タァちゃんのママは、さげまんかもしれない(第四話)
ある夜、タァちゃんは変な人物と出会いました。スポーツ刈りに口元を白いハンカチで押さえ、セーラー服を着、青白い顔をしていました。音楽教室から帰宅する途中のタァちゃんの背後に駆け寄ると、
「スミマセン、トイレはどこですか?」
低くか細い声で聞いてきたのでした。タァちゃんはその場では不思議に思わず、
「あっちにあるよ」
と、公園の方を指差すと、そのまま家の方にサッサと向かいました。幸いにも、その奇妙な人物はそれ以上ついてはきませんでしたが、玄関に入ったタァちゃんは、あることに気がつきました
(あれ、男の人だ!)
タァちゃんの背筋に悪寒が走りました。家に上がったタァちゃんは、早速、ママに報告しました。
「外に、セーラー服を着た男の人が居た!」
気持ちの悪さを必死で訴えようとしたタァちゃんに、ママはこう言い放ちました。
「そんな事、あるわけないじゃないの!」
ほんの数分前に起こった出来事を話したタァちゃんを、ママはウソつきよばわりしたのです。不機嫌になったママに、それ以上訴えることも出来ずに、タァちゃんは口をつぐんだのでした。
数日後、その人物が近所で話題になっているのを聞きつけたママは、タァちゃんに自慢気に語りました。自分の娘がその人物に遭遇した事を近所の人達に伝え、話題の中心になったママは上機嫌でした。
小学校高学年になったタァちゃんは、週末には、剣道のおけいこに通い続けていました。相変わらず好きにはなれませんでしたが、小学校卒業までというママとの約束を信じ、ママの期待に応えようと、踏ん張り続けていたのでした。
ある時、地元の新聞社が、剣道のおけいこを取材に訪れました。練習後、タァちゃんもワクワクしながら女性記者の近くに行きました。その時、女の子はタァちゃんだけでした。タァちゃんの姿をチラリと見た女性記者は、
「女の子はいらないです」
と言うと、男の子たちを相手に話を聞き始めました。タァちゃんはものすごいショックを受けました。
(やりたくないこと、こんなに頑張っているのに、何で!?)
タァちゃんの胸は、悲しみでいっぱいになりました。
小学校5年生のお正月明け、剣道のおけいこ仲間で、例年通り鏡開きが行われました。皆でおしるこを食べるのですが、あんこの嫌いなタァちゃんには、毎年苦痛な時間でした。仕方なしにお漬物ばかりかじっていました。子供たちの親や、剣道の先生たちも参加するこの催しでは、タァちゃんのパパやママも、他の大人たちとの交流を楽しんでいたのでした。帰宅後、ママがタァちゃんにこう言いました。
「あんた、中学生になっても、剣道続けなさいよ」
タァちゃんは目の前が真っ暗になりました。
「な・ん・でっ!?」
次の瞬間、大きな声でタァちゃんは叫びました。ママはちょっとびっくりした顔をしました。そしてモゴモゴ言いました。
「だって、パパが酔っぱらって、先生たちに続けるって言っちゃったんだもの。仕方ないじゃない」
実はそれはウソでした。口の軽いママが、先生たちに勢いで、
「おけいこを続けさせます」
と言ってしまったのです。その尻ぬぐいをタァちゃんにさせようとしてきました。タァちゃんは中学生になっても無理やり籍だけ置かされました。でもそれ以降は、もう通うことはなくなっていきました。陸上競技やミニバスケットや、他の運動を積極的にやり始めたからです。タァちゃんは身体を鍛えることは良い事だと考えていましたが、剣道をやらなくてもいい正当な理由を作るために、それらの部活動に所属することにしたのでした。
タァちゃんは泳ぐことが苦手でした。当然水泳の授業は大嫌い。海水浴なども正直、あまり楽しくありません。プールに入っても、水の中を歩き回るだけで、先生から注意されてばかりでした。しかし、さすがに小学校高学年になってから、
「なんとかしよう」
と一念発起し、プールサイドでつかまりながら、バタ足の特訓を開始。小学校5年生で10メートル、小学校6年生で25メートル、ゆっくりでもどうにか泳げるようになりました。そんなタァちゃんでしたが、泳ぐことへの苦手意識は生涯持ち続けることになりました。ある時、ママに文句を言いました。
「泳げなくて、ものすごく苦労したんだからね!」
タァちゃんのママは、横を向いたままこう言いわけしました。
「だって、泳げないなんて、知らなかったもの」
タァちゃんは耳を疑いました。そんなハズはありませんでした。学校の通信簿もあるのですから。タァちゃんの中の何かに、ヒビが入りました。
タァちゃんは、本が大好きでした。SFや推理小説や、名作もたくさん読みました。気に入った作品は、くり返し、くり返し、ボロボロになるまで読み返しました。そんなタァちゃんを見て、ママはバカにしたように言いました。
「同じ本、何回も読んで、よく飽きないわねぇ」
ママの嫌みも、タァちゃんにはあまり気になりませんでした。だって、とても楽しいことでしたから。
タァちゃんは当時ファンだったSFアニメをマネて、ノートに小説を書いていました。こっそり楽しんでいたのですが、ある日、ノートを読み返している時に、ママが突然部屋に入ってきました。驚いたタァちゃんは慌てて本棚にノートを戻しました。その様子を見たママは、フン、と鼻を鳴らすと吐き捨てるように言いました。
「そんなもの、とっくに、見たわ!」
そしてプイと出ていってしまいました。ママが勝手にノートを読んでいたことを知った上に、内容をけなされたと感じたタァちゃんは、正直かなり傷つきました。
翌日、タァちゃんは何事もなかったかの様に過ごしていました。まるで忘れてしまったかのように。嫌な思い出を心の奥底に封印したのでした。