タァちゃんのママは、さげまんかもしれない(第五話)
小学校6年生のある日。外出して遅くなったママの代わりに、タァちゃんは夕食の仕度をし、お兄ちゃんにも食事をさせました。豚肉と野菜の炒め物、買ってきたシューマイ、そして中華スープ。タァちゃんとしては十分な量を作ったつもりだったのですが、育ち盛りの男の子であるお兄ちゃんは、おかずばかりどんどん食べてしまいます。
「ご飯のお替わりしてよ!」
そう言っても聞き入れてもらえません。とうとう豚肉と野菜の炒め物は、なくなってしまいました。それからしばらくして、タァちゃんのママが帰宅しました。タァちゃんはちょっと笑いながら、
「炒め物、なくなっちゃったんだ。シューマイ食べてよ」
そう話しかけました。と、次の瞬間、
「何やってるのよ! ちゃんと作らないとダメじゃないの!! シューマイなんかいらないわよ!!!」
ママは大声でタァちゃんをどなりつけました。タァちゃんはびっくりしました。ただしこの時、タァちゃんの心にも、理不尽な八つ当たりに対しての怒りがこみ上げたのでした。タァちゃんは無言でママを真っすぐにらみつけました。ママはタァちゃんの視線を受けて、ちょっとひるんだ様子を見せました。そしてタァちゃんのご機嫌を取るかのように、こう言いながら食事をし始めました。
「うん、このスープは美味しいよね」
そんなママに向かって、タァちゃんは怒りのこもった視線を送り続けたのでした。
タァちゃんの中の何かに、また一つ、ヒビが入りました。
タァちゃんは中学生になりました。
タァちゃんは相変わらず両親の期待、とくにママの期待に応えようと頑張り続けていました。しかし、どんなに頑張っても、ママの要求はとどまることを知りません。どんどんハードルがあがって行きます。タァちゃんには心が休まる時がありませんでした。
実はタァちゃんは、小さい頃からある事をすり込まれていました。
「好きな事は仕事にしちゃいけない。趣味でやればいい」
と。三つ子の魂、百まで。ごく幼い時分から聞かされたこの言葉によって、タァちゃんはそれをすっかり信じ込んでいました。ある日、家に遊びにきた知人に向かって、ママはこう言いました。タァちゃんに聞こえるように、大きな声で。
「やっぱり、趣味を仕事にしちゃ、ダメよねぇ」
この時のタァちゃんは、別に不思議に思わず聞いていました。大好きな事を一番にやっていい人生が在ることを知らなかったからです。
タァちゃんとお兄ちゃんは、ますますママの顔色をうかがうようになっていました。いつ地雷を踏んで、ママが爆発するか分かりません。二人の態度を見たママは、ある時文句を言ってきました。
「どうして、いつも人の顔色をうかがうの!?」
タァちゃんとお兄ちゃんは顔を見合わせました。そしてタァちゃんはママに、はっきりこう告げました。
「そっちが、そう育てたんじゃない」
ママは虚を突かれた表情になりました。そして反論出来ずに、ものすごい顔でタァちゃんをにらみつけました。タァちゃんはこの時、ママを恐れる事はありませんでした。逆に爽快感すら味わっていたのです。
ママはとにかく、タァちゃんの言葉をまず否定し、タァちゃんの意見には反論し、タァちゃんの事をバカにしてきます。誉める時でも、どこか上から目線で、他の人の言葉として話しました。タァちゃんの物の見方が世間で正しいと判断されていると知ると、しばらくしてから唐突にその話題を持ち出し肯定するのでした。ただし、タァちゃんへの謝罪の言葉は聞くことはありませんでした。
ある時、アニメ好きのタァちゃんは、『となりのトトロ』という作品にとても感動しました。素敵なアニメを知って欲しくて、ママにその魅力を一生懸命伝えましたが、その結果、ママのご機嫌を損ねてしまいました。
「あんたの好みを、人に押しつけないでよ!」
どなられたタァちゃんは、それ以上話を続ける事が出来ませんでした。しばらくしてその記憶が薄らいだ頃、ママが突然、こう言いました。
「『となりのトトロ』って、すごく人気があるんだってねぇ」
どうやらママは、この作品が社会的に評価されている事を知った様子でした。やはり謝罪の言葉はありません。タァちゃんは無言でやり過ごしました。
中学生では、タァちゃんは軟式テニス部に所属していました。
まず、軟式テニス用のラケットを、近所のスポーツ用品店に買いにママと行きました。木製のラケット置き場には、いろいろな種類のラケットが立てられています。好きなものを選んで良いと言われたタァちゃんが、いざ商品を物色し始めると、
「これで、いいわね!?」
白地に青いラインの入った一本を、ママはいきなりタァちゃんの目の前に押し付けました。タァちゃんは反射的に、
「うん」
とうなずき、そのラケットを手にしました。それは、その店で一番安い商品のうちの一つでした。
しばらく普通の運動靴で部活動をやっていたタァちゃんでしたが、ようやくテニスシューズを買ってもらえることになりました。再び近所のスポーツ用品店を訪れたタァちゃんとママでしたが、今度はシューズ売り場に到着すると、タァちゃんに陳列棚を見る間も与えず、
「これで、いいわね」
と、そのうちの一足をいきなりタァちゃんに押しつけました。タァちゃんには、それがテニスシューズであるのかも確認できません。ママはタァちゃんを促すと、サッサと会計を済ませて帰路についたのでした。