第78話「友の馴れ初め。気持ちの期限」
二日が経過し、いよいよ報告書の提出期限となってしまった。
だが、みんなの協力もあり、結構余裕を持って進められている。あと一時間もすれば提出できる体裁にまで仕上げることが出来るだろう。
報告書の作成は現在、木葉、雅、静夏が担当している。
一方俺と須藤と柏崎は、学校から持っていかなければいけないものを書面で確認したり、卒後祭に出席する生徒と保護者から預かった卒後祭費用の確認などをしている。
風山はどうしたのかと言うと、あいつは今日全体練習の方に顔を出しているのだ。俺も昨日行ってきた。俺の担当するスポットライトは、前回の動きと変わっていなかったので、そこまで苦労することはなかった。しかし、本番の状況などで適宜変わるかも知れないという忠告を受けて、今から少々緊張していたりする。
俺は今、卒後祭に参加する卒業生・保護者の卒後祭費用を確認している。預かった封筒からお金を出して、指定金額がしっかりと納められていれば、卒業生の名簿にレ点を付ける仕事だ。
はっきり言って気が遠くなりそうな作業だ。単純であるがために、辛い。卒業生が多すぎて名簿がチカチカする。
俺は眉間を押さえ、ふとパソコンのキーボードを叩く木葉たちを眺めた。
みんな一生懸命に仕事をしている。余裕があるというのに、真剣に目を輝かせ、資料とディスプレイの間を目が何度も行ったり来たりしている。おそらく、入力ミスがないか確認しているのだろう。
俺は……選ばなければいけない。
彼女たちのことを。
それは無慈悲な一方で無慈悲な選択であり、他方で幸せに満ちた選択。
思えば、そろそろあのバレンタインの日からひと月が経とうとしている。
彼女たちはこの一ヶ月の間、告白の返事を聞かずに過ごしている。俺からしてみれば、それは生殺しのような日々だろと思う。だが、彼女たちはそれをやってのけているのだ。
俺ばかり甘えているのは許されないだろう。
だが、いざ選ぼうとすると、いささか憚られる。
俺が選んでいいほど高尚な人間になれたのかという疑問があるからだ。俺は今まで選ぶ側の人間になったことがない。俺なんかの選択で、彼女たちの誰かが傷ついていいのかとモヤモヤしてしまう。
あああっ、もう! 俺はどうしたらいいんだ。
選ぶことが筋だってのに、いざ選ぼうとすると全然選べねえ……。
俺は乱雑に頭を掻き、荒立たしく息を吐いた。
すると、肩にぽんと手を置かれた。
俺はビクッと肩を震わせると、すぐさま後ろを振り返った。
そこには、にやっと笑みを浮かべた薫先生が。
「なんだか行き詰まってイライラしているようだな、奥仲。カルシウムが足りないぞ。ほら、これを飲めこれを」
そう言って俺の頬に押し付けてきたのは、公売で売っているパック入りの牛乳だ。
「いや、俺は別に仕事で行き詰まっているわけじゃ――」
俺の言葉を聞くことなく、薫先生は会議室で仕事をしているみんなに告げる。
「おーい、みんな。少し休憩にしよう。あまり根を詰めてもいけないだろう。みんなの分の飲み物も買ってきた。好きなのを選んでくれ」
目を落とせば、薫先生の手には公売の袋がぶら下がっていた。
先生は袋から人数分の飲み物を出す。コーラにお茶にコーヒーに紅茶などバラエティーに富んでいる。
「あの先生。俺、コーヒー牛乳がいいんですけど」
「ん? ダメだ。最近の君はなんだか思いつめたような表情をしているから、しっかりカルシウムを摂るように牛乳を飲め、牛乳を」
「さっき自由に好きなのを取れって言ったじゃないすか……」
「ふふん、君にだけ特別、薫ちゃんセレクトで牛乳だ」
人差し指を立てながら、二十八歳の女教師がウィンクひとつ。正直、整った顔立ちの先生のため、仕草それ自体はとても可愛らしかった。けれど、あまり嬉しくない……。
ま、そんなこと言ったらボコボコにされるんだろうなあ。
俺は薫先生が人を倒す瞬間をこの目で――それも目の前で見たことがある。この人は本当に強い。物理的に。
「う、うわー、薫ちゃんセレクトかあ。嬉しいなあ……」
俺は小刻みに震えながら、牛乳を口にした。
気分転換をしようと、俺は廊下に出た。
時刻は十七時を少し過ぎたあたりのため、外は茜色の太陽に照らされていた。夕日に照らされるだけで、いつも見ている当たり前の景色が一変して、別世界のように見えるから不思議だ。
「おい、遥斗。お前こんなところで何黄昏てんだよ」
小馬鹿にしたように笑いながら、須藤がやってきた。よく見ると、須藤はコーヒー牛乳を飲んでいる。
それ俺が飲みたかったやつじゃねぇか! 薫ちゃんセレクトさえなければ俺のものだったのに。
静かに沸き起こる怒りを抑える。
「なんだよ、須藤」
「いやあ、ただお前がどうしてのかなって思ってさ」
言いながら、須藤は俺の隣に立ち、同じように夕日を見つめる。
「ちょっと気持ちわるいな、お前」
「うるせえな、失礼なやつめ」
俺は夕日を眺めながら、ふと思いついたことを須藤に訊ねてみた。
「なあ須藤。お前ってどうやって実山さんと付き合うことになったんだ?」
須藤が目を瞬かせ、この世の終わりとでも言いたげな表情で俺を見据える。
「あん? なんだお前、突然どうした? 遥斗からそんな質問されるとは思ってなかったんだけど」
「うるせーな。悪かったな」
俺が悪態をつくと、須藤は「まあまあ」となだめてくる。
俺が須藤と実山さんのことを知りたいと思ったのは、あいつがどんなことを考えて実山さんと付き合うという道を選んだのか知りたいと思ったからだ。
なぜあんな暴力お姫様を……というのではなく、どんな気持ちで動いたのかを知りたかった。参考になるかどうかは分からないが、先人の知恵に学びたい気持ちなのだ。
須藤は得意げに鼻の下をこすると、夕日に背を向け、どこか格好をつけはじめた。
なんだか嫌な予感がする。
「へへん、そんなに知りたきゃ教えてやるぜ。あれは、三年前のことだった……。あの日もこんな夕焼け空だったなあ」
「やっぱいいわ。なんか長くなりそうだし、ちょっとウザイ」
「おおおおい! 途中で止めんなよ、分かったよ、簡潔に話すからさ!」
俺の腕を掴んでぶんぶんと揺すってくる。どんだけ話したかったんだ、こいつは。
「分かった、分かったから揺らすな。そんじゃ、頼むよ」
「おう。簡単に言うとだな、中学三年の秋、俺はとある中学の文化祭に行ったんだ。そしたら舞台上で美々香が演技してた。その時は何も思わなかったけど、文化祭が終わって帰ろうとしてたら急に雨が降ってきてな。どうやって帰ろうとかと悩んでた。でもそんなとき、偶然居合わせた美々香が傘を貸してくれたんだ。自分はまだ作業があるし今日は車で帰るから、あなたに傘を貸してあげますわって。その時に一目惚れしたんだ、俺。傘を返すために必死で美々香を探して、やっとのことでデートの約束を取り付けて、それでなんとか付き合うことができたんだ」
思いのほか、ドラマチックな出会いだった。だが、まさか、そのお姫様が鼻の穴にワサビを入れてくるほどのヤンデレとなるとは思ってもみなかっただろうな。
「それで、俺のこんな話なんて聞いてどうしようってんだ、遥斗?」
「え、や、それは……。まあちょっと思うところがあって」
すると、須藤は分かりやすく悪い笑みを浮かべる。肘で俺の脇腹をトントンと突き、げへへと声を上げる。
「なんだなんだ遥斗。お前も好きな人ができたのか? ん? 大空さんか? 小野さんか? ほらほら言ってみろ言ってみろ」
「なんでノリがおっさん臭いんだよ、お前は!」
俺は須藤から距離を置く。俺が思い悩んでいることは、あまり他言しないほうが良いだろう。俺のためにも、木葉たちのためにも。
「わるかったよ、遥斗~」
そうは言っているが、顔は思いっきり笑っている。殴りてえ……。
かと思えば、須藤の面様はまたもや一変する。
「けどよ、本気で悩んでんなら相談くらい乗ってやるぜ。お前は友達だしな」
いつになく頼もしく、それでいて真剣な須藤だった。
俺は照れくさくなりながらも、首を縦に振る。
「まあ、なんだ。そのときは、頼むわ」
***
再び仕事に戻り、三十分ほどが経とうとしていた。
俺に与えられた仕事はまだ時間がかかりそうだが、このままいけば明日までには終わりそうだ。
柏崎も会場に持っていく荷物の書面確認が終わったようで、運んでもらうように運送会社に電話で連絡をしている。
須藤も当日の座席割り振りの表を必死で作っているし、みんなそれぞれ力を尽くしている。俺も負けてはいられない。
と、意気込むと、
「遥斗、ちょっといいかしら?」
静夏が声をかけてきた。
「どうかしたのか、静夏」
「頼みがあるのだけれど。今さっき、報告書のミスの修正が完了して、完成版ができたのだけれど、この完成した報告書と一緒に元の資料も返却しなければいけないのよ。だから、その、手伝ってくれるかしら?」
元の資料というのは、報告書を作るにあたって必要になった書類のことだろう。資料の方に視線を移せば、文字通り山積みになっていて相当重そうである。これを女子一人に持たせるのは心苦しいところがある。
「分かった。いいぜ。けど、木葉や雅はどうしたんだ?」
「ああ、彼女たちならああなっているわ」
静夏が目で指す。
その目線が指す方向と同じ方向を俺も見る。そこには、ぐったりと背もたれに寄りかかり、全ての力を使い切ったと言わんばかりに疲労している木葉と雅の姿があった。
「何であんな風になってんだ!? 結構余裕持って作業できてたじゃん!」
「そうね、報告書を書く作業までは余裕があったわ。けれど、入力ミスとかの細かなミスを何回も何回も探していたら、体力も尽きたわ。大空さんも小野さんも今動くのはキツイみたいだから、私が行こうと思ったのよ」
「そっか。お前も優しいんだな」
「んなっ――。いきなり何を。…………ずるいわ」
言って、完成版の報告書で静夏は顔を隠した。
「いやいや、ずるいって何がだよ」
「分からないならいいわよ。それじゃ、さっさと行きましょう、遥斗」
「了解」
俺は山積みになった資料の束を持つと、静夏と一緒に教室を出た。
道中、俺たちは何気ない会話をしながら職員室を目指した。
職員室に入ると、静夏は教頭先生に報告書を渡しに、俺は薫先生に資料の束を預けた。その行為は思ったより早く終わり、俺と静夏は再び会議室へと続く廊下を歩いていた。
「遥斗。またまたちょっといいかしら」
「ん? またまたどうしたんだ、静夏」
「あなた、最近何かあったの?」
「何かって?」
聞くと、今まで隣を歩いていた静夏が足を止めた。数歩行き過ぎてしまった俺も、すぐさま足を止め、静夏を振り返る。
「とぼけても無駄よ。ここ最近のあなたの目、ちょっと怖いもの」
「おいおい、目が怖いって酷いな」
「嘘じゃないわ。もっと言うと、私たちを見るときの遥斗の目が怖いわ。そうね、例えるなら、ライオンが仕留めようとする獲物を選ぶときのような……いえ、この場合は狼の方が適切かもしれないわね」
「ええっ、俺ってそんな目してんの!? つか、狼ってなんだよ、狼って」
「あら知らないの? 男はみんな狼だって言うじゃ――」
「説明しろって意味で言ったんじゃねーよ?」
静夏は腕を組んでため息をつく。
「まったく。声が大きいわね。まあ、でも、遥斗の目から考えるに、悩んでいる原因は私たちにあるのよね」
「い、いや、別にそういうわけじゃ」
「目を背けたわね。はい、確定」
「うぐっ……」
そうだった。俺は何かを誤魔化そうとするとき、目を背けるんだった。ついこの前、雅にも言わればばっかりじゃねえかよ、俺。
「大方。私たちの気持ちのことで悩んでるのよね」
「静夏。お前は、あいつらがどう思ってるかも知ってるのか?」
肩をすくめる静夏。
「ええ。大体のことは察しがつくわ。あなたへどんな感情を抱いているのか、とかね」
こいつは洞察力がいいのか、もしくは本当にエスパーなんじゃないのか。
「もし本当に私たちの気持ちのせいで悩んでいるのなら、そうね、答えはそう急がなくても良いわ。卒後祭が終わってからと言ったけれど、なんなら三年生になってからでも、来年の私たちの卒業式の時でも良いわよ、返事は。遥斗が辛い顔をしているのを見ている方が、私にとってはよっぽど辛いわ」
「静夏……」
俺は拳を握り、下唇を噛んだ。
目をそらすことなく口を開く。
「逆だよ、静夏。辛い思いをさせてるのは俺の方なんだ。せっかく気持ちを伝えてくれたのに、もう一ヶ月近くも答えを言えないでいる。もし俺がお前らの立場だったら、毎日いてもたってもいられない。そう考えると、どうしても選ばなきゃなって思ってさ。つい力んじまったよ。ごめんな」
「う……いつになく素直じゃないの、遥斗。あなたといい大空さんといい、今日はなんなのかしら」
「ん? 木葉がどうかしたのか」
「大空さんの担当していた報告書のミスを見つけたから指摘したのよ。そうしたら『あ! ありがとう、静夏!』と笑顔で言ってきたわ。まさかあの子が私のことを名前で呼ぶなんて……」
「なるほど。それは確かに不可解だな」
木葉と静夏は犬猿の仲なのだ。普段の木葉からはおよそ静夏のことを名前で呼ぶなど想像できない。何かあったのだろうか。
「そうでしょ? それに加えて遥斗も素直ときたら、ちょっと私はどう反応していいのか分からなくなってしまうわ」
「けど、今の俺の気持ちは本当だ。お前たちに辛い思いをさせているのは俺なんだ。だから、本当にごめん」
俺は頭を下げた。頭を下げてどうにかなることではないけれど、それでも下げた。せめてもの気持ちだ。
「そう、分かった。なら、もうこれ以上伸ばさないことにするわ。卒後祭が終わってから、最長でも一週間以内に答えを出しなさい。これが明確なリミットよ」
俺は頭を上げ、深く頷く。
「分かった。約束する。それまでには絶対に答えを出す」
木葉・雅・静夏のうちの誰かの気持ちに応えるか、それとも誰の気持ちにも応えないか。
期限は卒後祭後一週間までの間だ。
こんにちは、水崎綾人です。
この話では須藤と実山さんの馴れ初めが出ました。遥斗の友人ですが、遥斗があまり他人を頼らない性格ということで、出番は少なかった須藤でしたが、遥斗が関わったことで、このように須藤の過去にも目を向けることができました。
返事への明確な期限を決めたことで、遥斗の決意はさらに強くなったわけですが、はたして今後どうなっていくのか、どんな答えを出すのか、彼だけではなく、彼女らにも注目して欲しいと思っています。
では、また次回




