第73話「強がりと過信の果てに」
「おそらく、過度の緊張と疲労による体調不良ところじゃないかしら」
と、保健室の養護教諭は言った。
河橋さんが倒れたあと、俺がいくら呼びかけても彼女は起きることはなかった。だが、俺が名前を呼ぶ声にただならぬものを感じたのか、偶然近くの教室で作業をしていた教育指導教諭の松前が俺たちの方に駆け寄ってくれたのだ。
俺と松前でなんとか河橋さんを保健室まで連れて行った。少しすると松前は薫先生を呼びに行き、今に至る。
今保健室にいるのは、俺と薫先生、それから保健の先生だけだ。松前は河橋さんの親に迎えに来るように電話をしにまだ外へ出ていった。
俺の目の前に置かれたベッドには、河橋さんが眉間に皺を寄せ、険しい表情で眠りについている。その様子は、とてもじゃないが安らかとは言い難いものだった。
「そうか。体調不良か。それで、どのくらいで復帰できそうなんですか?」
顎に手を当てた薫先生が、保健の先生に訪ねる。
「う~ん、医者ではないからはっきりとは言えないんだけど、見たところ寝不足もあるようだし、少しだけど熱もある。学校に来れるようになるのは、早ければ三日後。遅ければ、卒後祭近々になってからとかもありえるかも」
「…………そうですか」
やるせないと息を吐く薫先生。
その時だった。
俺の目の前から声が聞こえる。
「そ、それじゃダメなんです……。私にはまだ、仕事が……」
目を覚ました河橋さんが、上体をゆっくりと起こす。そんな彼女の身体はふらついており、目はうつろで焦点が定まっていない。目にかかった黒髪を払うと、保健の先生を見つめる。
「私、そんな長い間休むことなんてできないんです。やらなきゃいけない……仕事が……」
「ちょ、河橋さん、何言ってんだよ。そんなにフラフラじゃないか。仕事なら、残った俺たちがやるから」
こんな状態では仕事にはならないだろう。仮になったとしても、おそらく河橋さんが納得する結果にはならないはずだ。
薫先生もこちらに歩み寄る。
「そうだぞ、河橋。奥仲の言うとおりだ。仕事なら残ったメンバーでやれば良い。なあに、あとは本番の動きの確認だけなのだろう? ならば大丈夫だ」
肩に優しく手を乗せ、薫先生は微笑んだ。
「……………………んです」
あまりにも声量が小さすぎて、聞き取れなかった。ふと横を見るが、それは薫先生も同じようだ。先生も俺の顔を見て、聞こえなかったと首を振っている。
俺はもう一度言うようにと河橋さんに頼む。
「もう一度言ってくれないか、河橋さん。ちょっと聞き取れなくってさ」
「…………実は、仕事はまだ残ってるんです」
「え……?」
一瞬、言っている意味がよく理解できなかった。
仕事がまだ残っている? どういうことだ。
俺たちはこれまで、割り振られた仕事をすべてこなし、ひとつひとつ終わらせてきた。それがついこの間のことだ。
色々なことはあったけれど、なんとか仕事を終わらせてきた。
それなのに、まだ残っている、だと?
俺は何かの聞き間違いであると信じ、再度河橋さんに質問をぶつける。
「あ、ごめん。聞き間違いかも。仕事が残ってるって? それって本番の動きの確認って意味じゃなくて?」
訊ねると、河橋さんは音もなく首を縦に振った。
「ど、どういうことだよ……?」
「河橋、その説明は私も聞きたいな」
神妙な面持ちで薫先生は腕を組んだ。その顔にはふざけた色はない。完全なる教師モードだ。
河橋さんはひとつ大きく息を吸うと、
「奥仲くんたちに割り振った仕事は……全部じゃないんです。一部なんです。実はまだ、……事務処理の仕事だったり、先方と話をしたりとか、複数の仕事が残っています」
「な、何で? どうして仕事をきちんと分担しなかった。それに、俺たちに依頼したんだから、人数的には問題なかったはずじゃ」
河橋さんは力なく首を振る。黒く長い髪が、首の動きと連動してふわりと揺れる。
「もともと……生徒会のメンバーが全員いても、萬部さんに依頼をするつもりでした。けれど実際は、生徒会メンバーは二人がインフルエンザで学校にこれなくなりました。……その時点で、萬部さんに依頼しても想定していた必要人数よりも少ないです」
河橋さんは俺を見つめると、再度口を動かし始めた。
「これは生徒会の犯した失態なんです。ですから、その皺寄せを他のスタッフに与えるわけには行きませんでした。だから、当初計画していた人数での割り振りをそのまま、足りない人数に割り振りました。残った仕事は私がまとめてやろうと考えて…………」
「まとめてって……それで……」
自らを憐れむように河橋さんは頷く。
「……はい。結局、こうなってしまいました。けれど、そんなことを言っている場合じゃないんです。卒後祭まで残り時間が本当に少なくなっています。多少無理をしてでも仕事を終わらせなければ、納得のいく卒後祭にはできませんので」
言うと、ベッドから抜け出そうと、河橋さんは身体を動かした。
ふらふらとよろけながら、立ち上がろうとする。
「ま、待て河橋。そんな身体でどうしようというんだ?」
河橋さんの両肩に手を置き、薫先生は問う。
「決まっています。残っている仕事を終わらせに行くんです。明後日までに教頭先生に卒後祭にかかった費用の決算報告書を提出しなければいけないんです。私の担当しているところさえ終われば、あとは皆さんが作ってくれたものをまとめるだけなんです」
押さえられているのにも関わらず、河橋さんは無理にでも行こうとする。ここまで意固地になっている河橋さんを見るのは初めてだ。できれば、こんな状況でないときに見たかった側面である。
「だがしかし、今の君は病人だ。熱もあるそうじゃないか。そんな君に仕事を任せるわけにはいかない」
「け、けど……。私がやらないと……私が……。遅れもあって、とても休んでいる時間なんて……」
下唇をギュッと噛む河橋さん。その瞳からは一滴の雫が頬を伝って流れた。
まさか、もうすぐ本番というところに来てこんな事態が発生するとは夢にも思っていなかった。
今思えば、河橋さんの異常なまでの仕事の成果への執着は、余計に多くこなしている仕事の進みが遅かったせいなのかもしれない。
ここ最近では一番近くで仕事をしていたというのに、俺は何も気づかなかったし、何も感じることもできなかった。
まあ、木葉の件で頭がいっぱいになっていたからということもあるが。それにしても、自分でも情けないものだ。
目先の幼馴染みにばかりかまけていて、肝心の依頼人を蔑ろにしているのだから。
「なあ、河橋さん。河橋さん言ったじゃないか。『それぞれが自分のできることをやるのが大切だ』って。たぶん、河橋さんは自分で言っててそれができてない」
「……………………それを言われると弱いです、奥仲くん」
河橋さんは自嘲的に笑い、うなだれた。
「たぶん俺だってできてない。他の実行スタッフの人だってできてないやつは大勢いると思う。けどさ、それが分かっただけでも収穫だと思うんだ」
「……何が、言いたいんですか?」
怪訝な瞳で、河橋さんは俺を捉える。メガネのレンズの奥にある瞳が、淡く光った気がした。
「俺が言いたいのは、今ここから、それぞれがそれぞれに出来ることをやろうと思うんだ」
「それって…………」
言いよどむ河橋さん。
俺は静かに笑った。
俺たちは萬部。
自分たちの好きなことを部活の時間にやるかわりに、何でも屋として依頼があったら働く部活だ。
河橋さんは俺たちの依頼人だ。
依頼人が困っていたら、窮地に陥っていたらどうする?
答えは簡単だ。
依頼人のために動く。全力で。
いつもそうしてきた。なら、今回だってそうだ。
俺は河橋さんの顔を一直線に見据え、はっきりと告げる。
「萬部が終わらせる」
こんにちは、水崎綾人です。
遥斗が萬部のことを俺たち、と呼ぶようになりました。これも成長の現れなのでしょうか。元々は木葉に友達を作らせるキッカケになればと思い渋々入った部活ですが、それはかけがえのないものに変わってきています。彼も成長しているようです。
では、また次回




