タァちゃんのママは、さげまんかもしれない(第二話)
タァちゃんは小学生になりました。
タァちゃんはちょっと変わった子供で、なぜだか、
「我慢するのは良い事だ」
「努力しないと幸運はやってこない」
「人生は修行である」
と、ごく小さい頃から、本気で信じていました。黙々と頑張り続ける女の子なのでした。
タァちゃんのママは、いつもパパとパパの実家の悪口を、タァちゃんとお兄ちゃんの耳に吹き込んできます。そのせいでタァちゃんは、パパは家庭を顧みないダメな男性だと、小学校の低学年の頃には、既に思い込んでいたのでした。
タァちゃんのママは、タァちゃんが絵を描くことが好きであること、そして絵の才能があることを、全く認めようとはしませんでした。自分には理解出来ない世界で、タァちゃんが自分より成功し輝いていくことは、プライドを傷つけられ、我慢のならない事であったのです。
タァちゃんは小学校に上がる頃には完全に、自分に色塗りの才能がないと信じ込んでいました。ママはタァちゃんにこう言いました。
「あんたは昔から、色塗りが下手だったからね」
それは、タァちゃんがほんの幼い頃から、繰り返し聞かされてきたセリフでありました。それはタァちゃんの潜在意識に、ふかーく刻み込まれていきました。
小学校2年生になったタァちゃんは、学校の課題で蚕を育てることになりました。一回脱皮した、小さい白い10匹の蚕たち。毎日、学校からの帰り道、桑の葉を何枚かつんで家に戻り、新しい葉っぱを蚕たちに与えました。一生懸命食べる様子を、タァちゃんは楽しげに眺めました。生き物が大好きだったタァちゃんは、大切に大切に小さな生命を育んでいました。そんなある日、何枚かの桑の葉を手に家に戻ると、近所の同級生のチィちゃんのママが遊びに来ていました。ランドセルを置いたタァちゃんに向かって、ママはこう言いました。
「チィちゃんの蚕、全部死んじゃったそうだから、あんたの蚕、半分あげなさい」
タァちゃんはちょっと固まりました。でも次の瞬間に大声で叫びました。
「いやだ、
いやだ、
いやだーっ!」
その叫びを聞いて、チィちゃんのママはハッとした顔をしました。そしてタァちゃんのママの方に目をやりました。タァちゃんの叫びを聞いたママは、タァちゃんを威嚇するような声を出し、こう言い渡しました。
「いいから、チィちゃんにあげなさい!」
それ以上、タァちゃんに反論を許さない口調でした。タァちゃんは黙ったままその場に立ちつくしました。タァちゃんのママはお菓子の空き箱に5匹の蚕と桑の葉をサッサと入れると、チィちゃんのママに差し出しました。
「タァちゃん、ありがとうね」
チィちゃんのママのお礼の言葉も、タァちゃんの耳には入りませんでした。気づかわしげな表情を浮かべながら、チィちゃんのママは帰っていきました。
翌日、タァちゃんは何事もなかったかのように過ごしていました。まるで忘れてしまったかの様に。幼いタァちゃんは無意識に、嫌な思い出を心の奥底に封印したのでした。
お兄ちゃんが剣道を習うことになりました。黒や青色の、男の子用の防具を揃えてもらったのですが、運動音痴で気の弱いお兄ちゃんは、まともに竹刀を振ることも出来ません。せっかく買った高いおけいこ道具を無駄にしないために、ママはタァちゃんに剣道を習わせることにしました。
ママの期待を背負って、剣道のおけいこを始めたタァちゃんではありましたが、たたかれると痛いし、防具は汗臭いし、冬は板張りの床が冷たくて霜焼けがひどくなるし、どうしても好きにはなれませんでした。止めさせて欲しいと何度もママに懇願しましたが、聞き入れてもらえません。幼いタァちゃんには分からなかったのですが、ママは他の子のママ友とのつき合いが楽しくて、それをやめたくなかったのでした。
週末のおけいこ日に、毎回毎回ゆううつになりながら、小学校を卒業するまでとの約束で、タァちゃんは歯を食いしばりながら通い続けました。みんなで大会に参加しても、試合では勝とうとはしませんでした。パパもお兄ちゃんも助けてはくれません。タァちゃんは孤独でした。
夏休み、タァちゃんとお兄ちゃんは、パパの実家に行くことはあまりありませんでしたが、ママの実家には毎年のように行っていました。そして毎年のように母方のご先祖の墓参りだけは欠かしませんでした。本当はパパは七人兄弟の長男で、跡取りのお兄ちゃんが居たので、父方のご先祖のお墓参りもきちんとすべきだったのですが、なぜだかママはそうしませんでした。この家が絶えることにつながっていくのですが、小さいタァちゃんにはまだ分かりませんでした。
タァちゃんのママは、
「ありがとう」
「ゴメンなさい」
の言葉が言えない人でありました。ママ似のお兄ちゃんは、そんな所もママにそっくりでした。ある時、お兄ちゃんは音楽の宿題を持ち帰りました。音楽のセンスが全くなかったお兄ちゃんは、そのままほったらかし。ママは代わりにタァちゃんがその宿題をやるように言ってきました。仕方なく課題をこなし、譜面を書いたタァちゃんは、お兄ちゃんにそれを渡しました。お兄ちゃんは当然のように受け取りましたが、やはりお礼の言葉はありませんでした。
タァちゃんのパパは、仕事が忙しい事を理由に、家にはあまり居ませんでした。帰宅は深夜で、毎朝出勤は6時すぎ。タァちゃんとお兄ちゃんは、パパとあまり一緒に過ごせませんでした。週末も、接待ゴルフか趣味の囲碁をやっていて、子供たちを寄せつけません。実はパパは、ママのヒステリーから逃れるために、仕事を言い訳に使っていたのでした。
小さかったタァちゃんは、世の中の父親たちは、仕事が忙しいために家に帰ってこないものだと本気で信じていました。そのため、音楽教室からの帰り道、夜8時台のバスに、おみやげをぶら下げた他の家のパパたちが同乗しているのを不思議に思っていたのでした。
「ヒマなお父さん達がいるなぁ」
と。