色変え
温かい水の中でふわりふわりと浮いている。
時折コポコポと下から上へと上がっていく泡を見つめながら考える。
ここは……どこだろう? これは夢の中なのだろうか。
『アタタカイ……ココハ……アタタカイ』
頭に直接何者かの声が伝わってくる。
姿は見えないが近くにいるのだろう、気配が感じられる。
『アトスコシダケ……スコシダケ、ココデネムリタイ……』
優しい優しい声、どことなく悲哀を含んでいるその声は、遥か下から湧いてきた大量の泡と共に消えていった。
「……よ、おい」
んん……眠い。
「こら、起きろって! おい!」
あと少し……5分でいいから寝かせて下さい……。
「こらリン! いい加減に起きないと剥ぐぞ」
んー? 何をー? なんでもいいから眠いんです私……ぐぅ。
「そーかそーか、いい度胸だ……うらぁっ!!」
温かいお布団の空気が一瞬にして消え去り、冷気が射し込んでくる、やだなにこれさむい。
「うわおっ!? ちょ! お、おまっ!!!!」
何やら焦ったような声が頭上から聞こえてくる、朝から騒がしいものだ。 それより寒……うぶっ!
ドサッと今まで被っていた最愛の掛け布団さんが帰ってくる。
ああ……あったかーい、これですよ、これ。
布団が戻った事に安堵し、再び寝ようとするがそれは叶わなかった。
眠気がふっ飛ぶ台詞がエンガから発せられたから。
「おま、な、な、なんで、なんで裸で寝てるんだよっ!!」
はい?
はだか?
はだ……
は…………
『ぎゃあああああ――――!!!!』
昨日の記憶がぶわっと甦り、今の自分の姿を理解する。
そうだ替えの服がなくて、探してて……それで見付からないから布団に入って……速攻寝ちゃったんだ……。
つまり、布団の中の自分は何も身に付けていない生まれたての姿。
布団から頭だけ亀のように出し、エンガを見る。
心なしか顔が赤いのは見間違いではないはずだ。
「……み、みた?」
馬鹿な質問をしつつ、自分も顔が赤くなっていくのが分かる。
不手際とはいえ、やってしまった感ありありだ。
「い、いや……その……み、みてない」
消え入るように発せられた言葉が切ない。
すいませんわかってます、気を使わせてしまってすいません。
布団がめくれないようにゆっくり起き上がる。
「お、おはようございます」
「あ、ああ、おはよう」
「…………」
うわー間がもたない。 何とかせねば。
「えっと……お願いがあるんだけど」
「ん、な、なんだ?」
「あの……昨日来ていた服ね、汚れてて今日着るの無理だと思うの。 で何か替えの服か何かないかなーって」
微妙な空気を変えるべく捲し立てる。
昨日服は洗うつもりだったが寝てしまって出来なかった、下着は今から洗えば何とか乾くだろうとりあえず替えの服が欲しい。
「なるほどそれで、はだ……いや、なんでもない! 替えだな! ちょっと待ってろ」
言うと脱兎の如く足早に外に出ていった。
「はぁ――――っ」
エンガが居なくなってから布団に突っ伏す。
あー恥ずかしかった、なんで乙女ゲームのようなイベントこなさなきゃならんのだ。
悲しいかなこれでフラグはたっていないようだし、ただの見られ損?
……いや、忘れよう、帰ってきたら何事も無かったように振る舞えばいいんだ、そう、それでいこう、それがいい。
一人で納得して終了しているが、この出来事はエンガにとってはかなり重要なイベント(?)になっていたのは今の私が知るよしもなかった。
あれから……暫くたってエンガは戻ってきた。
知り合いの伝で借りたという服は、シンプルなモスグリーンのワンピース、白地の袖のない薄い服が一着、刺繍の施されたショールが一つという私でも問題なく着れるものであった。
気を使って外に出たエンガを待たせないよう素早く着替える。 髪は一つにまとめポニーテールにすると、白地の服を中に着てその上にワンピースを着る、ショールは腕のあざを隠すように肩から羽織い胸元で結び上げた。
自分の汚れた服を風呂場から回収すると、下着だけはすぐ洗うべく外に出ようとしたところでエンガと鉢合った。
「こら、そのまま出たら駄目だろうが」
「え? ……あ! そうか、そうだったね」
昨日言われたばかりだ、黒は駄目だと。
気軽に見せる色ではないと散々言われたのにうっかりしてた。
「じゃあこのショールを被って……」
「や、ちょっと待て」
出ていこうとする私をなおも止める。
下着、下着は必要なの! ショールを被れば大丈夫だよ!
必死な私をよそに、エンガは持っていた布袋から何かを取り出した。
宝石のような綺麗な蒼い石。
私の世界でいうラピスラズリのような石を、目の前に差し出される。
「何これ、凄く綺麗……」
「お前、ちょっとこのまま動くなよ」
石に見とれていると、エンガは何やら呟き始める。 よく聞き取れないが呪文のようだ。 呪文が続くにつれ次第に綺麗だった石がくすんで白っぽくなっていく。
最終的に石は灰色のようなただの石ころになってしまった。
「あああ、勿体ない〜」
価値ある宝石ではなかったのか、もう元の綺麗だった原型を留めていない。
「んーまあ上手くいった、か? いや……及第点ってとこか」
え、何が?
気になって聞いてみるものの軽くあしらわれる。
洗い場に行けば分かるというので、ショールを被ろうとするとそのままでいいと言われる。
一体何なんだろう、エンガが大丈夫というのでそのまま私は外に出た。 大至急下着を洗わなくてはいけないのだ。
「洗い場は……ここかぁ、結構綺麗にしてるね」
家の裏手にある洗い場は新しい水が張ってあり、小物類も綺麗に整っていた。
早速下着を洗おうと桶で張ってある水を掬おうとする、そこで初めて気付いた。
水面に映された自分の姿に。
「あれ? なんかかわって、る???」
昨日までの自分とは違う色に困惑する。
太陽の光が明るく射し込むんだ水面に映された私は、黒ではない紺色、青寄りの紺色に変わっていたのだ、髪も瞳も。
驚いている私の後ろにエンガが来ていた。
「な、これで暫くは問題ないだろ」
得意気に話すそれは一種の魔法なんだそうだ。
魔力を含んだ石の色を私に流し入れる。
本来ならば石の色がそのまま写されるのだが、元がまっ黒な私は青寄りの紺色になるのが精一杯だったようだ。
「凄いね、これなら普通に暮らせるよ」
「いや、これはあくまでも応急処置だ、2日かそこらで石の魔力が尽きて元に戻る」
「ええーじゃあまた2日後に同じ事をすればいいの?」
それは却下されてしまった、魔力を含んだ石はとても高価なものでそうそう使えるものではないらしい。
解決策が消え落胆する私にエンガはニヤリと笑った。
「そこで、だ、お前に会わせたい奴がいる」
「あ、ちょっと待って洗い物先に済ませるから、それからでいい?」
「お、おう」
話が長くなりそうなので最優先事項から済ませよう。
大事なのは下着だ! スカートの下がスースーしているのはもう耐えられないです!
エンガには家の中で待ってもらって急いで下着を洗う。
二回に分けるのも面倒なので服も全て洗ってしまった。
……これで、よし! と。
ぎっちり水分を絞りシワを叩いて伸ばしてから、側にあった籠に入れ家に戻った。
炎の魔法で服をあっという間に乾かしてくれたエンガに感謝しつつ、風呂場で下着を身に付ける。
……謎の安堵感に包まれた。
やはり下着はないと無理やね、うん。
「支度は済んだのか?」
テーブルから聞こえる声と良い香り、見れば美味しそうな朝ご飯とコップから湯気のでているお茶が二つ用意されていた。
「で、さっきの続きなんだが……」
「パン美味しいーふわふわのモチモチ! オムレツも半熟トロトロ〜」
「聞けよ!」
長いため息をつかれ呆れ顔で見られる、しょうがないじゃん、ごはんが美味しいのが悪いんです。
口をもごつかせながら話をするよう促す。 食べてても話は聞けますよ、大丈夫。
「ああ……で、会わせたい奴がいるんだよ、そいつはお前の力になってくれるかもしれない」
「ふんふん……(お、このお茶コーヒーみたいな味だ)」
「俺の伝で二日後には都合がつくようになっている、どうだ? 会ってみるか?」
「え、あ、うん、いいよ(パンおかわりあるかなぁ)」
「あーもう、いいからお前先に飯食っちまえ!」
ごはんに夢中で上の空の私に、話は無理だと判断された。
すいません、聞いてはいますが頭に入ってきませんでした。
その後パンとお茶をしっかりおかわりしてからちゃんと話をきいたのだった。
要約すると会わせたい人物とはエンガの魔法の師匠で、今は王宮で宮廷魔導師として働いている人だそう。
名は『エリステル』
どうやら女性のようだ。
王宮で働く魔導師達を統べる立場にいる偉い人。
そんな人が会ってくれるというので僅かに緊張する、大丈夫だろうか、私。
てか、そんな人の弟子って凄いじゃん、エンガ!
素直に誉めると大したことはないと突っ張ねられた、あ、照れてる顔赤い。
で、その人に会えるのが二日後。 忙しい人なのでそれが精一杯とのこと。
いやいや、それでも充分有難いです!
知り合いのいないこの世界で、味方になってくれる人は多い方がいい。
多ければそれだけ帰れる手段が見つかるかもしれないのだ。
いきなり宮廷魔導師さんと知り合いになるとは思ってもいなかったがこれはとても幸運な事なんだろう。
会わないなんて選択肢ありません!
こうしてすんなりエリステルさんに会う事が決まった。
約束の日までは、ここでエンガの手伝いをしつつ過ごす事になった。
エンガはこの村で薬師をしていて、森で採集した薬草を調合し、出来た薬を売って生活している。
私と出会った時も薬に必要な薬草を採っている最中だったのだ。
人は見かけによらないなぁとエンガをマジマジと見つめる。
太過ぎないしなやかな筋肉のついた腕にすらりと伸びた脚、どうみても戦士とかそこらの体型である。
それが魔法を使える薬師って…… 詐欺ではないがなんか勿体ない。
「剣とか持って戦うひとっぽいのになぁ」
「何でだよ、薬師で悪いかよ……これでも一応剣は扱えるぞ? まぁ、そこいらの魔物なら剣を使うまでもなくナイフで充分倒せるけどな」
天は二物を与えずとか……嘘つき――――!!!!
この世界は天に二物も三物も与えられている人がいるようです、くっ羨ましいっ!!
「んじゃ行くか」
「へ、何処に?」
朝ご飯を片付けて一息ついてからの事。
あれ、今日はここで薬草作りするんじゃなかったっけ?
頭にハテナマークを浮かべれば答えが返ってくる。
「服を買いにいくんだよ、お前の今着てるのは借りたやつだから返さないと駄目だ」
あ、そうか、借りたって言ってたっけ。
「あとは布団がいるだろ」
……確かに。
昨日はエンガのベッドを私が占領してしまったのだ。
今日は床で寝よう、悪いし。
「村から少し離れた所に街がある。 服は村にも売ってるが布団はない、品揃えも街のが多いからそこに行くぞ」
街で売る用の薬草を布袋に詰め、支度の出来たエンガと家を出る。
朝日に照らされた村は、やはり広かった。
水場では洗濯を始めている狼族のおばさん達が世間話に花を咲かせている。 どの世界も似たようなものだ。
この村は狼族の他にも違う獣人達が住んでいる。
耳を見ればおおよその種族がわかった。
兎耳の幼児が母親と手を繋いで歩いている姿を見た時は、悶絶しそうになった、可愛い、可愛すぎるっ!!
「お前……視線が怪しいぞ」
「だってー可愛いものは正義ですから!」
「なんだそりゃ」
エンガには一度萌えについて、詳しく説明しなければいけないようだ。
朝早かったからか、昨日のトウタさんには会わなかった。
……まあ今は髪も瞳も紺色になっているから堂々と会えるんだけどね。
珍しい獣人の村を観察しながら村の入口まで歩いてきた。
帰ってきたら色々廻ってみよう結構お店みたいなのあったし。
「昼までには戻るから急ぐぞ!」
「はーい……え? ちょ、ちょっと速い! 歩くの速い!!」
それ歩く言わない! 競歩レベル、競歩レベルー!!
ついていくのに精一杯になりながら街へと歩き出した。