第88話「彼女の忠告。手に入れた俺の解」
「お、奥仲遥斗……」
実山さんが再び俺の名を呟いた。
何で二回言ったし。
と心の中で疑問を吐きながら、俺は尻餅をついたままの実山さんに手を差し出す。
「大丈夫ですか? ぶつかってすみません」
実山さんは俺を睨めつけると、差し伸べた手をぺしんと叩いた。
「ぶつかったんだから、大丈夫なわけないでずわ! それにぶつかった相手があなただなんて最悪の気分ですわ」
悪かったな! こっちだってお前とぶつかって最悪だっつの!
俺は忘れてないからな。お前に鼻の穴にワサビをねじ込まれたことを! あれすっげー痛かったんだから!
実際に口に出して言いたかったが、そんな勇気も度量も俺にはないため、適当に笑顔ではぐらかす。
「あは、ははは……。まあ、悪かったよ。そんなこと言わずに許してくれよ」
「ふん! 最低なあなたなんかを許したくはありませんわ! ずっと根に持ちますわ!」
「自分で根に持つって言うって珍しいな!」
つか、なんでだろう。そこまで絡んでいないのに、俺は実山さんからの評価が低い。いや、低すぎる。特に何かをした覚えはないのだが。
別にこのまま評価が低いままでも良いのだが、須藤の彼女ということもあり、このままだと何か不都合なことが起こりそうな気がしないでもない。
「まあまあ、そう言わずにさ。お詫びに何か奢るからさ。それで許してくれよ」
実山さんは顎に手を当て、しばし考えると、やがて俺の瞳を見やる。
「そうですわね。では、お言葉に甘えて奢られてあげましょう。ただし、許しはしませんけど」
「なにそれ、めっちゃ不平等な取引じゃね?」
自らの力で立ち上がった実山さんは、スカートをぱんぱんと払う。
「いいんですの。ほら、さっさと行きますわよ。私、暖かいコーヒーが飲みたいですの」
「うぐぐ……。取引が成立していない気がするんだけれど……。わかったよ。奢りますよ」
須藤は何でこんな傲慢なやつと付き合っているのだろうか。馴れ初めを聞いたが、今の彼女の対応を見る限り、ただのわがままお嬢様にしか見えないんだけれど。
俺たちはカフェに行き、実山さんの希望するコーヒーだけをテイクアウトで購入した後、近場の公園へと移動した。
二十時を回っているということもあり、公園には俺たち以外誰もいなかった。
公園の中央にある一本の街灯が、遊具や砂場、ひいては公園全体を淡く照らしている。その光景は幻想的でもあり、どこか不気味にも思えた。
俺と実山さんは、少し距離を空けてベンチに腰掛ける。古びた木製のベンチだ。空気が冷たいため、ベンチも非常に冷えていた。
「ふう~。他人の金で飲むコーヒーは美味いですわ」
「何げに酷いことを言うんですね、実山さん。須藤が聞いたら泣きますよ?」
言うと、実山さんは顔をしかめた。
「はあ? 何を言ってますの? 私はデートのとき、須藤くんから一円も出してもらってませんよ」
「え?」
「私はパートナーとはフェアな関係でいたいんですわ。だから、自分の分は自分で出すことに決めていますの」
「いや、でも今さっき、他人の金で飲むコーヒーは美味いって……」
聞き間違いではないはずだ。俺はしっかりとこの耳でそう聞いたぞ。
「ええ、言いましたわ。他人――それはつまりあなたの金という意味です。私の人生にはおよそ関係のないあなたの金で飲むコーヒーが美味いのですよ」
「なにそれ、酷い!」
なんなのこの人! お嬢様じゃなくて悪魔なんじゃないの!
俺は心に傷を負いながら、実山さんにずっと思っていたことを訊ねた。
「あのさ、実山さん。何で俺にはそんなに当たりが強いのかな? 結構傷ついてるんだけど」
結構どころか、超傷ついてます! 精神的にも身体的にも!
聞くと、実山さんはコーヒーを一口飲み下し、ぷは~、と息を吐いた。そして、横目で俺を睨めつける。
「それは、私があなたのことを嫌いだからですわ」
「えっと……どうしてかな? 俺ってそこまで深く実山さんと絡んでない気がするんだけど」
そこまでどころか、本当に薄い絡みしかしていない。なのにどうして嫌われることがあるのだろうか。
「そうですわね。確かに、私と奥仲遥斗との絡みは薄いですわね」
だから何でフルネームなんだよ。
実山さんは俺の顔を視界から外し、言葉を続ける。
「けれど、それでも私はあなたのことを好きにはなれそうにないですわ」
「何で? いや、別に好いてもらおうなんてこれっぽっちも思ってないけど、聞かせてくれないか?」
本当、実山さんから好かれたいだなんてこれっぽっちも思ってない。いや、マジで。
「あなたが、最高に優柔不断だからですわ」
「……優柔不断?」
「はい。奥仲遥斗。あなた、萬部の部員さんたちから好意を向けられているのは知っていますよね」
「ああ。知ってる……けど」
「それで。あなたはどなたを選ばれたんですか?」
その質問の解は、俺自身もずっと捜し求めている解。何度も何度も探して、探して、それでもまだ解答へはたどり着いていない。だから俺は首を振る。
「い、いや……。まだ決まってない」
言った瞬間、大きなため息が聞こえた。
「ほら、このザマですわ。好意を向けられた。けれど誰も選ばない。そんな人間のどこを好きになれと」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。どうして実山さんが、木葉たちが俺に好意を向けてるってことを知ってるんだよ?」
俺は誰にも他言していない。だってこれは、そんなおいそれと吹聴できるほど愉快な話ではないからだ。おそらく木葉たちも言い広めていないだろう。だとしたら、なぜ?
「ああ、そのことですか。簡単な話です。見てしまったんですわ。小野さんでしたっけ? 彼女が公園を出た先に道路で、あなたにチョコを上げているところを。確か『本命』だとか、『私以外にも……』とか言っていましたね。加えて、萬部のみなさんの顔を見れば、奥仲遥斗に気持ちを抱いているのなんて、手に取るようにわかりますわ。それに、もしあなたが誰かとお付き合いをするようなことがありましたら、須藤くんが私に話さないわけありませんし」
須藤、俺のこと喋ってんのか?
「以上のことから、あなたは他の部員から好意を向けられているにも関わらず、まだ返事をしていないという解になったわけです」
「完全に推測じゃねえか」
「けれど、それが真相なのでしょう?」
「ま、まあ、そうだけどさ……」
なんなのこのお嬢様、探偵なの?
実山さんの口は止まらない。
「話を戻しますが、結局のところ、あなたはまだ答えを出していない、ということでよろしいのですね」
「あ、ああ」
俺は渋々頷いた。
「なるほど。バレンタインの日に告白を受けたということなので、かれこれ一ヶ月間返事をしていない、と。なら、私から簡潔にアドバイスをします」
「は?」
いきなりの発言に、俺は実山さんに目を向ける。
彼女も俺を見ていた。恐ろしいほど真剣に、加えて有無を言わせぬ圧力を放っている気さえする。
「奥仲遥斗。あなた、萬部を辞めて全員をフりなさい」
俺はすぐさま立ち上がる。
「ちょ、どういうことだよそれ。意味わかんないんだけど」
全員をフる。これは誰とも付き合わない、という選択を同義と考えれば、俺の選択肢の中にはあった。認めよう。けれど、萬部を辞める? それは想定外だし、するつもりもない。
「意味がわからない? 簡単なことですわ。あなたが彼女たちの前から姿を消すということです」
「だから、その意味が分かんないんですけど! お嬢様は言うことも斜め上か!」
「はい? 何か勘違いをしていませんか? あなたの言い分ですと、自分にばかり負担がかかっていて不公平だと言っているように聞こえるんですが」
「ふ、不公平とかそういうことを言っているんじゃなくて――」
俺の言葉は言下に遮られる。
「言っておきますが、負担を押し付けているのはあなたですわよ、奥仲遥斗」
「……は?」
「考えても見てください。あなた、告白されてからおよそ一ヶ月間答えを先延ばしにしてきた。まあ、卒後祭とかいう行事に協力していたからという理由もあるでしょう。ですが、告白の答えを決めることくらい出来たはずですわ。今まで決めてこなかったのは、あなた自身がそれを向き合おうとしてこなかったからではなくて?」
「い、いや、そんなことは……」
俺だって何度も向き合おうとしてきた。してきたんだ……。
「それに、一ヶ月間告白の返事を待たされる相手の立場に立ってみてくださいな。かなり精神的に辛いはずですわ。それなのに、毎日顔を合わせてライバルたちと一緒に仕事をする。地獄以外の何者でもないですわ。そんな鬼のような所業を、あなたは彼女たちに強いてきたんですのよ? それにこの期に及んでまだ決めかねているなんて……。もうあなたには、彼女たちと付き合う資格なんて無いに等しいですわ」
実山さんの口から吐き出された言葉に、俺は思いの外応えてしまった。
彼女の言ったことはほとんどが図星だった。告白の答えを何度も考えた。いや、考えようとした。けれど、卒後祭を理由にして目を背けていた。それに、静夏と約束した期日が近づいてきているというのに、俺はまだ自分の気持ちに答えを出せていない。
実山さんに言ったことは、俺の心をすべて見透かしているようだった。
「はっきり言いますわ、奥仲遥斗。あなたは、早く彼女たちを解放してあげるべきです。あなたが彼女たちの目の前から姿を消すことで、あなたという存在を忘れさせることで、彼女たちを解放してあげなさい。それが、彼女たちのためです。あなたに、萬部のみなさんを想う気持ちが少しでもあるのなら、そうすることをおすすめしますわ」
言われて、俺は力尽きたようにベンチに腰を落とした。
そうか……誰とも付き合わずに、俺がみんなの前から姿を消すことこそが、最適解なのかもしれない。
思えば、俺が告白の返事に踏み切れないのは、中学の時に騙されたことが原因なのかもしれない。当時、本当に好きだった静夏にはめられて以降、告白というイベントそのものがドッキリか何かのように感じてしまっている自分がいる。
…………いや、ここで過去のことを掘り返して静夏に責任を擦り付けるなんて、最低だな、俺。
結局、全部俺が悪くて、踏み出せない俺が情けないだけなんだ。みんなからの好意を素直に受け取れず、考えることができず、ずっと迷いっぱなし。
あいつらがどんなに辛い状態にいるかなんて、これっぽっちも考えてこなかった。
静夏は俺のことを『甘い』と形容した。
けれど、俺は甘くはなかった。
そうだな。強いて言うなら、俺は…………『辛い』だ。
口をつけた相手には辛く、辛い思いをさせ、そのくせ自分でも勝手に辛くなる。俺は身勝手なだけなのかもしれない。
俺の隣に座っていた実山さんがすっと腰を上げる。
「言いすぎた、とは思ってませんわ、奥仲遥斗。あなたは、彼女たちと付き合う資格なんてありませんもの。あなたのその優柔不断さが、彼女たちを傷つけていることを知りなさい。あなたのそういうところが、私は嫌いなのですわ」
優柔不断か……。本当にそうかもな。他人の何かなら決められるのに、いっつも自分のことは中々決められない。それが俺の本質なのかもしれない。
ああ……。なんだろう、自分が本当に最低な人間に思えてきた。
ふと実山さんを見た。
けれど、そこにはもう彼女の姿はなかった。
帰った、のか。
「俺にはあいつらと付き合う資格はない、か。俺の答えは、それなのかもな」
また俺は、自分のことを誰かに背中を押してもらって答えを決めるのだろか。いや、いつもこうしてきたんだ。これが俺なんだ。
…………でも、いつまでもこれじゃダメだ。俺がしっかり向き合って決めなきゃ。
と、その時だった。
ポケットに入っている俺のスマホが振動した。
見れば、木葉からのメールだった。
『遥斗、ちゃんと家についた? 帰り道一緒じゃなかったから、ちょっと心配だったんだけど、大丈夫だった?』
「なんだよ、このメール……。少し前に一緒に帰ってなかったときは、こんなメールしてこなかったのにさ」
瞬間、俺の頭の中に木葉との記憶が蘇る。
十年前の記憶なんていう古いものじゃない。
木葉が転校してきてからこれまでの記憶だ。
あいつと再会したせいで、俺の日常は大きく変わった。平凡だったのに、色が変わった。友達が増えた。前よりも他人と話すようになった。
木葉のおかげで、俺は一歩前に踏み出せた。
実山さんは言った。
俺が木葉たちの前から居なくなれば、すべてが解決すると。
けれど、俺は木葉たちの前から離れたくない。それに何より、俺を進ませてくれた木葉と、また離れ離れになるのは嫌だ。俺の脳内に無意識のうちにそう流れる。
十年前に別れ、十年後にまた別離する。
十年前のときの記憶など今の俺にはない。でも、当時はきっと寂しかったはずだ。辛かったはずだ。なら、今分かれるのはもっと辛い。
俺はふと木葉のいない日常を思い浮かべてみた。
嫌だ。その答えは瞬時に出た。
大空木葉という少女を知ってしまった今では、彼女との日常を失うのは、身を咲かれるように辛い。
…………あいつと、ずっと一緒にいたい。
青臭いし、恥ずかしいが、あいつを失うなんて考えたくない。
この気持ちに名前を付けるのなら……そう。
これはきっと、『恋』というやつだろう。
だったら、俺の解はもう出ているのではないか?
俺は……。
俺は…………。
「俺は、大空木葉のことが好き、なのか」
そう呟いた瞬間に、俺は立ち上がった。そして公園を抜け出す。周囲を探して実山さんの背中を見つける。
「お、おい! 実山美々香っ!」
いきなり名前を呼ばれた彼女は、背中をびくんと反応させる。
「な、なんですの、奥仲遥斗! それに何でフルネーム!?」
「うるせぇ! お前だっていつもフルネームだろ! 俺は……俺は決めたぞ」
「はあ?」
実山さんが顔を歪める。こいつ何言ってんの、という表情をしている。だが、俺はそんな相手には屈しない。
「俺は……お前が進める解を選択しない。ようやく気づいた。俺の……俺自身が選択したいと思える解を!」
「へぇ。けれど、それはあなたのわがままなのではなくて? これだけ彼女たちを苦しめておいて、挙句の果てには今更になって選ぶ、ですか。随分と偉い身分ですわね。彼女たちのことを思うのならば、潔く身を引くべきではなくて?」
「確かにお前の言うことも正しいかも知れない。でもな、俺はもう、自分のことを誰かに決めてもらうのは嫌なんだ。俺のこの気持ちは、誰に言われたわけでもない、自分の気持ちだ。絶対に曲げたりしない。その結果、お前が俺のことを嫌おうが、んなこと知ったこっちゃねえんだよ!」
俺は思いっきり叫んだ。近くに道路があったおかげで、そこまで響かなかったが、それでも結構大きな声だったと思う。
実山は一瞬目を大きく見張ると、ふっと息を吐いた。
「そうですか。なら、私はもう何も言いません。あなたが私が提示した答え以外の解を選んだというのなら、それはそれでいいでしょう。けれど、やはりあなたのことは嫌いです。誰か一人だけを選ぶというのは、選ばれなかった二人が辛い気持ちを背負うということになるのだから」
言って、実山さんは俺に背中を向けて、人ごみの中へ消えていった。
そんなことわかっている。
だからこそ、俺はこの選択に責任を持たなければいけない。
この決断は、俺のわがままなのだから。
こんにちは、水崎綾人です。
今回は実山さんの忠告からの、遥斗の気づきでした。思い返してみれば、遥斗は誰かの背中は押すけれど、自分の背中は誰かに押してもうような少年でした。彼の導き出した解は、はたしてどのような形になっていくのか。ラストまでお付き合い頂けれはと思います。
では、また次回




