海からトリップのようです
その日は私にとって忘れられない日になった。
「ねぇ、お母さん」
運転席を見れば、何時もよりお洒落をしている母の姿。
Tシャツにジーンズ、ノーメイクが基本の母がこうしているのは今日が父の命日だからだ。
「なぁに? リンちゃん、もうすぐ着くわよ……あ、お腹空いたのなら先にお昼ご飯にする?」
「いやそこはお父さんのとこが先でしょ! 全く薄情ものなんだから」
父のお墓参りよりご飯ってどんだけだよ、そこまで食い意地はってないわ。
あらあら〜と笑うのは私、久居凛の唯一の肉親である母。
天涯孤独同士の父と母が結ばれ、私が生まれた。
幸せな三人家族の時間はそう長くはなく、私が幼稚園の時に父を事故で亡くしてからは、女手ひとつで育て上げてくれたひと。
普段は、ぽや〜っとしているのにしめる所はしっかりしめる。
そんな母を尊敬しているし、こうなりたいと思う。
……恥ずかしいので、面と向かっていったことないけど。
「で、なぁに?」
「いや……この間、私二十歳になったでしょ? 無事に成人したってことで、お父さんもやっと落ち着けるかなって」
ちらりと横を見れば優しい笑みを浮かべる母の顔。
あ、なんだか照れ臭いなぁ。
視線を脇に移し、外の流れる景色を眺める。
初夏の空は雲一つなく、澄んだ青が何処までも続いていて海まで繋がっている。
見えてきた大きなつり橋、あの橋を渡れば父の墓所までもうすぐだ。
『……イ……ナイ』
「……?」
ゾワリ……不意に嫌な感覚。
一瞬のことで分からなかったけど悪寒、というか何か気持ち悪いものがよぎった感じだ。
風邪でもひいたのかな、と鼻をすすりつつも適当に流し目の前に迫った橋を見る。
真っ直ぐにのびた白い橋は、海と合わせて絶景のロケーションで、渡っている最中に窓から顔を出して下を覗くのが楽しかったりする。
高いところが好きなのだ。
……『馬』と『鹿』ではないよ!断じて!
そんなこんなで窓から下を覗きながら風を感じていると……まただ、また嫌な感じ。
ゾワリ……ゾワリ……
『……ニ、タクナイ』
「やっぱり何か、聞こえて……うわっ……!!!!」
橋の真ん中に差し掛かったとき『ソレ』は来た。
海から飛んできた何かが車にぶつかってきたのだ。
いや、確かにぶつかったかのように見えた、が、そうではなかった。
黒い『ソレ』は車を透過し私目掛けて突き進んでくる。
『ソレ』が私に触れたとき、音もないのにビリビリと激しい衝撃が体を襲う。
反射的にぐっと目を閉じる、ざらりと何かに包まれたと感じた直後の浮遊感、そして落ちる落ちる落ちる……え?
……は?! 落ちてる――――!!!!
目を開けば間近に迫る青、いや、海。
「ひいいやあああああ――――!!!!」
その日、私は人生初めての紐なしバンジーをしたのでした。
……何て言ってる場合じゃない、もう死ぬ、ほんと死んじゃう!!!!
叩きつけられるように着水してから、もがいてうえに上がろうとするものの、どんどん沈んでいく体。
重い、苦しい、誰か……ちょ、何で浮かばないのよおおお――――!
パニックになり、口からは酸素がカボガボと漏れていく、もう駄目だ。
やだやだ死にたくない死にたくない死にたくない。
お母さん……っ!!!!
薄れる意識の中、手を伸ばしたそこに見えたのは、まとわりつく 真っ黒な『何か』
『……ツケタ……カワ……ノモノ……』
聞き取れない程の小さな呟きは私に届くことはなく、口の酸素が尽きたと同時にぷっつりと意識を失ったのだった。