第74話「手にしていた絆。意味のある出会い」
「……と、いうわけだ。河橋はしばらくの間、卒後祭の準備に出られそうにないんだ」
保健室から出たあと、薫先生は卒後祭実行スタッフ全員を会議室に招集し、河橋さんのことを話した。
ただし、全てではない。河橋さんが仕事を残していることについては、黙っている。
公表したことによって、スタッフ全体のモチベーションを低下させたり、不信感や不安感を抱かせたりする恐れがあるからだ。
「まあ、当日の動きについては私が河橋から聞いているから、その点については心配するな。君たち実行スタッフは、これまで通りに本番での動きを確認してくれれば良い」
スタッフたちの不安感を少しでも抑えようと、薫先生は優しく微笑した。
しかしながら、実行スタッフたちの反応は良くない。それも当然だろう。今まで指揮をしてきたリーダーが本番まで残り数日というところで倒れたのだ。不安に思うのも無理はない。
そんな生徒たちの空気を察したのか、薫先生は会議室に響くほど大きく手を叩いた。
「そんなに心配をするな。君たちが自分たちの仕事をしっかりとすれば、卒後祭はきっと上手くいく。そのために動きの確認を、と言いたいところだが、今日のところはひとまず解散とする。みんな、今日はゆっくり休んでくれ。体調管理を怠るでないぞ」
河橋さんのこともあるためか、先生はまだ始まって一時間弱で今日の仕事の終了を告げた。
妥当な判断だと思う。
河橋さんほどギリギリの状態のものはいないだろうが、各人体調の差はある。仕事以外でも普段から夜更かしなどをしていれば、体調は優れないだろうし、そんな状態のものを仕事させて倒れられたらたまったものではない。
正直、これ以上誰かが抜ける事態は考えたくない。
みんなが帰りの支度をしている中、薫先生の声が響く。
「あ、ちなみに、副会長と萬部の生徒はここに残ってくれ。少しだけ話したいことがある」
他の生徒が全員帰ったことを確認すると、薫先生は教卓の前に立って俺たちを見る。
後頭部をぽりぽりと掻き、曖昧な笑みを浮かべている。
「さっきも言ったとおり、河橋は疲労により倒れた。今、医者に診てもらっているから、詳しい症状が分かるまではもう少しだけ時間がかかりそうだ。河橋のことも心配だが、今考えるべきはそこではない」
言うと、先生は言葉を区切り、真剣な瞳で俺たち全員を見渡した。
「実はな、河橋は君たちに負担をかけすぎないように、自分にかかる負担を大きくしていたんだ」
「自分にかかる負担、ですか……?」
雅がぽつりとつぶやく。
ひとつ頷き、薫先生は続ける。
「そう。インフルエンザで休んでいた生徒の仕事の分まで自分に割り振っていたらしい。だが、無理がたたって、河橋は仕事を終える前に倒れてしまった」
その言葉に、会議室に残っている生徒の息を呑む音が聞こえた。
先ほどまで河橋さんと一緒にいた俺はこのことをあらかじめ知ってはいたが、もし初耳だったら耳を疑っていただろう。
「当然のことながら仕事は残っている。そこでだ。萬部と副会長の風山とで協力をしてこの仕事を完遂させて欲しい。でなければ、卒後祭は満足のいく形にすることはできないだろう」
俺たちの間を静寂が支配する。
だが、その静寂は俺の声によって打ち切られる。
「なあ、みんな。やろうぜ。たしかに余裕のない状態での仕事になるけど、でも、やらないと卒後祭はきっとうまくいかないし、河橋さんだって自分を追い詰めるかもしれない。だから、やろうぜ」
依頼を自ら積極的にやろうと言い出すのが珍しかったのか、木葉たちは目を瞬かせる。やがて、萬部の全員が首を縦に振って、俺の思いに乗ってくれた。
続けて、俺は会議室後方に座っている風山を見る。
「風山。お前も手伝ってくれないか? 俺たちだけだと、どうも不安だしさ」
腕と足を組んだ風山は、乱雑に鼻から息を吐く。その姿は、先日木葉と一悶着あった時の様子と似ており、俺はいささかの恐怖を覚えた。
「まったく遺憾だね。最初からみんなに均等に仕事を割り振っていれば良いものを。真面目すぎるというのは考えものだ。自分の非なのだから、痛い目を見ればいい。…………と、言いたいところだが、卒業生にはサッカー部でお世話になっている先輩もいるんだ。その人のためにも卒後祭は成功させたい。それも満足のいく形で。だからまあ、僕も会長の穴埋めくらいはしてあげよう」
ただのチャラ男なのか、情に厚いやつなのか、ただの格好付けなのか分からないが、とりあえずありがたかった。相変わらず、短い前髪を一生懸命手で払っているが。
俺たちのやり取りを見ていた薫先生は、よし、と声を上げる。
「それでは、残っている仕事の説明から入らせてもらう」
先生はそう言うと、黒板に簡単に残りの仕事を書き出し始めた。
残っている仕事は、明後日までに教頭先生に提出しなくてはならない卒後祭にかかった費用の報告書。それから今日から河橋さんが復帰するまでの議事録の作成、会場の最終下見、学校から持っていく機材を配達するための業者の手配、保護者の卒後祭参加人数の確認と座席の確保、加えて参加費の集計など、ひとりで行うには無理のある量の仕事が書き出された。
俺たちはその仕事の量に唖然としていた。
ついさっき河橋さんの口から聞いたばかりだが、実際に書き起されると目に入ってくる印象がだいぶ違う。
知っていた俺でもこう思うのだから、初見の木葉たちの驚きは凄まじいだろう。
ふと隣に座る静夏を見る。やはり、少々苦い顔をしている。
「ざっとこんなものだろう。まあ、正直なところかなり多い。その中でも特に最優先で行わなければいけないのが、教頭に提出する卒後祭の費用報告と、参加費の集計だ。費用報告の提出期限は明後日まで。参加費は支払い忘れなどがあれば後々面倒なことになるから、早いうちにしていた方が良いだろう」
本当にこの量をひとりでやろうとしていたのだからすごい。たぶん、河橋さんが本調子であっても、期限内にこの仕事をこなしきるのは無理だったはずだ。
「分担して仕事をしてもらうわけだが、こっちの仕事ばかりにかまけていて、本番での動きの確認を疎かにしてはいけない。よって、一日置きのローテーションで仕事をしてもらいたい」
「一日置きのローテーション?」
木葉が疑問を口にした。
「そうだ。わかりやすく言えば、君たち五人の中から毎日一人だけ本番の動きの確認の仕事に出る。それを毎日繰り返すんだ」
「ということは、実質四人での仕事、というわけですか」
「そういうことになるな」
人が……人が足りない。
他のスタッフに不安を抱かせないように配慮するにしても、これでは人が足りないのではないだろうか。
「あの、先生。やっぱり人手不足なんじゃ」
「しかしな、秘密を守れる人数というのはこのくらいだろう。それに、他の実行スタッフへの影響のことも考慮するとやはり……」
「じゃあ、実行スタッフ以外のやつなら大丈夫ですか?」
「ん? というと、それは一体どういうことだ、奥仲」
薫先生が首をひねった。他のメンバーも風山も疑問符が頭の上に乗っている。
「そのままの意味です。実行スタッフじゃないやつなら、河橋さんの仕事にもフルに参加できるし、他の実行スタッフと関わる必要もない。という意味です」
「まあ、そうだが、そんな奴がいるのか?」
「一応、心当たりが……。ちょっと聞いてみますから、席を外しますね」
そう言って、俺は会議室から廊下へと出る。
実のところあまり頼りたくはないのだが、実行スタッフではい人手が必要なのだ。こいつならきっと……。
俺はスマホを操作し、カ行の人物を探す。と言っても、もともと友達の少ない俺は、連絡先を知っている人が少ないので、それほど時間はかからず目的の人物を見つけた。
まさか、こいつに頼ることになるなんて。
俺はスマホを耳に当て、奴が電話に出るのを待つ。
やがて、電話が繋がる。
『もしもし、兄貴っすか。兄貴の方から電話なんて珍しっすね。つか、初めてじゃないっすか』
軽薄そうな声が耳に直接入ってくる。
「おい、だからその『兄貴』って呼び方はやめろと何回も言ってるだろ、『柏崎』」
そう。俺が電話をかけたのは柏崎だった。
木葉が転校して間もない頃、彼とも一悶着あったのだが、色々あって俺が勝利し、以降柏崎は俺のことを『兄貴』と呼ぶようになった。
初めて言葉を交わした時のキャラは何処へやら。今では全くの別人みたいだ。
見た目通りの下っ端体質のようだが、俺も同じ下っ端体質の人間としては、兄貴と呼ばれるのは抵抗がある。ていうか、単純に馬鹿にされているように感じるだけなのだが。
『あー、すんません。けど、俺を負かした張本人なんで、やっぱり兄貴は兄貴っすわ』
ほんと、こいつは……小物だなあ。
「ああもう、分かった分かった。そんじゃ兄貴でもなんでもいいわ。そんなことより、柏崎。お前にちょっと頼みたいことがあるだけどいいか?」
『頼みたいこと? なんすか?』
怪訝な声音で問うてくる。
そりゃ内容も告げずに、頼みごとを聞いてくれるか、なんて訊かれたら誰だって疑てしまうよな。
「実はさ、卒後祭実行スタッフでちょっとしたトラブルがあってだな、急遽人手が必要になったんだ。だからさ、お前に手伝ってもらえたら嬉しいなって」
『…………』
電話口からは柏崎の声は聞こえない。
やべっ、ちょっと上から物を言いすぎたか。下っ端体質でも相手はリア充。俺のような非リアでオタクの人間に上から言われたら苛立ちを覚えるか……?
そんな不安を抱えながら、柏崎の応答を待つ。
しばし待つと、電話口から彼の声が聞こえてきた。
『そんなことを…………』
「やっぱりダメか――」
『そんなことでいいんすか!? 俺てっきり、街にナンパしに行くから一緒について来てくれって頼まれるかと思ったっすわ』
「はあ!? お前には俺がどんなふうに見えてんだよ! ていうか、その口ぶりだと協力してくれるのか?」
『うっす。そんな頼みごとなら全然平気っすよ』
「おう、そうか。ありがとな、柏崎」
『お安い御用っす』
「そんじゃ、今から学校に来てくれ。ちなみに場所は会議室な」
『え、あ、ちょ今からすか? 今ボウリングの最中なんすけど……』
「それじゃ頼んだぞ~」
『ちょ、あ、兄貴――!?』
俺は通話を終了した。
まさか半年前には憎たらしくてたまらない相手だった柏崎が、今となって頼るべき存在になっているとは自分でも驚きだ。
今ボウリング中かよ。放課後満喫してんなあ、おい。
それとあと一人。こいつは正直ダメ元なんだけれど……。
俺は改めてスマホを操作する。数秒後、対象相手に電話が繋がった。
『ん? なんだ遥斗。どーかしたか?』
「ああ、須藤か。今いいか」
『今か……今、美々香とデート中なんだけど』
「大丈夫そうだな」
『おぉいっ!?』
デート中って忙しい理由になるのか? 暇だからデートしてんじゃないの? 俺、彼女いたことないから分かんなーい。リア充め。なんで俺が頼ろうとする奴は、揃いも揃ってリア充なのか。非リアなのは俺だけか?
数瞬後、須藤は諦めたようにため息を吐いた。
『それで、どうかしたのか?』
「今萬部が卒後祭の実行スタッフをしているってのは言ったよな?」
『んにゃ、初耳だ』
「え、マジで? まあいい。とりあえず、俺たちは今回、卒後祭の実行スタッフをしてるんだよ。けれど、ちょっとトラブルがあってな、急遽人手が欲しくなった。実行スタッフじゃない人間の助けが」
『へぇ、なんでまた』
「あまり吹聴しやすい理由じゃないんだ。そこについては触れないでくれるとありがたい」
河橋さんの気持ちを考えると、むやみに他人に言えることではない。
すべて自分で片付けようとしていた少女が、抱えきれなくなり倒れたから、などというのは打ち明けるには酷な内容だからだ。
『そっか。それで遥斗は俺に頼んできたのか』
「そういうことだ」
『まあお前、友達いないしな。俺くらいしか頼めるやついないよなあ~』
軽く馬鹿にしたような口調で言ってくる須藤。単純にイラっとした。
「べ、別に。お前の前に柏崎に頼んだわ」
『か、柏崎だと!? あのリア充の柏崎にお前が! あ、いや、でも柏崎ってお前に対しては柏崎って態度が柔らかいよな。って、まさかお前ら……デキてる?』
「はあああああああああああ!? 何言ってんだよ、馬鹿! 気持ち悪いこと言うなよ! マジで!」
『はっはは、すまんすまん。話は戻るけど、人手が必要ってことは、仕事の量が多いから必要なんだよな』
「ああ……」
須藤はしばらくの間黙り込んだ。かと思えば、電話口からガサガサとノイズのような、擦過音のようなものが聞こえた。何やってんだ、須藤のやつ。
気づけば、電話の相手は別の人物に変わっていた。
『ちょっと、奥仲遥斗、聞こえてますの!』
キンキンと響く、よく通る美声。その声には聞き覚えがある。
「き、聞こえてますよー。実山さん」
須藤の彼女の実山美々香だ。こうして会話するのは、須藤の依頼を受けた時以来だから、もう二週間以上前のことか。つか、何でフルネームなんだよ。
劇でお姫様役をもらうくらいだからか、相変わらず口調自体も丁寧だな。
綺麗にカールされた茶髪を振りながら、わずかにつり上がった凛々しい瞳で電話に向かって叫んでいるのが目に浮かぶ。
『今、私須藤くんとデートしていますのよ! なあんで邪魔をするんですの! あ、あなたまさか、また私が浮気してるとか思っていますのね!?』
「ちょ、ちょっと待ってくれ。何で勝手にキレてんですか! 今回はそんなことしてませんよ!」
この前の浮気調査のせいで、随分と俺に対しての心象が悪いようだ。薄々感じてはいたが、まさかここまでとは。なんで俺友達の彼女に嫌われてんだよ。
『本当ですの……?』
「本当本当。そんなことより、須藤に変わってくれ。俺は須藤と話があるんだ」
『はっは~ん、そんなこと言って、また須藤くんと何か企んでいるつもりですわね』
「なんも企んでねーよ! つか、実山さんの浮気調査を持ちかけてきたのは、あんたの彼氏の須藤だっての! キレるならそっちにキレてくれ!」
なんでこっちが悪いみたいになってんだよ。
言うと、実山さんは鼻で軽く笑った。
『そんなこともうしましたわ』
「え……したのか……?」
『もちろん。彼女の浮気を疑う彼氏なんて最低ですもの』
「ち、ちなみにどんなお仕置きを?」
ちょっとばかり気になってしまう。ほら、好奇心ってやつだよ。
『椅子に縛って、鼻の中にワサビを入れましたわ。痛気持ちよさそうに泣いていましたわ』
「鬼か!? 超怖いわ、それ! そんなことされてよく須藤はあんたと付き合い続けてるな、不思議だわ!」
『はあ?』
俺は瞬時に自分の失言に気づいた。やばい、あまり口を滑らせると、俺まで鼻ワサビの刑にされかねない。ヤンデレなんて騒ぎじゃねえぞ。
「い、いや何でもないです。いや~、須藤は愛されてんなあ。羨ましいぜ……ははは」
『でしょう? 須藤くんはとっても愛されているのよ、ふふふ』
何気ない笑い声がすでに恐怖だ。俺たちはとんでもない相手の浮気調査をしてしまったのかもしれない。
などと、青ざめていると電話の相手が須藤に戻った。
『待たせたな、遥斗。ちょっと考えてた』
「お、おう。鼻は大丈夫か? その……ワサビ……」
もしかしたら、あいつの鼻はもう機能していないかもしれない。
『ん? 美々香から聞いたのか? へへっ、実はさ、ここだけの話。あれが意外とハマっちゃってさ』
「へ?」
な、何を言ってるんだ、こいつは……。
『今考えれば、ご褒美だったかなって思ってるんだよ。考えても見ろよ、彼女から愛のこもったお仕置きだぜ? 最高だろ?』
「お、おう……」
こいつはもう俺の知ってる須藤ではないかもしれない。快楽のアナザーワールドに足を――いや、身体ごとすべて沈んでいる。
『あ、そんなことを話してる場合じゃなくて、話を戻すぞ、遥斗。結論から言う。協力してやるよ』
「い、いいのか?」
『ああ。よく考えたら、普段人を頼らないお前が、俺に声をかけたんだ。つまりそれって、そこまでして卒後祭を成功させたいとか、どうしても譲れないものがあるってことだろ』
「……おう」
そうか。誰かを頼れとは言いつつも、俺も誰かを頼ったことがなかったのか。思い返してみればそうだ。間接的に誰かが手伝ってくれたことはあっても、こうして直接誰かに協力を仰ぐというのは初めてのことかもしれない。
『だったら、話は簡単だ。普段頼ってこない友達が頼んできたんだ。それを引き受けない友達はいないだろ』
「須藤……ありがとう」
友人の数は少なくとも、こうして俺のことを考えてくれる人がいるのがここまで嬉しいものだと俺は初めて気づいた。
目の奥がジーンと痺れたが、俺は平然な態度でいるように努める。
『おっと、俺にそっちの気はないからな、遥斗』
「どっちの気だよ! 俺だってねえよ。まあ、なんつかサンキュな。それでいきなりで悪いんだけど、今から学校に来れるか?」
『はい? 今から? マジで言ってる?』
「ああ、マジだ。超マジだ。詳しい状況とか説明しなきゃいけないし、それになりより時間がない。お前だって卒後祭の日付くらい知ってるだろ?」
『ああ、三月十三日だろ。てか、そう考えてみると、本当に時間ないな。分かった、分かったよ。今から行くから待ってろ。それでどこの教室に行けばいいんだ?』
「会議室だ。頼んだぞ」
俺は須藤との通話を終了した。
今俺が頼れるのは彼ら二人だけだ。
けれど、ともて心強いと思っている。萬部に入る前では、およそこんな状況は考えられなかった。
これも萬部に入ったからこそ出来た絆であり、信頼であるのかもしれない。
俺は協力を受けてもらえることを報告しに、再び会議室の敷居をまたいだ。
こんにちは、水崎綾人です。
今回は久しぶりに柏崎と実山さんが出てきました。二人とも久しぶりの登場なのですが、この二人と出会えたのも萬部に入って、様々な経験をしたり、こなしてきたからでしょう。出会いというものには、意味があるのだと思いました。
それでは、また次回




