年程前から記憶がないのですが、それ以前からもずっとレティシアといたのだと思います。

レティシアからあなたの話を聞きますが、僕にはあなたの顔も声もわからないのです。

どうかお身体を大事にしてください。


いっせい




「これが香ちゃんが亡くなる直前に届いていたの」

ダメだ。涙がとまらない。

「…どうして?」

「私も和郎さんが亡くなってからこの手紙を読みました。

なんせその日は、香ちゃんの様子が朝から思わしくなかったので、手紙に目を通す時間がなかったのです」

汐田夫人は涙を拭いた。

「和郎さんはおそらく読んでいたのでしょう。

香ちゃんには手渡さずに、彼女の病室の机に置いて…容態が安定したら読もうって話していました」

あたしも涙を拭く。

「香ちゃんが息を引き取ってからはどこを探しても手紙が見当たらなかったんです…和郎さんが持っていたんですね」


汐田夫人にお礼を言ってその日は帰宅することにした。

「これ、お借りしますね」

紙箱とレティシアさんからの手紙を鞄にしまった。

「バス停までお送りしますよ」

汐田夫人と歩く。

辺りはもう暗く、肌寒く感じた。

「香ちゃんはまだ彼の岸に逝けてなかったのね」

「いつも海を見てるって言ってました」

「和郎さんは…出来ればこの手紙の事は知らずに逝って欲しかったんだと思います」

「わかります…」

きっとあたしも伝えたくはない。

「でもそれではダメだったんではないかといつも思っていたんだと思います」

終バスに乗って帰った。

駅で電車に乗る前に、家に電話をかける。

<はい、飯森です>

「あ、ちぃ…」

<ミウ、母ちゃん心配してたぞ>

「…ごめんなさい。

でも、これから学校に行きたいの」

小兄はふぅとため息をついた。

<エリザベスに>出た、エリザベスじゃないって言ってるのに。

<エリザベスに伝えなきゃなんないのか?>

「うん、早く話してあげたいの」

ちょっと待て、としばし沈黙…。

<…ゃあん、母ちゃん!

なんかアホの様にミウ勉強しすぎて遅くなったんだって!

迎え行ってくら!ついでに学校で花火してくる!>

バカ言ってんじゃないの、と母の声。

<じゃ、駅まで行くから着いたら待ってろ>

一方的に切られた。


小兄は大兄を連れてきた。

バイクに2ケツで乗ってきたので、結局三人で歩いて学校へ向かう。

小兄の右手にはバケツ。

大兄の右手には徳用花火セット。

「本当に持ってきたの?」

「まぁな、エリザベスに見せてやろうと思って」

「香さんだろ?」

大兄はクスクス笑う。

「恵さんは、お元気だった?」

「奥さん?

元気だったよ」

汐田夫人…そういえば名前も聞いてなかった。

「実は俺ら、汐田さんの葬式に行ってたんだ」

「…一昨年?」

「そう。その時に恵さんに聞いたんだ。

和郎さんが息を引き取る間際に告白した事があるって」

「俺らエリザベスを捜したんだけど会えなかった」


夜の学校は静まり返っていた。

ただ、ドーム型の図書館のテラスにはほんのりと光る小さな影があった。


「香さん…」

「兄貴、ミウ、こっち」

小兄が図書館の裏手に回る。

空調の外器具に足を掛ける。「こっから登れんだよ」

まず大兄、次に小兄、そしてあたしが二人にひっぱり上げてもらう形で外通路に上がった。

テラスの白いベンチに、香さんがいた。

驚いた顔をする。

(ハジメ、ジロ…)

「また会えた」

「相変わらず足がある霊だな」


(やっぱりみんな似ているのね)

香さんは微笑んだ。

とても綺麗な笑顔。

「恵さんがこれを渡してくれました」

鞄から紙箱とレティシアさんからの手紙を出した。

香さんの顔がびくっとする。

「汐田さんは亡くなっちまったんだよ」

小兄は汐田和郎のお葬式の話を香さんに話し出した。大兄は花火の袋を開けた。

「多分、恵さんが俺たちに教えてくれた汐田さんが隠してたことってのが…今ミウが持ってるモンの話だと思う」

(…ミウ)

あたしは香さんの横に座り、恵さんがあたしにしたようにそっと…紙箱とレティシアさんからの手紙を載せた。

「箱の中はまだあたしも見てないです。

この手紙は読ませていただきました」

香さんはうなずいた。

まず、レティシアさんからの手紙を開く。

泣いてしまうのではないかと思ったが、一字一句確かめるように目を通すと、そっと元通りにしまった。

(これは…生きているうちに読んだことがあったの)

「でも、恵さん…」

(恵おばさまたちが私の病室を離れている時に、身体中の力を振り絞って立ち上がったわ)

香さんは大兄と小兄を呼ぶと、レティシアさんからの手紙を渡した。

読んで、と。

(驚いたわ。でも安心した。

あの人が無事でいてくれて…。

想ってくれる人が側にいてくれて)

優しく微笑む。

小兄は憤った。

「なんでだよ!

お前だって一成の事大事に想ってたんじゃねーか!

納得できるわけねーだろ。

帰って来いよとか思うだろ、フツー」

小兄の言い分もわかる。

大兄は何も言わなかった。

(…思うよ。悔しくもあった)

小兄の方を見る香さん。

(私もジロみたいにクソって思えれば良かったのかもしれない。

でも私にはわかってしまってたの。

…もう長くない、私は)

「でも…」

小兄は納得できない様子。

けれども言葉が続かない。

(だから諦めてしまったのね、共に再び歩んで生きることを。

せめてあの人が幸せであるようにと祈ったの)「…」

小兄はうつむいて貧乏ゆすりをしている。

(私も約束を守れなかった)

「でも、ずっと待ってあげてた」

大兄が口を開いた。

ありがとう、と香さんが口の中でか細くつぶやいた。

(でも死に際に見るものじゃなかったのは確かね。

ショックすぎて死後ずっと忘れてたんだわ。

今、ミウがこの手紙を持ってきてくれて思い出したのよ)

香さんは紙箱の蓋に手を掛けた。

(開けるわ)

中には2つ、封筒が入っていた。

1つはエアメール、もう1つは茶封筒。

一成さんからと汐田和郎から。

香さんは少し迷って一成さんからの手紙を手にとった。

そして、噛みしめるように一文一文読み上げた。




香へ


本当にすまなかった。

僕はなんてことをしてしまったのだろう。

浦島太郎にでもなってしまった気持ちだ。

ある日突然記憶が戻った。

記憶を失っていたこの2年余りの記憶もそのままに。

僕は夢を見ているのだろうか。

君が一年前に死んだという話を聞いた記憶が僕の頭にある。

君が死んでしまう前後に、君に宛てて手紙を書いた記憶がある。

父が僕に会いに来た記憶がある。

僕は知らない人だと言い放った。

父はとても悲しい、この世の終わりのような顔をしていた。

今僕には子供がいる。

日本人の血を半分継いだ妻がいる。

初めは本当に夢を見たのかと思った。

でも違った。

2年余りの僕が夢だったのだ。

何故もっと早く目が覚めなかった。

僕にはもう後悔しかない。

香にも、父さんにも、母さんにも、会わせる顔がない。


君からの手紙を全部読んだよ。


僕は君を幸せにしたくてヨーロッパまでやってきたのに、誰との約束も果たせずにこんなことになってしまった。


君の病とうまく付き合って二人で連れ添って生きていくため。

それがこんなことになってしまった。


香、もう間に合わないかもしれないがこれからずっと一緒にいよう。

きっと君は、僕に幸せになれと言ってくれるのだろうけど、僕は君をひとりぼっちにはさせないよ。

ひとりぼっちの恐ろしさは十分に知っているんだ。

僕をその恐怖から救ってくれた父さん母さんのように、僕も君をひとりぼっちにはしないよ。


愛しているよ。

時間を越えても会いに行くよ。

そして今度こそ幸せになろう。

二人で。

誰よりも幸せに。


最愛の香へ。



汐田一成



香さんは泣いていた。

けれどしっかりと手紙を握りしめ、読む。




父さん母さんへ


こんなことになってしまい本当に申し訳がありません。

孤児の僕を引き取り、本当の子供の様に育ててくださったのに。


僕が医者を目指すと言った時、父さんは反対しましたね。

跡継ぎが欲しくてお前を育てたのではないと。

嬉しい言葉でした。

もちろんその気持ちは知っていました。

でも僕は医者を目指し、実現させた。

それはね、二人に恩を返したかったというのもあるけれど、働く二人を見て憧れを抱いたからなんだ。

ただ純粋にそれだったんだよ。

医者になる夢を叶えさせてもらったあと、僕は我儘を言いました。

香の病気を良くするために留学がしたいと。

父さんは自分が学びに行くと言っていたけど、僕の気持ちを理解して、最後には後押ししてくれましたね。

我儘な息子でごめんなさい。

ありがとう。


約束を守れなくてごめんなさい。

二人を残して、顔も見せずに異国で先立つなんて本当に親不孝者で…最後の最後まで我儘でごめんなさい。


僕は、二人の息子にしてもらって幸せでした。

汐田一成でいられて本当に幸せでした。


どうか末永く二人でお元気で。


父ちゃん、母ちゃん、

本当にありがとう。




そして茶封筒を手に取る。



香ちゃんへ


これを読んでいるという事は、やはりまだ天国へは逝けていないんだね。

私のせいだな、すまない。


これから書くことは誰にも話さずずっと私の心の内に秘めてきた。

しかし私にも死期が迫ってきた。

ここに、全てを書き留めておこうと思う。



一成の行方がわからなくなった時、私は現地まで赴いた。

妻には香ちゃんには伝えないよう、口止めをした。

1週間、滞在した。

一成がお世話になっている病院関係者にも手伝ってもらって、一成が住んでいた部屋、その周辺…四方八方捜した。

しかし手掛かりはなく、一成の荷物や財布は全て部屋に放置してあるだけだった。

4日程経ったある日、病院で院長と話していると、職員が息を切らせて部屋へ入ってきてこう言った。

一成が見つかった、と。

何故か産婦人科にいるらしいと聞き、私は走って向かった。

一成はいた。

しかし私の顔を見てもキョトンとするだけで何の話も通じない。

知らない。

分からない。

あなたはどなたですか。


記憶喪失というのか。

つい何ヵ月か前からの出来事しか覚えていないという。

私は愕然とした。

付き添いの女性は片言の日本語で説明してくれた。

彼は記憶がない。

一成という名前以外何も覚えていないのだという。

半年前の嵐の夜、うちの前で倒れていたので介抱したのだという。

そして、

わたしのお腹には赤ちゃんが…一成の赤ちゃんがいるかもしれないという。

その後の事は、私もよく覚えていない。

何度か連れて帰ろうと試みたが完全に拒絶されたことだけ覚えている。

2日後、私は現地の院長に一成の子供の出産費用を渡し、一成の事を宜しく頼んで帰国した。

茫然自失だ。

目の前が真っ暗だった。

そしてこの事は誰にも言うまいと思った。

そう決心したのだ。


どうか一成の記憶を戻してくれ、一成を我々の元に返してくれと祈り続けた。



また半年程過ぎ、香ちゃんの容態が急激に悪化した。

どうしても一成に戻ってもらいたかった私は、香ちゃんが送り続けた手紙と一緒に、自筆の手紙を送った。

懇願書と言ってもいい程の内容だ。


そして、香ちゃんの命日に返事が来た。


少しでも希望になって欲しいと思い、中は見せなかったね。

申し訳ないのだが私は中を拝見していたのだよ。

内容は見せられないと思った。

けれど手紙の存在がどれだけの助けになるだろう、と考え病室に置いたのだよ。


すまなかったね。


そして、香ちゃんは亡くなってしまった。


私は一成に手紙でその旨を伝えた。


それから1年。

何の音沙汰もなかった一成から小包と手紙が届いた。

香ちゃんが一成に宛てた手紙と自身のお骨と遺書。


私は激しく後悔した。

あの時無理やりにでも日本へ連れ帰っていれば。

あの時留学を認めなければ。

いや、医者にさえならなければとも思った。




なんて悲劇なのだろうか。


しかしやはり誰にも言えなかった。

妻にさえも、一成の手紙を見せなかった。

こんな悲しみは私だけ味わえばいいと思った。


ただ、古賀にだけは告げたのだ。

古賀に頼み込んで、香ちゃんのお骨と一成のお骨を並べて汐田の墓に入れてやりたかったから。

古賀は快く応じてくれた。


これで二人一緒に…と手を合わせたのだが、香ちゃんはまだ逝けなかったんだね。


始君がうちに訪れた夏。

香ちゃんが手紙を探していると聞いた。

最後の二通を覗いた一成からの手紙を渡したんだ。

後日、古賀が返してくれた。


三年後。

次朗君が訪れた夏。

今度は香ちゃんが一成に宛てた手紙を渡した。

後日、再び古賀から受け取った手紙の中に、香ちゃんからの新しい手紙があった時に、やはり伝えるべきだったのだと思ったよ。


だから三年後、妹の海生ちゃんが来るであろうこの日に賭けて真実を綴っておいた。



遅くなってすまなかった。

この世界に長く繋ぎ止めてしまって。

一成にももうすぐ会える。

私の方が先に一成と再会してしまうと思うが。


私も一成も、謝り通しで申し訳がないね。

しかし親子なので、仕方がないといったところか。


香ちゃんのお骨は、一成と私と一緒に汐田の墓の下にあるから。

私たちは彼の世でもきっと会える。

その時は直接、謝らせてもらうよ。



汐田和郎




あたしたちは花火をした。

小兄と大兄が持ってきた花火には色んな種類があって、打ち上げやらロケットやら線香花火やら…みんなはしゃいで火を点けた。

香さんは手持ち花火は初めてらしく、おっかなびっくり火を点けてはキャアキャア言っていた。

その隣で小兄は、お前幽霊なんだから怖いもんねーだろーとかなんとか言いながらギャーギャー騒いでいる。

大兄は微笑みながらそれを見ていたかと思うと、いきなり打ち上げ花火に火を点け、あたしたちを驚かせた。

あたしはというと、手当たり次第花火を点けて笑っていた。

時折、綺麗な火花が涙でボヤける。

楽しくて出る涙なのか、そうじゃないのかはよく分からなかった。


「俗世界も悪ぃもんじゃねぇよな、こんなキレーなもんもあるんだぞ」

(そうねぇ…いろんな色の火花が散ってとても綺麗)

「ジロが持ってきたんだよ」

「へぇ〜…小兄も気が利くじゃない、たまに」

「たまにじゃねーだろがよ」

(フフフ…あははは)

香さんが大笑いした。



「あ、日が昇ってきてる」

テラスから遠くに見える海岸線が薄く白んでいる。

「マジだ!やべー綺麗だ!」

小兄も立ち上がる。

「どうしたんだ、香さん…」

大兄の声で振り返ると、香さんの足が消えている。

「香さっ…!」

「エリザベス!」

とても穏やかな顔で微笑んでいる。

(もう行かなくちゃならないのよ)

どんどんどんどん、空が明るくなってしまう。

時が止まって欲しいと思った。

(始、あの夏に私を見つけてくれてありがとう)

大兄は微笑んでる。

でも涙が出てる。

(次朗、私に元気をくれてありがとう)

「バカ言うなよ、お前元々元気すぎるじゃんかよ」

小兄はぐちゃぐちゃに泣いてる。

隠そうともしない。

(ミウ…海生)

じっと目を見つめる。

(私あなたの名前がとても好きよ。

あなたの目も好き…)

微笑む。

(あなたたちはすごく似ているの)

もう腰のあたりまで消えかけている。

(色素の薄い髪と瞳、

細いけれど大きな手、

スラッと高い背丈)

もう消えちゃう、消えちゃうよ…。

(最後に楽しい思い出をありがとう)

とっても綺麗な笑顔。

(みんな私を待っていてくれてたのね)

消えちゃう。

(恵おばさまに宜しくね)

もう消えちゃう。

(和郎おじさまと、あなたたちとよく似た、大切なあの人の所に行くね)


「一成…やっと会えるね」





恵さんはレースの日傘をくるくると回しながら歩く。

「あとどんぐらいですかー…奥様ぁ」

小兄は情けない声を出す。見た目にもヘバッているのが全面に出ていて情けない。

恵さんは元気だ。

「あらあら、だらしがないのね、次朗さん。

あともう少しですよ」

シロも足取りが軽い。

あたしたちは汐田家のお墓参りに来ている。

「大丈夫か、海生」

さすがの大兄も汗が顔に滲んでいる。

「うん」

あの日、明け方に家に帰ったあたしたちは父と母にこってりと絞られた。

兄たちは朝帰りなど日常茶飯事なのだが、今回はあたしを連れ回したという事でお冠だったのだ。

さすがにその日は外をうろつくのも気が引けたので、翌日の今日、汐田邸にお借りした紙箱と手紙を返しに伺った。

そこで汐田家のお墓は、すぐ近くの丘の上にあると聞いたので、みんなでお墓参りをしようと勇んで飛び出したのだが…この有り様だ。


「ほら、ゴール地点が見えてきましたよ」

恵さんとシロが振り返る。


「お〜絶景だな!」

小兄が息を吹き返した。

「ホントだ〜!

すごいキレイだよ!」

「お、見晴らしがいいんだな。

海がよく見える」



透き通る空と青い海。

その境界線である水平線はどこか遠くで混じりあっているんじゃないかと思った。





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[一言] すごいいい話でした。小説欲しいです!
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