アルドゥス村へ
森を抜け暫く歩き続けた後、
私達はひとつの村にたどり着いた。
「ここだ、ここが俺の住んでいるアルドゥス村」
木で出来た門の入り口には松明が煌々と焚かれていて、見える範囲だけでもそこそこ広さがある、大きい村のようである。
「はぁぁぁ〜っ! やっと着いた〜もうへろへろでっす!」
「何だこれくらいで、虚弱体質かよ」
こっちに来てから一日中歩いていたんです!
と、言いそうになるのをぐっとこらえる。 エンガには異世界人というのは伏せてあるので余計な事は言わない方が身の為だ。
エンガの中で私は『人拐いにあい、その拍子か何かで記憶喪失になった人間らしい』と、思われているようだ。
今はそれでいいと思う。
ちょっと都合のいい設定だが構わない。
「それじゃルヒカ、また明日な」
門の前でエンガが言うと横の森へとルヒカが走り去っていく。
「あれ、ルヒカとは一緒に住んでいるんじゃないの?」
「いや、アイツは普段森に棲んでいる。 小さい頃は一緒に生活するが大きくなったら森に帰る。 今日は薬草とりにいったからついてきて貰ったのさ」
他の狼達もそういう暮らしをしているのだそう。
獣と獣人、持ちつ持たれつの生活。
成る程、だから相棒なのか、エンガとルヒカにはこれまでに培った見えない絆のようなものがあるのだろう。
ルヒカと別れ、門をくぐり奥へ進んでいく。
――――と、誰か近づいて来るのが見える。
松明を片手に持つ、丁度エンガと同じ位の背丈をした男性だ。
「エンガ! やっと帰って来たのかよ〜 今日は帰るのが遅いってミナが心配して……お? 誰だ?」
軽い口調のその人は、後ろに隠れていた私を目敏く見つけ覗き込んでくる。
ひぃぃぃー! と俯きながらエンガの袖をぎゅっと掴む。
ビクッと腕が跳ねたがそんなの気にする余裕はない。
見られませんように見られませんようにっ!!
今の私はそれしか頭になかった。
「おいおい恥ずかしがり屋さんだな〜 何だ? この子……もしかしてお前の……ぶべっ!!」
……エンガのパンチがきまったようだ。
鼻血は出ていないからたいしたことはないだろう、多分。
「ち、ちげーよ! こいつは森で拾ったの! こんなちびガキ、相手にするわけないだろーがちんちくりんだぞちんちくりん」
何焦って言っているんだか……ついでに酷い言われようだし。
拾われたのは確かで、ちび……(身長150㎝)なのは仕方ないけどでもガキっていうのは納得イカーン! これでもれっきとした成人女性ですよ!!!!
物凄く言い返したいが、今は無理なのでエンガの腕を軽くつねっておいた。
「いてっ……ったく、おいトウタ! それよりミナが何だって? 今日はお前ん家でちび達と菓子作るって言ってたよな」
「いや、そうなんだけどよぉ、出来上がった菓子を食べさせたいからってお前ん家で待ってたらしいんだよ。 で、中々帰ってこないって」
「あぁ、そういうことか」
この人はトウタさんというらしい。
エンガの後ろでこっそり覗いてみるとやっぱり獣耳があった。
焦げ茶色の髪と瞳、狼の耳と尻尾は黒く、顔はイケメンの部類に入るだろう。 松明の明かりだけでは判りづらいがエンガとはまた違った雰囲気のイケメンさんだ。
「ミナには明日謝っておくさ、今日はもう遅い」
「ああ、そうしてくれ」
先程パンチされた鼻を擦りつつ、軽く挨拶するとトウタさんは帰っていった。
返り際に『明日はその子を紹介しろよな』と、嬉しくない事を言いながら。
「早々に目をつけられたな、お前」
呆れた声で私を見るので、追加で腕をつねっておいた。
――――その後。
「ここが俺の家だ」
エンガの家は村の奥の方にあった。
ギイ、と木の扉を開ければ薬のような匂いが鼻をつく。
「ん? 何か匂うよ……これって薬草の匂いかな?」
「ああいいからはよ入れ、閉まらないだろ」
「あ、ごめん」
慌てて入る。
テーブルの中央に吊るされたランプにエンガが灯をともすと、部屋の全貌が見えてくる。
木で出来たテーブル、棚やタンス、ベッド等の他には何もない。
一人で住んでいるのだろうか? 凄く質素でこじんまりとしている。
キョロキョロと辺りを見回していると、私の考えがわかったかのようにエンガが答える。
「ここは俺一人で住んでいる。 あー風呂と便所は横の小屋にある、洗い場は外だ」
ふーん……一人で、か……ん? 一人?
今聞き逃せない事言いませんでした? 男と女、一つ屋根の下――――!!
「さっきも言ったが、お前のようなちんちくりん襲うほど飢えてないからな」
私の心配は一瞬にしてエンガに一蹴された。
いいですけどね、別に。
不貞腐れながらテーブルの椅子に腰を掛ける。
凄く濃い一日だった、疲れた、ほんと疲れた。
テーブルに突っ伏した私をよそに、横の扉を開け入っていくエンガ。
「風呂入れてくるからお前はここで待ってな」
手で了解の合図。
動くのも億劫な位、疲れがどっと出てくる。
色々ありすぎてやっぱりこれ夢なんじゃないかと思うほどだ。 ……うん、頬っぺた痛い、ちょー痛い。
つねり過ぎて赤くなった頬を擦っていると早々にエンガが戻ってくる、風呂の用意が出来たそうだ。
はやっ! 出ていってまだちょっとしか経ってないよ? ここ温水器でもあるの?!
驚く私にエンガが笑いつつ教えてくれた。
エンガは焔狼、名前の通り火を使う魔法が得意な種族で、水を温水に変えるのは簡単に出来るそうだ。
手から小さな炎を出された時は少し驚いた。
魔法を目の当たりにして、ここはやはり違う世界なのだと実感する。
私も魔法って使えるのかな、いいなーそれ。
「ほれ、冷めないうちに入ってこい、今のお前泥ネズミみたいだぞ」
「む! チュウチュウ! はい入ってきますよーだ!」
ぶつくされながらお風呂場へと向かう。
横の小屋へ入ると、丸い木で出来た風呂桶から湯気がほわほわと上がっていた。
早速入るべく服を脱ぎ始める――――が、上着を脱いだ途端変な声が口をついて出てしまった。
「うわっ、何これ?!」
見ているのは左腕の肩に近い場所。
真っ黒なアザが蛇のように巻き付き、異様な形相を醸し出している。 ちょっと、というかこれはかなりキモい。
擦ってみるが変化はない、汚れではないようだ。
原因を考えてみた結果、心当たりは……二つ。
私が此方にくる事となった元凶(だと思う)黒い何か。
あれが襲ってきて海に落ちたからここにいるんだし。
それから森で出会った赤い蛇。
ベロンと舐められたあれで何かに感染したとか。
うーん……わからん。
有力なのは黒い何かのほうだよね、ほら『黒い』し。
とりあえず今は体に異常ないし、痛くも痒くもないから様子見にしておこう……すっごくキモいけど。
真っ裸のままあれこれ考えても答えは出ない、ならほっとくしかない。
それより湯が冷めてしまわないうちにお風呂に入るのが先決だ。
濡れないように脱いだ服を棚の上にあげてから、桶を使い湯で体を流す。 丁度いい湯加減だ。
湯船にゆっくり入るとじんわりと温かさが伝わってくる。
「ふぃ〜気持ちいい〜〜!」
疲れた体に染み渡るとはこういう事だ。
湯船で寝てしまいそうな位心地いい、なんというお風呂の魔力。
ある程度温まってから、汚れた体を洗うべく湯船から上がる。
薬草で出来た石鹸を手で泡立ててから体に擦り付けて汚れを落とす。
体を拭くタオルはあるものの洗い用のタオルがない……お風呂スポンジほしいです。
アザの部分を念入りに石鹸で洗ってみるが、やはり変化はなかった。 もう勝手にしろい!
半分やけになりつつ、気をまぎらわせるために鼻歌を口ずさんでいたらつい熱が入り、のぼせかけてしまったのは秘密だ。
フラフラになりながらお湯から上がる。
そこで気付く、
『替 え の 服 が な い ! !』
姉さん事件です!
エンガは体を拭くタオルは置いててくれたものの、着替えまでは用意してくれていなかった。
気付くの遅っ! 自分! 流石にこの泥やなんやらで汚れた服は着たくない。
体を隠すには少し頼りないタオルをなんとか巻き付けてから扉の前でエンガを呼ぶ。
「エンガー! ちょっといい? エンガー?」
返事がない、屍……じゃなかった、いないのだろうか?
再度呼んでみるものの応答がない、もしかして寝ちゃった……?
何度呼んでも一向に返事はない。
そーっと扉を少し開けて部屋をみるが姿が見えない、出掛けたのかもしれない。
「このままじゃ不味いし、布か何かでもあれば……」
そろーりそろーりと小屋から出て部屋に戻るが、やはり居ないようだ。
なら戻ってくるまでに何か探しておかなくては。
「大きい布ー大きい布ーとりあえずなんでもいいー綺麗なら」
辺りをガサガサガサ。
家探しじゃないよ! こういう時、勇者ならタンスでコインとかみつけるんだろーなー……て、コインじゃダメじゃん! 隠せないわ!
テンパりつつ棚や荷物箱を探すが見付からない。
肌が乾いてきて寒くなってきた、ついでに眠気もきた。
見付からないから仕方ないよね、うん、これは誰が見ても仕方がない。
誰に言い訳しているかは不明だが、そういう事です。
見えているのはふわふわのお布団がひかれたベッド。
吸い込まれるようにそこに入っていったのは言うまでもない。
「ふぁぁぁぁぁ、あったかーい……ふぅ、横になると眠気がいっ……そう……で、て……ぐぅぅぅ――――」
睡魔に速攻負けました。
あとの事はもう考える隙がありませんでした。
服は明日洗います、なので寝かせて下さい、もう少し。
………………。
――――暫くの後。
帰って来たエンガはリンの姿が見えない事に気づくも、すぐにその理由がわかる。 ベッドの上でこんもりと膨れた布団が、私はここですと言っているかのようであったから。
「疲れて眠っちまったのか……」
帰ってからある報告をリンにするつもりだったが、明日起きてからする事にしよう。
今は眠らせてやる方がいい。 自分と出会った時、服はボロボロでひどく疲れた顔をしていた。 明るく話してはいるが、大変な目に合ったのは嘘ではないのだろう。
あながち人拐いにあったのも本当かもしれん。
エンガはリンの言う事は全て信じたわけではない、しかし見た目の姿は本物だ。
紛い物の黒は今までに何人か見た事がある。
何れも金目当てや貴族、果ては王族ににすり寄る為の小細工で、どれもすぐにバレて処分されたと聞く。
魔法で黒く化けたのであれば、そこそこの魔導師ならばすぐに見破る事ができる。
染料を使ったならば特殊な液体をつかえば落とせる。
稀におちない染料を使った輩が出てくるが、そこは宮廷魔導師の出番だ。
詳しくは知らないが、本物か偽物か探る術があるらしい。
しかし大小個人差はあるものの、皆が一様に魔力の乱れがあるのだ、それは魔法をかじったものならば気がつく程度の。
ずっと隠し通すのは無理だ、魔力の制御は精神を喰うから。
大体一週間もすればボロが出る。
そんな中、このリンの『黒』には驚いた。
魔力の乱れはなく静。
一つに結んだ長い髪は黒く、烏の濡れ羽のように艶があり、風にサラサラとなびく姿は白い肌と相まってとても似合っていた。
瞳も漆黒といっていい。
吸い込まれそうな深く黒い瞳に衝撃を受けた。
本人にいったら調子に乗りそうなので言わないが。
こんな完全な『黒』を見たのは初めてだった。
「本物なら本物で大変なんだがなぁ……」
ベッドの上で丸まっている布団団子を尻目に、エンガはテーブルの椅子に座り目を閉じた。
明日もまた忙しくなりそうだと思いながら。