第92話「好意の所在。その気持ちは脆く儚く、そして歪に」
「ごめん、遥斗。私、遥斗とは付き合えない」
その言葉を聞いた瞬間、俺の頭は真っ白になった。木葉は何を言っているのだろうか。彼女の発言した言葉の意味を理解するのに異常なほど時間がかかった。
「ど、……どうして……?」
震える声で俺は訊ねる。
木葉はかすかに目線を下げ、哀しげな笑みを浮かべた。
「私たち……たぶん、付き合ったらダメ……なんじゃないかな」
一体何を言ってるんだ。
「だから、それがどうしてかって聞いてるんだよ、俺は」
体は芯から冷えきっているのに、頭だけはオーバーヒートしそうだ。
言いづらそうに淀みながらも、木葉は口を開く。だが、彼女の瞳は俺を写していない。
「だって……私たちが付き合うと…………」
そこで言葉を区切り、木葉は口を閉じる。何で、何で言ってくれないんだ……。そんな疑問を心に抱いた瞬間、俺の脳裏にある可能性がよぎる。
「まさか…………。他に好きな人ができたのか…………?」
正直、考えたくもない可能性だが、否定することはできない。なぜなら、俺だって木葉以外の静夏や雅に魅力を感じていたこともあったからだ。ならば、木葉だって他の男子に惹かれていてもおかしくないだろう。いや、むしろこんな俺よりもふさわしい人間がいるのではないかとすら思う。
木葉は首を左右に振り、俺の可能性を否定する。
「違うの……。それは違うの遥斗」
「じゃあ、何で……」
前で組まれた木葉の手にギュッと力が入る。先ほどまで哀しげな笑みを浮かべていた彼女の顔には、雨が降っていた。瞳から流れ出した大粒の雫を見て、俺は息を呑む。
「だって…………だって……。付き合ったら、壊れちゃうから……。壊れちゃうから……」
木葉はコートの袖で涙を拭くと、潤んだ瞳で俺を見た。
「……私、今日何でみやびんが部活に来なかったか、心当たりがあるの…………」
「は? 心当たりって、静夏も言ってたけど用事があるから来なかったんだろ?」
これは静夏本人が本当だと言っていた。あの静夏のことだ。むやみやたらに嘘をつくとは思えない。それに、嘘をついたところで得られるものもないだろう。
だが、木葉は首を横に振る。
「見たの……私。昨日……」
「昨日?」
こくりと頷く木葉。
「遥斗たちの様子が変だったから、部活が終わったあと体育館裏まであんたたちをつけた」
「なっ――」
昨日の部活後の体育館裏ってことは……俺が雅の告白を断っていた時だ。あれを木葉が見ていた?
「みやびん。遥斗にフられて泣いていた。それに話を聞く限りじゃ、遥斗、静夏のこともフッたみたいだし。それも全部、私からの告白を受け入れるせいでしょ?」
俺は言葉を返すことができなかった。事実だからだ。俺は雅よりも静夏よりも木葉のことが好きで、その想いを打ち明かすために雅と静夏の涙を見た。これは紛れもない真実だ。
「静夏、今日は平然と部活に来てたけど、きっととても辛いと思う。だって、自分をフッた男と同じ部室にいるんだよ。それに、その男がこれから告白しようとしている女もいる。たぶん、考えられないくらい辛い」
それに関しては俺も同感だ。無責任な言い草かもしれないけれど、俺もそう思っている。
「け、けどさ、木葉。静夏は今日こうして部活に来たんだ。嫌なら、たぶん来てないさ」
「みやびんは来なかった」
「それは………‥」
「それって、みやびんは辛いからじゃないの? だから、もう部活には来てくれないんじゃないの?」
「でも、まだ今日一日だろ、休んだのは」
「これからずっと来ない可能性もある。それに、誰か一人があんたと付き合ってる中で部活をしたら、きっと歪になる…………」
「…………っ」
どんな言葉をかけたら良いのだろう。木葉の言っていることは、ある意味では正しいことだからだ。俺だって、人数の少ない部活の中で誰かと誰かが付き合っているという事実を知ったら息苦しくなる。
木葉の瞳からは、またもや涙が溢れ出した。それは、すでに頬に刻まれた軌跡をだとって、地面に落ちる。
「ちょっと考えれば分かることだった…………。バレンタインに告白する前にちょっと考えれば……。誰かが付き合えば、関係が歪になるってことくらいわかったのに……。私、私……自分のことばかり考えて…………周りが見えてなかった…………。嫌だよぉ。……このまま萬部のみんなとの関係が壊れちゃうの、嫌だよぉ…………」
その場で泣き崩れる木葉。ここまで自分を責めた木葉は見たことがなかった。
どうすれば良いのか分からなかったが、俺は木葉を慰めようと丸まっている背中に手を伸ばす。
しかし、木葉は右手でそれを制した。
涙に濡れた顔で、木葉は俺を見つめる。
「ダメだよ、遥斗。今ここで私に優しくしたら…………。遥斗の気持ちは嬉しいし、私も遥斗のことが好き。けれど、それでも私は遥斗と付き合えない。萬部を壊したくないの……」
萬部を壊したくない。
それは俺だって同じ気持ちだ。でも、木葉へ抱いているこの感情だって本心だ。好きな女の子が目の前で泣いている。本当なら助けに行きたい。けれど、彼女はそれを拒む。居心地の良かった、あの場所を守るために――。
俺はひとつ小さく深呼吸をし、自らの感情を押さえつける。伸ばした手を引っ込め、無理な笑顔を浮かべる。それは、まだ自分で納得できてない歪な笑顔。
「そ、そだうよな……。だ、ダメだよな……。ごめんな、木葉」
「う、うん…………」
涙で濡れたまま、木葉は笑って頷いた。
その後、木葉は涙を拭いて家に入り、続けて俺も自宅へと戻った。
結局、木葉とは付き合うことができなかった。
フラレたという表現が正しいのかは分からないが、俺の想いは木葉へと届くことはなかった。
***
翌日。部室に雅が訪れた。来づらいだろうに、本当によく来てくれたと心から思った。
「みなさん、昨日はお休みしちゃって申し訳ありませんでした。ちょっとばかり私情がありまして。今日はみなさんでこれを食べましょう」
そう言って、雅は右手に携えていた紙袋を机の上に置いた。見たところ、ドーナツの箱である。ていうか、ドーナツの香ばしい香りがする。おそらく出来立てだろう。……いつの間に買ってきたんだよ。今日は普通に学校あっただろう。
「そ、それじゃ、私が飲み物用意するわ。静夏、あんたは何がいい?」
「コーヒーをお願いしようかしら」
「みやびんは?」
「私は紅茶で」
「んじゃ、はる――。あんたは?」
途中で名前を呼ぶのをやめた木葉が、俺に聞いてきた。
若干の違和感を覚えたが、いちいち気に留めることのほどでもないだろう。昨日、あんなことがあったのだから。
「お、俺もコーヒーで頼むよ」
言うと、了解~、と返事をし、木葉が飲み物を作り始めた。十分もかからないうちに出来上がり、俺たちはドーナツをつまみながらコーヒータイムとなった。
本来なら、これがいつもの萬部だ。みんなが思い思いのことをする。静夏なら本を読みながらコーヒー。雅なら木葉と話したり、自分の興味のあることをする。木葉も同じだ。そして俺はコーヒーを飲みながらスマホをいじったり、ラノベの新刊を読んだりする。そう、これは何も変わらないいつもの萬部。
だが、何だろう。今はどこか違う気がする。この違いを言い表すのは難しいが、強いていうのなら、……そう。気持ちが悪い。
たぶん、俺が勝手にそう思っているだけなのだろうが、どうにも気持ちが悪い。
「……くん」
みんないつもと変わらないはずなのに、どうして……。
「……斗くん」
俺の考えすぎなのか……。ああ、きっとそうだ。考えすぎに決まってる。そのはずだ。
「遥斗くん!」
俺の名前を呼ぶ声にようやく気づき、俺はびくっと体を震わせて声の主を見やる。そこには雅がいた。少しばかり心配そうな面様で俺を見つめている。
「どうしたんですか? なんだか深刻そうな顔をしていましたけど」
「へ? いや、全然何でもないって」
「もしかして、ドーナツ、お口に合いませんでしたか?」
「まさか、そんなことないって。めっちゃ旨いよ。出来立てっぽいし、ほんと旨いよ、このドーナツ」
「そうですか、それは良かったです」
雅が胸の前で手を合わせ、はにかんだ。
俺は雅をフッたというのに、どうして彼女は俺にこんな表情を見せるのだろう。そう思った瞬間に思い出した。雅は言っていた。
――友達のままでいられますか
と。雅はきっと、友達であろうとしてくれているのだ。それはおそらく度し難いほどに辛いはず。好きな相手のことを、再び友達という存在で見なければいけないのだから。
でも、雅はそれは選んだ。自分の気持ちに踏ん切りをつけるために。
ならば、俺も木葉への気持ちに踏ん切りをつけて、前と変わらない幼なじみとして見て、接するべきだろう。だって、それを木葉自体が望んでいるのだから。
それからおよそ一週間が経過した。
木葉への想いは、やはり消えることはなかったが、形の上だけは普段のように接することができるようになった。
今の俺は、木葉の友人なのか、仲間なのか、幼なじみなのか、それすらも分からなくなっていた。
木葉のことが好きなら、木葉の望むことを叶えてあげたい。そう思った。
本当なら木葉にこの想いを届けて、あいつと付き合ってみたい。けれど、たとえ付き合わなくても、木葉の笑顔はこうして見れる。
友達なのか、仲間なの分からないなかで。
でも、ただひとつだけ言える関係がある。
――幼なじみだ。
友人なのか仲間なのか分からなくなった今、おそらく、今の俺と木葉をつなぐ一番強い関係はそれだ。
けれど、一番強い関係でも、この関係は脆く儚く、そして歪だ。
こんにちは、水崎綾人です。
今回は、遥斗が木葉に告白しました。木葉も遥斗に好意は抱いていますが、しかしながら、彼女には別の思いもありました。遥斗は木葉の望みを叶えるために、自分の心を抑えますが、おそらく相当に辛いと思います。
物語もいよいよクライマックスもクライマックスです。このラストスパート、皆さんに読んで頂ければと思います。
彼と彼女ら、そして幼なじみの物語を最後まで楽しんでいただければと思います。
では、また次回。




