第95話「彼女の心に友の手を」
部活の定休日である今日、大空木葉は教室で帰りの支度をしていた。少し前までは遥斗と一緒に帰っていたが、今はそれはできない。
彼とあまり親しくしてしまえば、誤魔化している自分の感情が抑えきれなくなってしまいそうだからだ。そうなってしまえば、せっかく莉奈先輩から託された萬部が取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
木葉は胸の中に広がるモヤモヤとした感情を黙らせ、帰り支度を終えたカバンを右手に携える。遥斗がちらとこちらを見たが、木葉は特に言葉を交わすことなく教室から出る。
遥斗には申し訳ないが、木葉自身もどこまで距離を詰めて良いのかわからないのだ。
誰と話すわけでもなく玄関に行き、そのまま校門を抜けようと足を進める。
すると、校門のすぐ隣にふたつの人影が見えた。
人影の主は木葉の存在に気づくと、声をかけてきた。
「木葉ちゃん、待ってました」
「ちょっと時間あるかしら、大空さん」
雅と静夏だった。あのふたりが一緒にいるとは珍しい、と思ったが、最近の彼女たちを見ていればそうでもないなと思い直す。
木葉は表情筋に力をいれ、笑顔を作る。
「どうしたの、二人とも」
聞くと、雅が口を開く。
「実は、ちょっと木葉ちゃんとお話したいなって思いまして」
「話? って、まさか静夏も?」
木葉は雅の隣に腕を組んで立つ、黒髪ロングの静夏を見やる。
「ええ、そのつもりなのだけれど。というか、何でそんな意外そうな目で見るのかしら」
「いやいや、意外でしょ。あんたが私と話があるなんて意外よ。私の方からは話しかけるけど、あんたの方からは無いじゃない」
「な、無くはないでしょう。今までだって数回は話しかけていたような気がするわ」
「え~、どうだったかしらねぇ~」
木葉はからかうように目を細めて笑う。それに対して静夏は頬を引きつらせ、木葉を半眼で睨めつけていた。
少しすると、静夏は小さくため息を吐き、話を本題に戻す。
「それで、結局のところ話をする時間はあるのかしら?」
しばし考える木葉だが、遥斗と距離を置くようになってからこれと言ってすることもない。それに部活もないということもあり、今日は時間がたくさんある。
「ええ、いいわよ。と言っても、ここで立ち話をするのもなんだし、私の家にくる? そういえば、あんたたちまだ私ん家にきたことないでしょう?」
転校してきてから家に招待したのは、遥斗くらいだったなあ、と言いながら木葉は遠い日の記憶を想起した。けれど、今となってはあまり意味のないことなのだが。
雅と静夏は特に反対することもなかったので、木葉は彼女らを自らの家に招待することにした。思えば、人生で初めて女の子の友達を家にあげることになる。心なしか、緊張している木葉である。
***
いつもの通学路を、いつもとは違うメンバーと会話を交えながら歩いていると、あっという間に自宅に着いた。
「へー、ここが木葉ちゃんのご自宅なんですね」
「そうそう。今日ママ――母さんも出かけてるから、くつろいでくれて良いわよ」
咄嗟に言い直し、木葉は玄関の扉を開ける。
すると、静夏が口許に手を当ててふっと笑った。
「ママ、と呼んでいるのね、大空さん」
「んなっ! い、言い直したんだから、そこはスルーしなさいよっ! まったく、あんたってやつは……」
ギリギリを奥歯を鳴らす木葉。が、すぐにやめた。静夏は普段からこういう女子なのだ。これが木葉の望んでいた『壊れていない関係』だと思ったからだ。遥斗の気持ちを断り、自分の気持ちに嘘をついて手に入れた『いつもどおり』なのだからこれで良いのだ。
木葉は彼女らを自分の部屋に案内する。
階段を上り、突き当たりにある木葉の部屋は、数々のぬいぐるみや、可愛らしいアクセサリーが飾られた、甘い香りのする部屋だった。
部屋の中央には小さなテーブルが置かれ、奥にはベッドと本棚、それからパソコン机も置かれている。
木葉は雅と静夏にクッションを渡し、適当に座るように促した。
「大空さん。あなたの部屋…………やっぱり、こんな感じなのね。見た目だけリア充な感じだわ」
「うっさいわね! 見た目だけって言い方に悪意を感じるんですけど!?」
「私は可愛いと思いますけどね。ほら、ぬいぐるみもたくさんありますし」
「ありがとう! そう言ってくれるのはみやびんだけだよぉ!」
木葉は半泣きになりながら雅に礼を言う。続けて、『どうだ、見たか』と意味を込めて静夏に向かってふん、と鼻を鳴らした。
その意図を感じ取ったのか、静夏は再び部屋を見渡す。
「ま、モノが多いということは、それだけごちゃごちゃしているとも言い換えれるけれどね。ホコリもつくし」
「あんたってやつは…………。ああ、もう! 飲み物とってくるから待ってて」
沸き上がってくる怒りを黙らせ、木葉は部屋を後にした。人の部屋に文句を言ってくるとは、なんてやつだろう。普段と同じなのは良いことだが、少しは人のことも考えて欲しいものだ。
と、胸中で愚痴りながら、木葉はグラスについたオレンジジュースを持って自室に戻る。
「お待たせ~」
言いながら、雅と静夏にグラスを渡す。
部屋に真似たいことだし、早速本題に入ろうと木葉が話を切り出す。
「それで、話ってなんなのかしら?」
口を開いたのは雅だった。彼女の目は先ほどまでのおっとりとしたものから一変し、真剣なものへと変わっている。
「実は、遥斗くんのことなんです」
「遥斗のこと?」
「はい。木葉ちゃんは遥斗くんのこと、どう思ってるんですか?」
「いや、えっと、どうと言われても、ねぇ…………。友達、かな?」
ははは、と木葉はお茶を濁すように笑う。
「嘘ね」
すかさず言い放ってきたのは静夏だった。
木葉は「はあ?」と言いたげな表情で静夏の方を見やる。
「もし本当に友達だとしたら、この前あなたが言っていた『私は遥斗だけが好きだから』とかいう歯の浮くようなセリフはなんだったのかしら」
「そ、そんなこと言ったかしら…………」
急激な喉の渇きに襲われた木葉は、オレンジジュースをぐっと飲み下す。
「ええ。確かにいったわ。まさか、覚えていないのかしら? そんなはずないわよね。誰かのことを好きだということを、忘れるくらい簡単な気持ちで言うはずがないもの」
実際、その言葉を言い放ったことは、木葉には覚えがある。しかし、ここでそれを認めるわけにはいかない。認めてしまえば、それは今までの木葉の行動と遥斗に強いてきた行為が無駄に終わってしまうからだ。
木葉は俯き、黙りこくる。
今度は雅が声をかけてきた。
「聞かせてください。木葉ちゃん。木葉ちゃんは遥斗くんのことを、どう思っているんですか? 本当にただの友達なんですか?」
「そ、それは…………」
雅に詰め寄られ、木葉は口ごもる。
「どうなのかしら、大空さん」
言われて、木葉は静夏と雅を交互に見やる。
二人とも木葉のことを一点に見据え、逃げることを許してくれそうにない。
木葉は苦しそうに顔を歪め、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「わ、私は…………私は遥斗のことを…………友達だって、思ってる…………」
やはり木葉には本心を告げることができなかった。
瞬間、静夏が立ち上がる。
「この期に及んでまだ嘘をつくというのかしら、大空さんっ。正直、見損なったわ。あなたは私たちとの関係を壊したくないから、遥斗の好意を無視しているそうだけれど、子じゃあ、どのみち壊れるしかなかったようね」
「へ……?」
木葉には静夏の言っている言葉の意味がわからない。
「そのままの意味よ。嘘をつくことは良いわ、人間誰にでもあることだから。けれどね、大空さん。自分の心にまで嘘をつく人のことは信用できない。あなたも、そして遥斗も自分の心に嘘をついて、誤魔化して、それでいて作り物の笑顔をしている。そんな人たちのことは信用できないし、そんな人たちと一緒に部活なんてできないわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ、静夏……っ」
木葉の声は小さく震える。これでは本末転倒だ。木葉はこうならないように今まで自分の心を偽ってきたのだ。もしも、このまま関係が壊れてしまえば、何の意味もない。一番迎えたくないエンディングだ。
静夏にばかりかまけていると、視界の隅から雅も口を動かす。
「残念ですが、私も花美さんの意見に賛成です。せっかく莉奈先輩から託された部活ですが、今のままでは続けていくことは難しいと考えています。私には、今の木葉ちゃんと遥斗くんが目指そうとしているものが理解できないからです」
「み、みやびんまで……。どうして…………。何で……」
目を丸く見開き、木葉は肩を落とす。
「私は……こうならないようにしようと思って…………なのに、どうして……。結局バラバラになっちゃうのよ…………」
「どうしてって、それは簡単な話よ大空さん。関係を保とうとしてる張本人が、一番信用できないからよ。自分の心も誤魔化して、嘘をつき続けて、それでも平気な顔でいる。そんな人とは一緒に部活なんてできない」
はっきりと静夏に言われてしまい、木葉は顔を伏せた。急激に目頭が熱くなり、瞳に涙が溜まっていく。それはやがて留めておけなくなり、床に敷いてある絨毯にぽたりと落ちる。一滴、二滴ではない。まるで雨のように大粒の雫が次から次へとこぼれ落ちていく。
木葉は制服のスカートの端をギュッと握り締め、震える口から言葉を吐き出す。
「…………じゃない」
「はい?」
雅が耳をこちらに傾ける。
「…………本当は好きに決まってるじゃない。遥斗のこと、好きに決まってるじゃないっ!」
言って、木葉は勢いよく顔を上げた。涙に濡れた頬は、朱に染まっており、涙の筋が幾重にも重なっている。
「今でも好きよ。だって…………十年以上前から想い続けてきたんだから、そんな簡単に嫌いになれるわけないじゃい…………っ」
「じゃあ、どうして大空さんは遥斗からの告白を?」
「だって…………だって、あんたたちとの関係を壊したくなかったから……。私が遥斗と付き合ったら、絶対に部活の空気が歪になる。それだけは避けたかったの…………。だから……だから……」
「理由はそれだけ?」
静夏が更に聞いてくる。木葉の口は止まらない。
「わ、私、みやびんがフられてるとこ見ちゃったの…………」
「え……? 見てたんですか」
少々恥ずかしそうに首を縮める雅。
「ごめん、悪気はなかったの。けどさ……みやびん、泣いてたんだもん。今まで一度も泣き顔なんて見たとこないみやびんが、泣いてたんだもん。友達が泣いてるのに、自分だけ好きな人と一緒にいることなんてできないじゃん…………。だから私も、遥斗とは付き合えない…………そう思ったの…………」
「木葉ちゃん……」
木葉の想いを聞き、雅の目にもうっすらと涙が浮かんでいた。
ふっ、と静夏は息を吐くと、腕を組んだ。
「だから何だというのかしら。部員たちの今の関係性を壊したくないという理由はわかるわ。でも同意はできない。それに、友達がフられたから自分も付き合えない、その理屈にも同意しかねるわ。いいこと、大空さん。一緒にいた時間は短かったかもしれない。けれど、たかだかフられた、付き合っただので壊れたり変わってしまうほど、私たちの関係性は希薄なのかしら?」
「静夏……」
「そうですよ、木葉ちゃん。確かに私は遥斗くんにフられて泣いちゃいました。今でもたまに胸が苦しくなったりします。けれど、それと萬部での関係性・木葉ちゃんとの友人関係が壊れるなんてことは百パーセントありません! 保証します!」
「みやびん……」
二人の友人が、木葉の肩に手を置く。それはとても暖かく、そして優しいものだった。
「大空さん。あなたが素直になれば、すべてが解決するわ。遥斗のこと、好きなのでしょう?」
「…………うん」
「なら、そのことを伝えなければいけないのではなくて?」
言われて、木葉は首を横に振る。
それに驚いたように反応する二人。
「言わないんですか? どうして?」
雅が聞いてくる。
「だって…………私のわがままで、遥斗にすごくひどいことを強いたのよ。きっと、遥斗も私のことを嫌ってるわ。私は昔から好きだったけど、遥斗は私のことを忘れてたし……」
初めて会った時のことを思い出した。木葉自身は久しぶりに会えて嬉しさと緊張感で一杯一杯だったのに対し、遥斗はまるで初対面のように接してきた。つまり、遥斗にとって大空木葉という存在は記憶の彼方に消えてしまうほどのものだったのだ。そんな相手に無碍にあしらわれたら、誰だって嫌いになるだろう。
「そ、そんなことは――」
雅が言いかけていた言葉を静夏が制する。
「そうね。なら、尚更伝えなければいけないのではなくて? はっきりと伝えて、キッパリとした関係にした方が二人にとって良いと思うのだけれど」
「それはそうかもしれないけど……」
しかし、フラれると分かっているのに気持ちを伝えるというのは辛い。十年以上恋をしてきた相手に受け入れられないのは、身を切られるような痛みになるだろう。
「私は…………」
膝を抱え、木葉は黙考する。
すると、静夏が雅の手を引っ張りながら立ち上がる。
「じっくりと考えるといいわ。あなたの本心が聞けただけでも満足よ。自分の心から目を背け無ければ、私たちはきっと良い関係でいられると思うわ、大空さん。そうよね、小野さん」
急に話を振られた雅は、一驚してから口を開く。
「え、あ、はい。そうですね。たとえどんな結果になっても、私たちはこのままの関係でいられると思います。って、花美さん、もう帰っちゃうんですか?」
「何を言っているの、小野さん。もう十八時近いのよ? この季節でこの時間なら、外はもう真っ暗なのだけれど。ということで私たちは帰るわ。それじゃあね、大空さん」
静夏は手をひらりと振って木葉の部屋から出る。それに続いて「失礼しました」と丁寧にお辞儀をして雅も退室した。
ふたりが家から出ていき、部屋には木葉だけが残った。先ほどまで彼女らがいた痕跡が僅かに残っている。
木葉はそんな景色を横目で捉えながら、抱えた膝に力を込める。
遥斗に再び思いを告げる勇気など、今の木葉にはあるのだろうか。あれだけわがままを言って、遥斗を困らせたというのに、遥斗はまだ木葉のことを好きでいてくれるのだろうか。
答えは否、だろう。
そんな自分勝手な人に好意を抱くはずがない。きっとフラられてしまう。
そう考えると怖くて怖くて仕方が無かった。
こんにちは、水崎綾人です。
今回は木葉の思っていることが中心のお話でした。遥斗と付き合えないと思っていた本当の理由が判明したわけですが、対する遥斗の方は決心がついたのでしょうか。ラストスパートです。最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
では、また次回




